第10話 瀬奈から見えた世界(その1)


「あの――このチキン、食べますか」

「……え?」


 突き出されたその手からは、チキンの香ばしい匂いが漂っていました。



 長塚さんと出会ったのは、三月ももう終わろうとして、徐々に暖かくなりつつある日の夜遅くでした。


 今年の受験に失敗し、浪人を継続するかどうかで実家と揉め、こっそり受けた模試も大失敗。返却された模試の成績表を持って、私は――真っ暗な線路脇で一人ぼっちのまま泣いていました。


「いや違うんですよ! 紙に名前書いてあるのが見えちゃって……別にジロジロ眺めたわけじゃなくて、ホントたまたまで……別にストーカーとかじゃないんで……ホント……」


 そこに現れたのが長塚さんでした。

 ジャージにジャケットを羽織った長塚さんは、困惑と心配と驚愕が混ざり合った顔をしていました。


「浪人してたんですけど、また受験大失敗して……落ち込みながら模試受けたらこっちも全然うまくいかなくて、それで……もうどうしたらいいか分からなくて……うぅ……」


 思えば、初対面のあの時はずいぶんな失礼をしてしまいました。出会ったばかりの不審な女にいきなり二浪だのなんだの言われても、困ってしまいますよね。


 チキンを私にくれたのは、おそらく泣き止まない私を見かねての事だったと思いますが……あの時も、人様からもらった食べ物にガツガツと夢中になってしまいました。

 はしたない真似をしたとは思ってます……少し恥ずかしいです。でも仕方ありませんよね。お腹が空いていましたから。



 その後は、長塚さんのご厚意で家に上がらせてもらいました。


「お、おじゃまします……ぐすん」

「えーっと、ハイ、どうぞ」


 私はショックで半ば呆然としたので逆に平気でしたが……長塚さんは少し戸惑っていたような気がしますね。初対面でいきなり家に押しかけられたのですから無理もないです。


「いやぁ……だらだらスマホ見たりソシャゲやってたら……なんか二留しちゃって……」

「に、二留!? 二回もぉっ!?」


 その後は、長塚さんがなんと大学を二留していると知ってビックリしましたが――


「――!」

「……はぁっ!?」


 意を決して、お願いをしました。

 突然のことで、あの人を当惑させてしまいましたね。私も勢い任せだった部分はありますが、間違った判断だったとは思いません。



「これ……お吸い物?」

「そうです」

「作ったの? これ? 瀬奈が?」

「はい。どうぞ召し上がってください」


 翌朝、お吸い物の入ったお椀を差し出すと、長塚さんはキョトンとした顔をしていました。私としては「昨晩のチキンとカップ焼きそばのお礼」という意味合いもあったのですが、伝わっていたでしょうか。


 家族以外に料理を召し上がってもらうのは始めてなのでちょっとだけ不安もありましたが、どうやら気に入ってもらえたみたいでよかったです。ただ、食材や調理器具が揃っていればもっとちゃんとしたものが作れたと思うと、少し悔しいですが……。


 それにしても、誰かに自分の手料理を食べてもらうというのは嬉しいものですね。

 自分のためだけに作って自分だけで食べていると、たとえどれだけ手の込んだメニューにしたとしても、どことなく寂しい感じがしてしまいますから。


「私、誰かとご飯食べるの久しぶりです」

「瀬奈……」

「変ですね、今までは一人でも全く気にならなかったのに。こうやって一緒にいると、昨日までのあれは何だったんだろうって――」


 二人でお喋りして、時折笑いながら食べました。一人ぼっちで受験を頑張っていた時には想像もできなかったような、幸せな時間でした。

 周囲は散らかり放題でしたし、部屋には机も椅子もなく、汁物だけの簡素な朝ご飯でしたが、幸せでした。長塚さんも同じように幸せに感じていてくれたらな、と思います。


「これからよろしく。瀬奈」

「……っ、はい! よろしくお願いします、長塚さん!」


 紆余曲折ありましたが、どうにか長塚さんに同棲を了承していただきました。

 肉じゃがが好き……っておっしゃってましたよね。今度、腕によりをかけて作るつもりです。喜んでくれるといいな。




 その翌日は、掃除したり、服を買ったり、家具を見たり、カルニィに行ったり……。

 忙しい一日でした。まだ全然時間が経ってないのに、ずっと前から長塚さんと一緒にいたような気までしてきます。不思議ですね。


 そして今、私はあの人に連れてきてもらった神社で一緒に桜を見ています。


「素敵です、本当に……」


 桃色の万華鏡みたいな絶景。

 すごくロマンチックな雰囲気で、思わずうっとりしちゃいます。


 おにぎりかお弁当でも作ってくれば、最高のお花見ができそうな光景です。でも神社の境内で勝手にピクニックなんてしたら神様に怒られちゃいますかね。



「瀬奈、せっかくだから参拝してこうよ」

「分かりました」


 長塚さんの後に続いて本殿の方に向かいます。

 老朽化した小さな神社。寂れてはいますが、満開の桜の中だとなぜか風格があるようにも見えました。


 長塚さんは財布を取り出して悩んでいます。


「お賽銭いくらにしようか。どんぐらいがいいんだっけ?」

「こういう時は、5円玉とか10円玉にするものではないですか? ほら、『ご縁がありますように』とか、『十分ご縁がありますように』……みたいな」


 受験生も二浪となると、こういう細かいジンクスがどうしても気になるようになります。

 特に今年の正月は参拝一つとっても気を遣いました。合格祈願の絵馬を奉納し、お守りを買いまくり、おみくじは大吉が出るまで五回以上引き直しました。結局効力がなかったのは残念ですが……。


「いやあ、ご縁はもういいでしょ」

「……?」

「だって瀬奈と会えたし。良縁に関しちゃ十分以上で十二分だよな~~」


 そう言って、ハッハッハ!と愉快そうに長塚さんは笑います。


「ええと……あ、ありがとうございます」


 私はというと、照れて俯いてしまいました。

 今朝から「何かにかけて褒めてくれる人だな」とは思っていたのですが、こう予想外からの角度から攻められるとこちらも心の準備ができていません。少しドキドキしてしまいました。


 確かに私と長塚さんの出会いはラッキーなものでした。泣いていた私とコンビニ帰りの長塚さんが、たまたま夜道で鉢合わせたんですから。その偶然から同棲生活まで繋がったという事を考えると、人間の出会いとは不思議なものです。


 これって運命なんでしょうか。運命って言うとなんか大袈裟だけど、こういう縁ってなんか、小説の中のおはなしみたいで素敵だなって思います。



「まあ、人との良い縁はどれだけあってもいいからね。五円玉にしておこうか」


 長塚さんと二人で、五円玉を賽銭箱に投げ込みます。

 二礼、二拍手、一礼。


 神様にお祈りをします。大学受験で何度もしてきた動作ですが、今回ばかりは意味が違います。


 私の――いえ、

 私が大学に合格して、長塚さんが進級できますように。


 懸命に。五円玉にしては図々しすぎるかな、と心配になるぐらい本気でお願いしておきました。


 ――頑張りなさい。見守っていますからね。


 すると、目の奥がチカッと白く点滅しました。

 強烈だけど、優しい光。穏やかな声が脳裏に響いて――


「――よし。瀬奈、帰ろうぜ」

「あっ、はい!」


 長塚さんの声に、ハッと顔を上げます。

 今のは何だったんでしょうか……?



「朝のお吸い物、美味しかったよ。また作ってよ」

「ありがとうございます。そういえば長塚さん、苦手な食べ物とかってありますか? 一応聞いておきたくて」

「苦手な食べ物? うーんと……冬瓜かな。たいていのものは食えるけど、冬瓜だけはマジでムリだわ」

「ええっ!? 冬瓜ダメなんですか? おいしいのに……」

「いやあムリ。本当にムリだね。なんかヌメヌメしてるし」


 桜吹雪の神社を後にして、雑談をしながら私達のアパートへと帰ります。


 長塚さんは気さくで親しみやすく、こちらにもどんどん話しかけてくれて、それでいて嫌味のないスッキリとした人です。私、この人と出会えて本当によかったと思っています。


 生活はちょっと……いやかなりだらしない所もありますが……。

 それでもどうにかなる範疇です。ちゃんと私の部屋の掃除もしてくれましたし。


 ただ、一つだけ。

 一つだけ不可解なことがあるとすれば――――


 ――こんなまともそうな人が、どうして留年なんてしてしまったんでしょうか?

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