第4話 お吸い物
ヤバい。このままだと俺、普通に説得されてしまう。
昨日の晩に会ったばっかりの女の子と同居して家事させる事になってしまう!
恋人でも夫婦でもないのにそんな関係になるってのは……ちょっと、ねえ?
男を落とすにはまず胃袋からってことか。美少女の手料理で俺をメロメロにして、世話を焼いて甘やかして、俺を説得しようとしてんのか?
なんて恐ろしい作戦なんだ。説得どころじゃない。これは攻略だ。
「遠慮しないでくださいね。私にもメリットがあるからこういう提案をしてるんです」
「メリット?」
「はい」
瀬奈は立ち上がり、自分の分のお吸い物を椀によそう。
「私はこの一年、実家からの仕送りで浪人していました。予備校代も、参考書代も、受験料も全部出してもらっていました。でも2回目の浪人は親に反対されているので、その分のお金が足りません」
受験ってのは何かと金がかかる。
予備校なんて特にそうだ。夏期講習一科目増やすだけでとんでもない金額が上乗せされるのだ。
「かといって、バイトしながら受験勉強というのも難しいでしょう。体力もそうですが、単純に時間が削られるので」
「だよなあ。東京は家賃だけでもエッグいからなあ……今まで住んでた家はダメなの?」
「家賃の支払いが止まったので、もう住めません。荷物を持ち出すのも無理でしょう。実家の監視があるかもしれませんから」
もう戻れないってことか。厳しいな。
っていうか監視ってなに? さらっと強烈なワードが飛び出したぞ。
「だから長塚さんと出会えたのは私にとって幸運なんです。長塚さんは、確かにその……二留してるダメダメ大学生かもしれませんが」
うぐっ!
「でも、悪い人ではないと思ったので。見ず知らずの私にご飯も分けてくれましたし」
コンビニのチキンだけどね。あとカップ焼きそば。
「ですから、この家に住まわせていただいて食費と家賃を負担してもらうだけでもありがたいんです。どうですか?」
どうですかって言われてもなあ……。
うーん。
「……まあ、食べてから考えましょうか。箸どうぞ」
そういえば箸がなかった。
瀬奈から受け取った箸で、お吸い物の具材を口に運ぶ。割り箸以外を使うのは久しぶりだ。箸一膳ですら洗うのめんどいんだよね……。
「隣、失礼しますね」
瀬奈が俺と同じマットレスに腰を下ろした。
このダイニングには一切の家具がないので、座ろうとしたらここしかない。
ちなみになぜ椅子も机もないかというと、一人だと使う機会がないからだ。
俺だけでカップラーメン食うならダイニングじゃなく自室のパソコンデスクで別にいいしな。食べながらパソコンでy○utubeも見れるし効率がいい。
「ふーっ、ふーっ」
かわいらしく口をすぼめて、熱々のお吸い物を冷ます瀬奈。
なんだろう、小動物みたいでキュートだ。アヒルとかそんな感じ。
俺も食べよう。お腹がすいた。
「う~ん、うまい。それにしても受験か……もうだいぶ前だから覚えてないなあ。文系? 理系?」
「私は文系です。科目は世界史を選びました」
「マジ!? 俺も文系の世界史だわ」
出汁の利いた透明なスープをすすりながら、瀬奈と会話する。
「世界史、あれ覚えること多くて大変だよなあ。キツくない?」
「大変ですけど、そこは浪人生なので。一年で大きく内容が変わるという事もありませんし」
「そっか。俺は好きだったから勉強できたけど、とにかく全部の範囲を覚えきるのに時間が足りなくて……冬は大焦りだったよ」
言葉を交わすたび、古い受験時代の記憶が蘇ってくる。
懐かしいな……。
あの頃は、頑張って入った大学でこんな事(二留)になるとは思ってなかった。
「世界史いいですよね。昔から伝記とか歴史マンガとかよく読んでたので、勉強してて面白いです」
「分かるわー。英語がめんどい時は世界史やって勉強した気になってた。楽しかった……でも今はもう全部忘れちゃったよ。あの人しか覚えてない、あのほら……ユスティニアヌス大帝」
名前しか出てこない。
何した人だっけ?
「東ローマ帝国初期の皇帝ですね。ニカの乱、皇后テオドラ、533年ヴァンダル王国征服、555年東ゴート王国征服、ササン朝ペルシアのホスロー1世とも戦いました。サンヴィターレ聖堂のモザイク画で広く知られています」
「あー! そうだモザイク画! 世界史の資料集に載ってたわ! なっつ!」
「ふふっ、思い出しましたか?」
「うん、マジでビビっときた。あんだけ必死に覚えたのに忘れちゃってんだもんなぁ……」
ははははっ――と、笑って気づく。
俺、こんなに笑ったのいつぶりだろう。
こういう風に、楽しく誰かとご飯を食べたのっていつぶりだろう。
受験生時代は、塾のカフェテリアで一人で飯を食っていた。右手にコンビニの惣菜パンを握り、左手で漢文のテキストを読んでいた。
味なんて覚えてない。気にもしない。
食物を、ただ口へと押し込むだけの作業だ。工場で作られたパンがそのままベルトコンベアで胃まで運ばれているような感じだった。
そうやって頑張って大学に受かったのに、そこでも結局留年してしまった。
大学にも行かず家で食事をしている時も、俺はずっと一人だった。
孤独だ。耐えがたい孤独。
コンビニ店員と会話をすれば良い方だ。一日中何も話さない日だって多かった。
スマホをスクロールするのに言葉はいらない。そうやって、一人ぼっちのまま時間が過ぎていった。
でも今は違う。
今、俺の隣には――
「……長塚さん」
瀬奈が、ぽつりと言った。
少し切なそうに、どこか寂しげに、目を伏せて。
「私、誰かとご飯食べるの久しぶりです」
「瀬奈……」
「変ですね、今までは一人でも全く気にならなかったのに。こうやって一緒にいると、昨日までのあれは何だったんだろうって――」
同じなのか。
瀬奈も、俺と、同じだったのか?
「えーっと、その……」
何かを言おうとする。何かを。
でもなんて言っていいか分からない。
瀬奈。夜道で出会った二浪の美少女。
模試の成績表を握りしめて泣いていた彼女は、今俺の隣に座っている。暖かな体温が伝わってきそうなぐらいの至近距離だ。
あの時は混乱して謎にチキンを渡してしまったけど、本当はもっと、ちゃんと別のことを――
「……うまいよ、このお吸い物」
散々迷ったくせに、ありきたりな事しか言えなかった。
多分、もっと他に言うべきことがあるはずだった。
気の利いたセリフを言ってあげなきゃいけなかった。
情けねえ男だな、俺って……。
「ありがとうございます。嬉しいです!」
「……っ」
それでも瀬奈は、ニッコリと花のように可憐に笑ってくれた。
……めっちゃかわいい。思わずドキッとしてしまった。
何これ。この子って天使なの? なんでこんな可愛い子が俺の家にいるんだ?
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