4・追憶<邪霊>

     ◆


 十歳になると、私は魔女として急激に成長し始めた。

 魔女の魔法のほとんどは、精霊が豊富な古い森の中でしか使えない。

 せっかく魔法を覚えても誰かに見せる機会があまりないので、ちょっとつまらない気持ちだった私は、クランプスが来る日はここぞとばかりに張り切った。

 

 窓から魔獣の姿を確認するなり、寝間着姿に裸足で雪の上へ躍り出る。靴は嫌いだし、暖炉の精にぬくもりを貸してもらっていたから、ちっとも寒くないのだ。


 黒玉ジェットを交換するまでクランプスは帰れないことに気付いた私は、先に次々と魔法を披露してみせた。氷の精に雪玉を作らせたり、光の精をかき集めて夜空に散らしたり、ヤドリギの種子を発芽させてみせたり。


 クランプスはいつも、最初のうちは黙って眺めている。

 やがて私の背後に近付くと、首からお守り袋をひょいと奪い、中の黒玉ジェットを勝手に交換してしまう。

 そして問答無用で私を抱え上げ、家の中に放り込み、鹿や猪やオオヤマネコといった動物たちで戸口を封鎖して、帰っていくのだった。

 

 私はいろんな動物が登場するのが楽しくて、来年は何をしようか考えて、一年間せっせと魔法の研鑽を積んだ。十一歳の誕生日も、おおむね同じように過ぎた。


 十二歳の時、忘れられない事件が起きる。


 その日、私はある計画を胸に秘めて、クランプスを待っていた。

 まず、何食わぬ顔で黒玉ジェットの交換を終える。

 わがままを言わず、家の中に入る。

 次の瞬間、猛ダッシュして三階の屋根裏部屋まで駆け上がり、大きく窓を開け放つと、外へ飛び出したのだ。


 魔女が箒で空を飛ぶという有名な話、あれ実は、完全なるフィクション。

 魔女は空を飛ばないけれど、精霊の力でそんな風に見せかけることはある。


 私は一番初めに仲良くなったヤドリギの精の力を借りて、高いところから飛び降りる遊びを発明していた。先にヤドリギの種子を落とし、自分も後を追うのだ。

 心の中で呼びかけると、ヤドリギは種子を爆発的に成長させ、例の大きな丸いボール状の姿になって、落ちてきた私をクッションみたいに受け止めてくれる。


 だから私は、危険がないとわかっていて、それをやった。

 使えるようになった魔法を見せて、驚かせたくて。


 魔獣になり夜空に駆け上がったところで、彼は窓の開く音を聞いたのだろう。

 こちらを振り返り、突然姿を消した。

 実際は消えたんじゃない。稲妻のような速さで、私に向かって飛んできたのだ。


 間近で変身を解き、私を腕の中に抱え込むと、彼はそのままの速度で家の壁に激突した。ものすごい衝撃音に息を呑み、私は夢中でヤドリギの精を呼んだ。大きく膨らんだ葉っぱのボールは私たちを受け止めて、すぐにぺしゃんこになった。

 

 私を胸に抱えたまま、クランプスは動かない。

 だらりと重く垂れる腕の下から必死に這い出て、月明かりに照らされる家の壁を見て、私は息を呑んだ。


 赤い血の筋が地面まで続いている。

 仮面の角は一本折れていた。体を揺すってみたけれど、反応がない。


 私は震えた。

 雪で銀色に輝いている森へ向かって、駆け出した。


 お師様! お師様!


 叫びながら樹々の合間を縫って走った。滑って転んで泥だらけになった。

 裸足で氷を踏んで肉がえぐれ、真っ白な雪の上に点々と血が飛び散る。


 誰か!


 闇雲に助けを求めていた時、突然、その存在に気付いた。

 暗闇から誰かが私を見つめている。怖くて昏い、大きな悪いもの。

 いつの間にかすっかり囲まれていた。複数いるのではなく、長い体でぐるりと取り巻かれているのだ。


 逃げ場がなく固まっているうちに、木陰からぬっと、巨大な蛇の頭が現れた。

 暗緑色の鱗。まだら模様の眼。


 邪霊だ。

 姿を見たのは初めてだったけれど、狙われていると知って、私は確信した。


 震える手でお守り袋から、さっきもらったばかりの黒玉ジェットを取り出す。

 蛇が大きく顎を裂き、頭上から飛びかかってきた。勇気を振り絞って黒玉ジェットを投げつけたのに、目の前が真っ暗になるほど影が迫って、雪の上にへたり込む。


 鋭い風が鼻先を通過し、急に視界が開けた。


 横に吹っ飛んだ蛇の喉元に、角の折れた鋼色の魔獣が噛みついていた。

 鈎爪のある足でもがく蛇の胴体を引き裂き、押さえつけ、容赦なく噛み砕く。

 山鳴りのような断末魔を上げ、蛇が炭化した丸太になって、ボロボロと崩れた。

 

 変身を解いたクランプスが、少しふらつきながらこちらへやって来る。

 途中で雪の中から何かを拾い上げた。輝きを失った黒玉ジェットだ。

 怒られることを覚悟して、彼が差し出した手にびくつき、目をつむった。

 頭に優しく手を置かれた。


 ――黒玉ジェットを投げたのか。いい判断だ。お陰で簡単に倒せた。


 泣きじゃくる私を抱き上げ、雪道を戻りながら、私を落ち着かせようとしたのだろう。彼はいつもよりずっと、いろいろなことを話しかけてくれた。


 中世の魔女じゃあるまいし、何かあった時には森へ駆け込むよりまず電話だ。衛星通信の携帯端末を買ってもらえ。辺境で活動する奴は皆持ってる。

 さっきのはリントヴルムという竜の一種だ。冬至が近付くと巨大化して狂暴になるが、他の季節なら黒玉ジェットがあれば大丈夫だから安心しろ。

 魔法を見せようと思ったのか? なんだ、騙されたな。

 死んでない。気絶しただけだ。

 怒ってない。角なら治る。

 ああ、来年もまた来るよ。

 

 私は途中で泣き疲れて眠ってしまい、気が付くと寝台の中にいた。足には薬草の湿布が貼られて、きれいに手当てされていた。

 夜中に呼び出されたとぼやきながら、お師様が朝食を運んできてくれる。


 お守り袋の中には、新しい黒玉ジェットが入っていた。

 その一年間ずっと、クランプスの怪我が気がかりだった。

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