第13話 居場所(2)
やっとのことで大学に到着した。
新入生やその父母の集団は、ゾロゾロと入学式会場の大講堂へ吸い込まれていく。俺は弾かれるようにその列から脱出する。
這々の体で建物脇のベンチに辿り着き、腰を下ろしてホッと息を吐く。
はあ……。
疲れた……。マジで疲れた。
あの集団の中にいただけで一気に疲弊してしまった。
「式の前に写真撮ろうよ!」
「終わったらどこ集合?」
「桜もう散っちゃってるね〜」
キャッキャしている新入生たちの様子を見る。
誰も彼も、実に楽しそうな様子で、これから始まる明るいキャンパスライフに胸を躍らせている。
2年前に見たのと、全く同じ光景だった。
…………。
2年前。
ずいぶんと昔の話だ。
受験生だった時、俺はあっさりと第一志望の南渡過大学に現役合格した。
合格通知をもらった時は有頂天になった。これで俺もバラ色の大学生活だ――って、最高に浮かれてた。
入学式もワクワクしながら出席した。ちょうど目の前の新入生たちみたいに。
なんも心配してなかった。
全部うまくいくはずだった。
受験はもう終わりだ。あとは普通にしてれば普通に楽しいキャンパスライフが送れるんだ。
何の疑いもなく、そう思ってた。
そう思ってたら――いつの間にか春学期が終わった。
その間、思い描いていたような『キャンパスライフ』は一回もなかった。
あれ? なんでだ? どうして? いつの間に?
……俺は知らなかったんだ。
大学が、『自分から動かなければ何も与えられない場所』だなんて。
高校までは――教室があって、部活があって、同級生がいた。
だからボーッとしてるだけでよかった。入学してすぐなんて座ってるだけでも隣の人に話しかけられるし、たとえ会話ができなくたって視界には必ず入る。
そうしていれば、『クラス』という共同体が勝手にできあがる。あとはその中で自分なりの『居場所』を探せばいい。
高校までは、教室にさえいれば、あの埃っぽい空気が俺に社会の中の『居場所』をくれた。陽キャでも陰キャでも、ウェイでもオタクでも、とにかく何かしらの形で社会の一員でいられた。
でも大学は違う。大学にはクラスがない。学科という枠組みはあるがそれだけだ。
同じ教室で同じ授業を受けてたって、自動で友達になれるわけじゃない。自動で『居場所』が用意されるわけじゃない。
俺は気づいていなかったんだ。
クラスという巨大な物語が、俺というモブにもキャラクターを与えてくれていただけだということ。
大学という自由な世界では、そのキャラクターを自分から獲得しにいかなければならないということ。
高校までは、与えられたキャラに従ってさえいれば『居場所』がもらえた。
でも、大学に入ったら、自分から動かなきゃいけなかったんだ。
自分からサークルを探して、自分から隣の人に話しかけて、自分で自分のキャラクターを定めて、自分の『居場所』を作らなきゃいけなかったんだ。
俺はそれに気づいていなかった。
危機感を持たずにボーッと過ごしていたら、すぐに夏休みになってしまった。
やっと慌ててサークルを見たり誰かと交流を持とうとしたけど、その頃には既にコミュニティが出来上がっていて、俺みたいな新参者が入る余地はなかった。
……どこにも『居場所』がない、一人ぼっちの大学生活が始まった。
ぼっちは辛い。誰にも関われない。この広大で賑やかなキャンパスで、俺は本当に孤独だった。
それでも秋学期は必死に大学に通い、単位もどうにか修得したが――
二年生になった、四月のある日。
「今年こそちゃんと大学生活を送るぞ」と意気込んでキャンパスにやってきて、俺は、
ちょうど、今日と同じように入学式に出くわした。
ワイワイと楽しそうな様子の新入生たち。
瑞々しくて、フレッシュで、新しい世界に胸躍らせている新入生たち。
俺も、つい1年前はあそこにいたのに。
今じゃ友達も彼女もいないまま、一人ぼっちで大学にいる。
それを自覚した瞬間、ただひたすら、恥ずかしくなった。ここにいるのが場違いだと思った。
俺の『居場所』は大学にないんだ。もう今年の新入生のターンになったんだ。俺は周回遅れの負け犬だ。
(おい、アイツ新入生じゃないだろ? なんでいるんだ?)
(大学に居場所がないみたいだぜ。ぼっちなんだ)
(カワイソー。何が楽しくて生きてんだろ)
俺を嘲笑う声が聞こえるような、気がする。
周囲の新入生たちが、みんなして俺をバカにしてるような。ぼっちの俺を見下しているような。
被害妄想だ。分かってる。でもどうしても、そんな気がして――
――俺は、大学から逃げたのだ。
……いったい、どれだけそうして座っていたんだろう。
気づけば太陽の位置が変わっている。ボーッとしている間にもう昼になっていた。
あれだけ騒がしかった新入生たちの集団も周囲から消えている。式が始まったのだろう。
これからどうしようかな。
入学式となると事務室も休みのはずだ。何もすることがない。
わざわざ大学まで出てきたのに無駄足だった……。
「はあ……」
溜め息が勝手に口から漏れる。
このベンチからもう一歩も動けない。身体よりも心が、魂が疲れてしまった。
……飯でも食うか。
瀬奈の作ってくれた昼飯の弁当を取り出す。
腹が減ってるわけじゃない。ただ、何もせずにこのベンチに座っているのが辛かった。なんでもいいから何かしていれば気も紛れる。
カラフルな手ぬぐいを解いて、中の弁当箱を取り出す――ん?
指先に、布とは違う感触。
なんだこれ……紙?
一枚の紙が弁当箱と一緒に入っていた。
ぺらっとめくって、そこに書いてあったのは、
────────────────────────
長塚さん!
久しぶりの大学ですね。お弁当食べて頑張ってください!
(~ ̄▽ ̄)~ ←応援してますのポーズ
────────────────────────
……瀬奈だ。
瀬奈が、俺に向けて書いてくれた手紙だった。
手書きのメッセージ。
女の子らしい丸っこい文字。
それと謎の顔文字。
わざわざ、こんなものを書いてくれたのか……。
朝、料理で忙しかっただろうに。受験勉強の時間だって必要だろうに。
俺を応援するために、わざわざこんな手紙を――
「…………っ」
そう思ったら突然、じんわりと、胸に熱い何かがこみ上げてきて。
大学の隅っこのベンチで、俺は……。
しばらくその手紙を見つめたまま動けなかった。
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