8・追憶<おまじないと別れ>

     ◆


 十五歳の誕生日。

 今年も彼に会えると思うとドキドキして、数日前から眠れなくなった。

 何を話そう。どんな服を着よう。何を訊いたら、たくさん答えてくれるかな。

 何かをあげるのは掟に反すると知ったから、物じゃないプレゼントを考えた。


 ……幸運のおまじない?

 はい。かけてもいいですか? 精霊の加護が得られるおまじないです!

 

 見上げる私の瞳はたぶん、満天の星空よりもきらきらしていたに違いない。

 すぐ終わるなら、と消極的な了承を得て、私は彼を少し広い雪原へ連れ出した。


 久しぶりに裸足で雪の上に立つ。服装は白いシンプルな木綿のワンピース。四季折々の花を取り混ぜて作ったドライフラワーの花冠を頭に乗せて、髪は結ばずおろしておく。


 魔女と精霊の言葉を呟きながらつま先で雪をなぞると、銀色の軌跡が微かに走る。消えないうちに踵で素早く回り、円を作る。大きな円の中に小さな円。右に、左に、円の中に円。繰り返すうちに段々、花模様に似たものが出来上がる。

 右手と左手も、空中で別の動きをして、また違う文様を象っている。普通の人間が見たらきっと、同じ場所でくるくる回る踊りをしているのだと思っただろう。


 魔法陣だ。最後の軌跡を閉じて陣が完成すると、私は花冠の中で眠りについていた花の精を目覚めさせる。花は芳香を放ち、次々と色鮮やかに蘇る。編み込まれて強く結束した花の精たちは、四季を越えた喜びで輪を作り踊り出す。本来なら出会えないものに出会えた幸運が生まれる。


 陣の中で一緒に踊り、同じ幸運を身に満たした私は、花の精たちにお礼を言って陣を切り解き放つ。花冠はもろく崩れ去り、私は少し離れた場所で見ていた彼の許へ駆け寄って、右手と左手を下から掬い上げる。両方の手の甲に額を寄せ、魔女と精霊の言葉で祝福を唱えてから、それぞれの手の甲にキス。

 おまじないはそれで終わりだ。

 

 ……今の、魔女の仕事か?


 私が息を整えていると、ずっと黙り込んでいた彼がそう尋ねた。


 祝福の魔女ならそうかも。私はブランデーの魔女になるから、たぶん、特別に頼まれた時にしかやりません。

 ……へえ。


 彼は手の甲を見て、きらきらしてるな、と呟いた。


 なんの効果があるんだ。

 えーっと、花の精の幸運の加護だから……。


 詳しく説明しようとすると、魔女の専門用語が飛び出す羽目になる。

 私はちょっと考えた後、花を見ると元気になります。と答えた。


 十六歳の誕生日、彼との別れの日。


 今思えば不思議なのだけれど、私はクランプスが十六歳までしか来ないという情報を、いつの間にか脳味噌の外に放り投げてしまっていたらしい。

 考えてみれば当たり前なのだ。普通の人間だって、いつまでもクリスマスプレゼントをサンタクロースからもらい続けたりしない。

 なのに、どうして永遠にこの時間が続くと思ったのだろう。


 私は最初のうち、いつもみたいに上機嫌だった。

 顔を合わせるなりクランプスに、お花の幸運の効果はあったかと尋ねた。

 彼は少し考えてから、独りごちるように言った。


 毎日が春みたいだったな。

 えっ、そんな効果が?

 花がやたら目について……


 そこで言葉を切り、間を置いてから、急に別のことを言う。


 町で君を見た。

 ええ! 本当ですか! どこで? フランクフルトかな……。

 さあ。


 はぐらかされたので、私はいくつか候補の都市を言ってみたけれど、教えてくれる気はなさそうだった。普通の人間の姿をした彼とすれ違っていたのかもしれないと思うと、今さらながらすごく緊張してしまう。


 魔法で変装していたのに、気付いてくれたんですか。

 ああ……じゃ、別人だ。

 そんな!


 黒玉ジェットを返すよう言われ、いつものように差し出す。

 そのまま新しいものが掌に置かれるのを待っていたら、彼は一瞬、何かを取り出すそぶりをしたのだけれど、そのまま動きを止めてしまった。

 

 エルナ、黒玉ジェットの交換は終わりだ。

 え……。

 君は十六歳になった。来年からもう来ない。


 私は目を見開いた。

 そういえば、今の今まで忘れていたけれど、昔お師様が、そんなことを言っていた気がする。

 黒玉ジェットは邪霊に襲われやすい、不安定な子供の魔女にだけ届けられるもの。

 一人前と見做される十六歳になったら、もう不要なのだ。


 ……じゃあ、元気で。


 絶句する私にそんな短いひと言を告げただけで、クランプスは帰ろうとする。

 待って、と言いたかったけれど、喉からすぐに声が出なかった。


 終わっちゃうの?

 七歳からずっと、毎年楽しみにしていた、特別な一日。

 それが、こんな風にあっさりと、なんでもないことみたいに。


 この別れが最後だなんて、嫌。

 でも、このままだと、終わってしまう。

 嫌だ。


 どうしたらまた会えますか……?

 

 言葉を絞り出し、背中に向かって尋ねた。

 消え入りそうな声だったけれど、それは辛うじて彼の耳に届いたらしい。

 足を止めて少しこちらを振り返り、間を置いてから、彼は静かに呟いた。

 

 ――君が俺を見つけたら。

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