第3話 このままだと説得されちゃう
とりあえず、瀬奈は俺のベッドに寝かせた。
男一人暮らしの汚い部屋にあんな可愛い子を放り込むのは気が引けたが、仕方ないだろう。他に選択肢がない。
俺は夏用のマットレスを引っ張り出してきてダイニングで寝る事にした。エアコンはつけているが寒い。毛布の中にくるまる。
…………。
とんでもない事になってしまった。
今、隣の部屋では瀬奈が寝ている。数時間前夜道で出会ったばかりの、見ず知らずの女の子。
あの子は「私をこの家に置いてください!」と言っていた。冗談ではなく真剣な顔だった。浪人生活を続けるために、俺の家に居候したいのだという。
なぜ、あんなに必死になってまで、大学受験を続けるのだろう――
そんな事を考えながら寝たからだろうか。変な夢を見た。
夢の中で、俺は真っ白な空間にいた。具体的にどこ、とは表現できない。天井も床もない白い空間だ。
そこには光があった。
「――こんばんは、長塚大和」
その光が点滅する。え、誰?
なんか声が聞こえたぞ。こわ……。
「不安にならなくても大丈夫。私は――浪人と留年を司る神です」
ろ、浪人と留年を司る神?
ずいぶんマイナーでニッチな市場を攻める神様だなあ……。
「黙りなさい」
アッハイ。
その、浪人と留年を司る神様ともあろうお方が私に何の用ですか?
「二留したダメダメ大学生である其方に、私の加護を授けにきました。今、西園寺瀬奈という少女を保護していますね?」
まあ、保護っていうかなんていうか……。
「彼女は今はまだ二浪ですが、このままでは大学に合格する事はできません。どんどんと浪人を積み重ね、貴重な時間を無駄にし、ついには自らの人生に絶望してしまうでしょう。哀れなことですが……これも彼女の運命です」
そ、そんな……。
どうにかならないんですか!?
「終わりなき浪人地獄から彼女を救い出し、憧れのキャンパスライフへと導いてあげられるのは――長塚大和、其方しかいません」
俺!?
「そうです。其方は確かに、親の金で一人暮らしをしているクセに大学を二留して、ソシャゲ、y○utubeショート、tikt○kで毎日の時間を無駄にしている人間のクズかもしれませんが――」
言いすぎだろ! 留年生にも人権はあるんだぞ!
いやないか? ねえわ。アハハ。
「それでも、あの子を救えるのは其方しかいません。彼女と同じ道を歩み、その行方を照らしなさい。それが其方にできる、唯一の贖罪です――」
点滅する光が、だんだんと大きくなる。
俺の意識が丸ごと包まれ、明るくなり、そして――
「――ハッ!」
俺は目覚めた。
なんか、変な夢を見たような気がする……。よく覚えてないけど。
自分の家のダイニング。昨晩は寒いなあ~床が固いなあ~と思いながら毛布にくるまっていたが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。就寝用のアイマスクを外して起き上がる。
……ん?
よく見ると、俺の身体は毛布ではなくちゃんとした綿布団に包まれていた。
おかしい。この布団はベッドの方で、瀬奈が使っているはずなのに。
「おはようございます、長塚さん」
声がする。
「ぐっすりお眠りだったので、なるべく静かにしていたのですが……申し訳ありません、起こしてしまったかもしれませんね」
瀬奈だった。
キッチンの調理台に立って何か手を動かしている。
「西園寺さん……」
「瀬奈でいいと、昨日話したではないですか」
「そうだっけ」
まだ俺の頭には眠気が残っている。目を擦りながら、マットレスの脇のスマホを手に取る。
時刻は10:37分。
じゅ、十時台だと……?
「午前中に起きるの、何ヶ月ぶりだろう……」
「えぇ……?」
驚きのあまり言葉を漏らす。瀬奈はドン引きしているが、これは俺にとっちゃ歴史的偉業だ。
十時台に起きれれば昼には大学にいける。それができなくて落とした単位がいくつあったか……。涙を禁じ得ない。シクシク。
大学生が十時に起きるなんて普通は無理なんだよ。
嘘じゃない。本当に無理なんだ。
大学に入った途端、どうやって八時半に高校に登校していたのか分からなくなる。一人暮らしならなおさらそうだ。マジで無理。絶対起きらんない。
一限に入ってる必修なんて、もう確実に
「起こしてくれてありがとう……。ところで、何してるの?」
「料理です。これが一番――説得にはちょうどいいと思ったので」
「……?」
話しながらも、テキパキと手を動かす瀬奈。
「どうぞ長塚さん」
「えっと、はい」
マットレスの上に座ったまま、差し出されたお椀を受け取る。
その中に注がれているのは透明な液体だった。豆腐とカマボコ、それにホウレンソウが浮いている。
「これ……お吸い物?」
「そうです」
「作ったの? これ? 瀬奈が?」
「はい。どうぞ召し上がってください」
そう言って、彼女はニッコリと笑う。
マジか。これ作ったのか。
正真正銘、美少女の手料理だ。
俺が気まぐれに作るインスタントの味噌汁とは全然違う。子供の頃お婆ちゃんと行った料亭で出されたような、そんな雰囲気だ。
恐る恐る、一口すする。
「……う、旨い!」
豊かな出汁の風味。口内に広がる上品な旨み。
早起き(※十時台)した身体に染み渡る……。
「あれ、豆腐にカマボコって……こんな具材ウチにあったっけ?」
最近はもっぱら宅配とコンビニだけで食事を済ませていたので、冷蔵庫の中には酒ぐらいしかなかったはずだ。
「ついさっき、スーパーに行って買ってきました」
「え!? わざわざ買ってきたの!?」
「せっかくですし、長塚さんにはちゃんとしたものを食べてもらいたかったので」
歩いても近かったから平気ですよ、と瀬奈はサラリと言う。
「本当は出汁もちゃんとしたものを引きたかったのですが……さすがにそれには時間が足りず。残念です」
出汁を引くってなに?
俺なんて、たまに料理しても一番安い粉のやつしか使ったことないぞ……。
この様子だと、朝早くからテキパキと動いていたに違いない。
俺がグースカ寝てる間にも。なんか恥ずかしい。
「ご飯を炊いて他のおかずも作りたかったんですけど、炊飯器のお釜とかフライパンがなくて……どこにしまってあるんですか?」
「釜とフライパン? ああ、そういや捨ててから新しいの買ってないや」
「捨て……え?」
「いやあ、なんかカビが生えちゃってさ。掃除すんのも面倒で……そんで捨てた」
信じられない……という顔をする瀬奈。
だって仕方ないじゃん! カビが緑色になっててなんか怖かったんだもん!
「ま、まあ、いいです。それで――昨日の件は考えていただけましたか?」
「昨日の件?」
「もう、惚けないでください」
スッと、瀬奈は優雅に膝を折って、俺の顔を覗き込んでくる。
いや顔が近い、顔が近い! 睫毛なっが!
「昨日お話した、『私をこの家に置いてもらう』という件ですよ」
「――っ!」
そこまで言われて、ようやく俺はどうして瀬奈がこんな料理を作ったのか理解した。
「説得にはちょうどいいと思ったので」って、そういうことかよ。
瀬奈は、俺が彼女の提案にあまり乗り気でないのを察していたのだろう。
自分の生活能力の高さをプレゼンして俺を説得するつもりなのだ。
「お吸い物、どうです? おいしいですよね?」
「えーっと、うん。おいしいけど、それとこれとは話が別で――」
「ふふっ、なら良かったです」
クスクスと、口元を手で隠して上品に笑う瀬奈。かわいすぎる。
ヤバぁーーーーーい!
俺このままだと説得されちゃう! 誰か助けて!
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