5・薬局にて
大きな町へ出てきた時、私はいつも森の家へ帰る前に、魔女商品の売れ行きを確認しておくことにしている。
大学を出て賑やかな大通りから脇道に逸れると、辺りは急に静かになった。
Aのアルファベートと蛇が絡みついた杯のマークの組み合わせを見つけ、ガラス扉を押し開ける。処方箋を取り扱う調剤薬局だ。
ドイツは薬局の歴史が古くて、世界で一番薬品の管理が厳しいと言われているらしい。フランクフルトのような大都会にも、地元に馴染んだ昔ながらの調剤薬局があちこちに存在していて、大抵の魔女は国の許可を得た上で、そういう店と魔女商品の委託販売契約を結んでいるのだ。
魔女商品の購入に処方箋は必要ないけれど、ほとんどの品物に年齢制限があり、依存防止のために購入記録を確認する必要があるから、仕組みが整っている調剤薬局に対面販売をお願いするのが、一番都合がいいのよね。
私はコートのポケットから、魔女商品生産業者のIDカードを取り出した。
カードには顔写真や本名と共に、魔女としての商標登録名が記載されている。
‶ブランデーの魔女〟
「こんにちは。商品の売れ行きを伺いたいのですが……」
レジカウンターへ近づくと、薬棚の方を向いていた薬剤師の女性が、IDカードを見てすぐに私だと気付いてくれた。
「あら、ブランデーの魔女さん、ちょうど良かったわ。最近売れ行きがいいのよ。特に‶恋のブランデー〟がね」
女性は喋りながら奥の部屋へ行き、何本か小さな瓶を抱えて戻ってきた。
ミニボトルに詰められたブランデーだ。それぞれ違うラベルが貼られている。
‶恋のブランデー〟‶追憶のブランデー〟‶安らぎのブランデー〟
「この三種類を追加でお願いできるかしら」
「わかりました。‶恋のブランデー〟は多めに作っておきますね」
「これ、いいわよね。実は私も買ってるの」
ひそひそ声でそんなことを言われて、私は少し怯んだ。
「あ、ありがとうございます。先代の時と効果に変わりはないですか?」
「そうねえ。あなたがまだ若いからかしら。見る夢も少し若くなったというか、爽やかで……ちょっと甘酸っぱい感じで、私は好きよ。気持ちが若返るじゃない?」
うふふと頬に手を当てて笑う彼女がどんな夢を見ているのか、かなり気になったけれど、そんなことを訊いたら墓穴を掘るだけだ。他にも細かい用事を済ませてから外へ出ると、風の精霊がやってきて、冷たい手で頬を撫でていった。
‶恋のブランデー〟を飲んで寝ると、夢の中で好きな人に会えるという。
私が開発したわけじゃない。レシピを受け継いだのだ。
実を言うと魔女は、ドイツのマイスター制度に組み入れられた技術職だったりする。ちょっと特殊な例外がたくさんあるけれど、師匠に弟子入りして専門的な技術を学ぶという基本スタイルは、他の業種と全く同じでしょ?
魔女の家はそれぞれが工房でもあって、伝統的な技術を継承しながら、国に認められた魔女商品を専門的に製造販売している。
うちの場合はそれがブランデーを使った商品で、その中にたまたま中世由来の、ちょっぴりいかがわしさが残る品が紛れていたというわけ。
五、六歳頃に弟子入りした魔女の卵は大抵、十六歳で師匠から学び終え、国家認定試験に挑戦する。合格すれば、魔女商品を製造販売するための資格が得られるし、工房を継ぐこともできるようになるのだ。
お師様は、私が資格を取った途端に‶ブランデーの魔女〟の座をさっさと譲り渡し、複数いた恋人の一人と結婚して、森を出て行ってしまった。
自分の力をコントロールできるようになった大人の魔女は、そうやって弟子を育て上げた後、普通の人間の暮らしに戻ることが多い。過酷な幼少期さえ乗り越えれば、魔女は確実に手に職をつけ、引退後も弟子からの礼金と国の年金で食べていける、なかなか手堅い商売なのだ。
私は十六歳で‶ブランデーの魔女〟となり、今は十七歳なので、実を言うと、自分で作った商品をまだ飲んでみたことがない。
ドイツでは、保護者同伴なら十四歳からビールやワインを飲むことができるし、十六歳からは同伴無しでも可能になる。
でも、アルコール度数の高いブランデーが飲めるようになるのは、成人年齢の十八歳になってからと法律で決まっていた。
作りながらこっそり飲むこともできないよう、‶ブランデーの魔女〟の弟子は、成人するまでブランデーが飲めない魔法を、師匠にかけてもらう伝統がある。
魔女の弟子になる以前の記憶も、成人の証であるブランデーを飲んだら蘇るという、合理的な仕組みになっているのだ。
今年の十二月五日、あと二ヶ月ほどで、私は十八歳。
その時には‶恋のブランデー〟を飲んでみようか、ちょっと迷っていた。
夢の中で好きな人に会うって、一体、どんな感じなんだろう?
さっきの女性は幸せそうだった。あんな風に幸せな気持ちになるなら、私も飲んでみたい気がする。
夢の中だったらクランプスは、仮面を外してくれるかしら。
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