第56話 米企業が求める理想の社員とは?
さて、アメリカの企業で採用された1日目。
日本企業ではちゃんと新入社員用のオリエンテーションがあって、細かい説明をして質問にも答えてくれる人がいた。ところが、真奈の入ったアメリカの企業は、一言で言ってとてもカジュアルなところだった。
「ここがあなたのデスクです」と教えてくれた人はいつの間にかどこかへ消えてしまい、自分のデスクに座ったはいいものの、
「きょうは何をすれば良いのだろう?」と、誰かからの指示を待っていても誰も現れない。
周りの人に聞いても皆ドイツ人のエンジニアばかりで、日本人通訳の真奈が何をすれば良いのかなど誰も何も知る由はなかった。
だから、真奈にそこで働くことを懇願していた副社長の姿が見えた時、彼女はほっとした。すぐ彼の後を追って、何をすれば良いのか聞いてみた。彼こそはすぐ指示してくれるだろうと信じていたからだ。
ところが、こちらの意に反してこの副社長さん、
「イヤー、申し訳ない。きょうはこれからドイツに向かうところで時間がない。実は、通訳の必要がない日に君をどう使うかまでまだ考えていなかったのだ。僕が戻って来るまで、周りの人の仕事でも手伝っていてくれないかな?」と言う。
仕方なく周りの人に聞くと、皆コピーをして欲しいと頼んできた。
だから、なんということはない。真奈は通訳として雇われたのに、毎日コピーや書類整理ばかりをしていた。
ある日、書類が保管されている部屋で書類整理をしていると、なんとまだカスタマーから支払いを受けていないままになっている請求書が山ほど見つかった。すぐさま、例のレストランで彼女を説得しようとしたアメリカ人女性に伝えたが、彼女には、
「今、インボイス担当の人はバケーション中でいないわ。請求書はあなたの仕事ではないのだから心配することはないわよ。その人がなんとかするつもりでしょう」
と、簡単に片付けられてしまった。
たとえ他人の仕事であっても、同じ会社の社員ということで責任を感じてしまう日本人にとっては信じ難いほどの気楽さだった。この辺りが、アメリカの労働組合がdivision of labor(分業)と呼んで一線を置くところなのだろう。
ジュディがまだ生後数ヶ月の時に日本から戻ってきて、最終目的地のデトロイトはまだまだ遠いので、サンフランシスコで2、3日滞在したことがあった。
オムツなどの荷物が一杯あったので、タクシーの運転手に荷物をホテルの入り口まで持って行くのを手伝ってもらえないかと聞いたら、自分はタクシーを運転するのが仕事だから、そんなことはできないと断られたことがあった。
驚いた顔をすると、下手に手伝って何かを落として壊してしまったりした時に、仕事外のことだからと、タクシー会社も責任を持ってくれないからだと運転手は説明してくれた。
どうもその辺りがアメリカで分業の責任が主張される根拠となっているようだ。
やっとドイツから戻ってきたボスを捕まえたが、なんと彼、今度はフランスに行くのでまた時間がないと言った。そんな感じでコピー係としての仕事ばかりが延々と続いていた。
コピーをするだけで通訳のお給料をもらうのに気が引けてきた真奈がアメリカ人の同僚にそう告白すると、
彼はこう言った。
「マナ、何を言っているの?することがないのにちゃんとお給料だけは毎月もらえる仕事なんてそんなにあるものじゃないよ。最高じゃないか!」
しかし、真奈はなぜかあまり最高とは思えなかった。アメリカナイズされている反面、まだまだ日本的なところが十分に残っていたのだ。
やっとある日、ボスであった副社長のメールをチェックするようにと、コピー以外の仕事を与えられた時は、飛び上りたいほど嬉しかった。
その中に日本のカスタマーからのメールが入っていたので、
「これからは、返事が日本人に分かり易いように、私が日本語で書きましょうか?」
とボスに提案してみた。
それに対するボスの言葉がまたユニークだった。
「ダメダメ。日本人のカスタマーは日本語でも大丈夫となると、喜んで君のところへ日本語でばかりメールを入れるようになってしまうだろう。以前日本人を雇った時にそういうことが起きたんだ。その日本人のお陰で僕が全く無視されてしまって・・・。だから、日本人のカスタマーには君の存在は知らせたくないのだよ。だから、君は僕の『秘密兵器』さ」
そんな感じで秘密兵器?の退屈な仕事は続いた。
後にわかったことは、アメリカの会社では会社にああしろ、こうしろと言われるのを待っているような従順な社員より、自分が何をすれば一番会社に貢献できるかを自分で考えて、会社にどんどん提案し続けるぐらいの意欲のある積極的な社員が理想的な社員なのだそうだ。
アメリカでは、頼れるのは自分しかいないという冷えた現実を今一度認識させられたのだった。
真奈はそこまで気付かず、日本の会社のように十分な指示がないことを不満にばかり感じていた自分が恥ずかしくなった。
正に、アメリカの企業の真っ只中に入り込むことで、両国文化の大きな違いを身をもって実感することができたのだった。
To be continued...
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