番外編3 市場へ行こうよ。
夜道を疾走する馬車の中で、アーデンは考えていた。
(早めに手を打たなくては計画が狂ってしまう!)
もしもロイの商売の種がソレならば、このまま商売を続けた場合に迎える結末が酷すぎた。一刻も早く宿に戻り、とあるリストを確認したかった。が、馬車の体感が遅くて仕方がない。もっと、もっと速度をーー
「旦那ぁ、良いんですかい?こんな飛ばして!!」
苛ついていたところに、耳をつんざく御者のマリオの声がした。「こんなに飛ばして」だ?急ぐあまりにアーデンの何かがプツリと切れた。多分、理性とかそんなのが。
「あぁ!構わん!!もっと出せるか!?」
御者台のマリオは驚いた。諌めるつもりが予想外の答えが返ってきたからだ。おまけに見た事もない笑顔つきだ。小窓から覗く主は「もっと速度を上げろ」という。舗装の悪い路面のおかげで車輪が悲鳴をあげているが……
「お任せくだせぇ!!地上最速の馬車っすから!!」
マリオも中々にアレな人物だった。なんのために諌めたのか、あっさりと提案を受け入れ速度を上げた。真っ暗な道を「ヒャッハーーー!!」という奇声と共に駆けていった。途中馬車がバウンドし、何度かアーデンは天井に頭を打ちつけそうになったが「速度を上げろ」と言った手前、苦情は言わなかった。そして、限界まで速度を上げた馬車は、あっという間にアーデンの宿に辿り着いた。
「旦那ぁ!着きましたぜ!!」
マリオはそういうと、振り向いて小窓に向かって誇らしげに親指を立てて見せた。確かに最速の名にふさわしい、見事な走りだった。馬もヘトヘトだが、御者も心なしか青い顔をしている。悪路の所為で酔ったのだろう。
「あぁ、ありがとう!今日はゆっくり休んでくれ!」
そう言って飛び出したアーデンも青い顔をしていた。この日以降、二人は二度と馬車の限界に挑むことはなかったという。
馬車を飛び出した勢いそのままに、宿をロビーを駆け抜けた。途中で何人かの従業員に声をかけれれた気がしたが、構うことなく階段を駆け上がった。部屋に辿り着くと、大きな旅行鞄を開ける。その中にある一冊の手帳を探し出すと、乱暴にページを捲った。目当てのページを開くと、アーデンはその場にへたり込んだ。
「これはいけない……!!」
なんとか立ち上がると、地図を開いて市場の場所を確認した。そして、鞄の中身を弄ってメガネと帽子を見つけた。そして、風呂を済ませ明日の衣装を用意するとベッドへと潜り込んだ。
まだ陽が出ない、薄暗いポタリーの街は早くも活気付いていた。公園で開かれる市場のせいだ。元々、街の外れに市場があったのだが「不便だ」という声があがり移転する事となったがーー移転先で揉め、臨時的に街のど真ん中の公園に露店を広げる形で開場している。
「おねーちゃん、このトマトどうだね?」
「一皿百ノーブルでどうだい!なんならもう一皿オマケするよ?」
「キノコどうだい?キノコ!美味しいよぉー?」
キャスは活気に呑まれながら、露店を見てまわっていた。ミントンに居た時も市場があって、買い出しにも行った事があった。が、なんだろうか。随分と騒々しいというか……早朝のテンションではない。あとは物価が異様に安かったので、今後の生活も苦にはならないかもしれない。そんな事を考えていた。
「で、肝心のーー」
キャスの目的はロイの露店だった。アルから話を聞いて以来、ポツリとミランダが「美味しいのかしら?」と洩らすので、気になって探しに来たのだ。
が、彷徨わせた視線の先に現れたのはロイではなく。全身黒づくめで背の高い人物だった。スラッとした体型で、つばの広い真っ黒な帽子を目深に被り、目元は黒縁の大きなメガネ。これまた大きな付け鼻、トドメに左右がくるんとした見事なカイゼル髭。なぜ付け鼻か分かったかって?メガネと一体型らしく、傾いていたからだ。ヒゲも鼻にくっついているのだろう、やはり傾いていた。
「…………」
キャスは言葉を失った。「なんじゃありゃ!?」と叫びたかったが声が出ない。変装か?仮装か?正気の沙汰か?混乱しているうちに、不審者がキャスの視線と様子に気付いた。そして一気に距離をつめた。
(何っ!?)
ミランダの護衛も兼ねているキャスだが、呆気に取られていたとはいえ易々と距離を詰められる事はない。ところが、息のかかるくらいの距離に不審者の顔があった。
「私です、キャスさん」
小声で囁かれたが、キャスには誰か判らなかった。そりゃそうだ、変な仮装、というか鼻メガネのお陰で正常な思考が奪われている。ついでに言えば、こんなものを装着するセンスの人間を知らない。間近で見れば見るほど、珍奇な顔だ。が、メガネの奥の鮮やかな緑の瞳はこちらを見つめている。珍奇なクセに、なんか品があるような?
(どこかで見た様な……)
思い出そうにもメガネが邪魔をする。綺麗な瞳、それを縁取る銀色のまつ毛。誰だ、そのメガネを取れ!なんか思い出せそうなのに邪魔だ!あぁもう、陽気そうにカールしたヒゲが癪に触るっ!
「アーデンです」
キャスは意外な名前に驚いた。アーデン?昨日あった美男子?それが今、珍妙な格好で目の前にいるコレ?驚きのあまり「えーーー」という、なんの感情もない声が漏れた。驚きすぎて感情が消えたようだ。キャスはスーハーと深呼吸を数回して、少しだけ冷静さを取り戻した。あらためてアーデンを、よーく見た。つくづく何してんだ、コイツ。
「驚かせて申し訳ない。ですが、変装は成功の様ですね」
(成功か?これ)
確かに誰かは判らなかった。アーデンは満足そうにしているが、傍目には不審者に絡まれるキャスという画ができていた。実際、数人が「警察呼ぼうか」などと囁いていた。
「あの、失礼ですが……その変装を解かれては?どうやら不審者と思われている様です」
そこでようやくアーデンは事態を飲み込んだ。
「警察はいけません!ですが、ここではまずい……キャスさん、こちらへ!」
黒い革の手袋を嵌めた手を差し出した。その手を掴むと、アーデンはキャスを促し二人は茂みに身を隠した。
「で、一体なんの真似です?」
茂みから市場の様子を伺うアーデンとその後ろで冷ややかな目で見つめるキャス。一向に目的が判らないので、思い切って聞いてみた。
「ロイ・ウッドを探しているのです。今朝、聞いてみた話だと彼はいつも……そう、丁度あの辺に露店を出すとか」
そう言って噴水の辺りを指差した。「今朝、聞いた」とは、あの格好で聞き込んだのだろうか?鋼の精神の持ち主、キャスはそう思った。で、肝心のロイは?
「居ませんね」
「その様だ」
隣に座り込んで指差す方向を見たが、何もない。横を見ればアーデンが「なぜだ?」という顔をしている。可能性としてロイに「朝から不審者が探している」という情報が伝わったのかもしれない。もしキャスがロイの立場でその話を聞いていたら、回れ右して帰るだろう。
「今日はもう来ないのでは?」
「そうか、それなら良いんだ」
そう呟くと心底安心したように息を吐いた。なぜ安心しているのだろう?キャスが訝しげに見つめると「意外かい?」と尋ねられた。その通りだったので頷いて肯定した。
「彼の商売を邪魔しようとしたんだから、意外でもないさ」
「邪魔?」
ますますアーデンの目的が判らなかった。
「彼が居ないならそれでいい。私はこれで失礼するとしよう」
メガネをとり、帽子を脱ぐと豊かな銀髪が流れ出た。ようやく昇ってきた朝日を受けてキラキラと輝くそれは、キャスの目を奪った。ポツリと「美しい……」と呟いて、慌てて口を手でおさえた。アーデンに目をやれば気付いていない様で、ホッとした。
「それではまた、今夜」
帽子にメガネを放り込むと、そのまま被り直した。メガネが大きすぎてポケットに入らないのだ。なんと間抜けな!
が、そこは美男子。優雅に一礼すると、アーデンは踵を返した。頭にメガネを載せているなど微塵も思わせない足取りで。暫くその後ろ姿を見つめていたキャスに、またしても絡んでくる輩が現れた。
「そこな娘よ、聞きたい事があるのだが」
後ろから古風な言い回しで話しかけられた。渋い声からして、高齢の紳士の様だ。振り向くと、キャスは声と見た目のギャップに度肝を抜かれた。
「ここが市場で相違ないか?」
「ぁ……えぇ……へぇ」
ようやく絞り出した回答は意味不明な物だった。無理もない、渋い声と言い回し、絶対に紳士だと思ったのだ。ところがどうだろう?
「あらヤダ、アタシの美しさにビックリしちゃったー?ごめんなさいねぇ、美しすぎてー」
長身の、おかっぱ頭のオネェが立っていた。しかも髪の毛は目に厳しいピンク色で、いく筋か緑色の髪が混じっている。手足はスラリと長く、綺麗な指の爪は髪と同じピンク色。服装はといえば、素肌に黒い毛皮のロングコート。腰にはゴツいベルトが巻かれ、ピッタリとしたタイツのように見えるパンツ。更に赤・橙・黄の三色で炎の様な模様が描かれたド派手な長いブーツを履いている。ミントンでも奇抜な格好の住人が居たが、ここまでとなると出会った事がなかった。寒いんだか暑いんだか判らない出立云々よりも、だ。
「不審者ですか?」
「失礼ね!アタシのどこが不審者よ!!」
(全身くまなく)
心の声は心にしまっておいた。口に出したら絶対に厄介ごとになる確信がキャスにはあった。やっと顔に目を向けることができたので観察してみる。彫りの深い顔で、髪型さえ変えれば、多分それなりに美形、かもしれない。眉毛は薄く、ほぼ無いに等しい。その代わりか、まつ毛は長く濃かった。うーん、ひょっとしたらクドい顔かもしれない。
「で、ここ。市場で良いのよね?」
「はい、そうです」
そう答えると、顔のクドいオネェは顎に指を当て考え込んだ。逃げるなら今だろう、回れ右しようとすると肩をガシッと掴まれた。その握力のつえー事ったら!堪らずキャスは小さく悲鳴をあげた。
「あら!?ごめんなさい、加減が分からなくて……やっぱダメねぇー」
すぐにオネェは手を離したが、直ぐに痛みが引く筈もなく。肩を摩りながら「一体なんですか」と疑問をぶつけてみた。
「ここで変な野菜売ってる、冴えないオッサンが居るんだけどね?そのお店ってどれかなー、って。知らない?」
(それって……)
「ロイ・ウッド、ですか?」
「ほう!小僧を知っておるのか」
「えぇ、まぁ……」
知っていると言えば知っている。が、裸を見せられた事と、平手打ちで気絶させた事。挙句、警察に引き渡したとは人様に言えた話ではなかった。言葉を濁すキャスを、オネェは探るような瞳で見つめている。
「多分、一応、ギリギリで知り合いでしょう。でも、私もここに来たのは初めてで……」
「なーんだ、アンタも初なの?」
「はい。なんでも、あの辺で売ってるらしいです。けど……」
先程のアーデンよろしく噴水の辺りを指差した。が、露店はなく「おや、今日はお休みかしら」「アレの漬物がないと困る」だのと嘆きぼやく老人が数人居た。老人達は、他の露店へは目もくれず、とぼとぼと帰っていった。その様子を眺めていたオネェは「やはりな」と一際渋い声で呟いて、何が面白いのか意地悪そうに笑った。
「娘よ、名前は?」
「え?あ……あぁ、キャスです」
「どこかで聞いた様な……まぁ良い。キャスよ、助かった。礼を言うぞ、ありがとう」
そう言い残すとオネェは毛皮のコートを翻して、颯爽と去っていった。アーデンとは真逆の方向に向かって。
「……厄日か」
すっかりと疲れ果ててしまった。奇行に走るアーデン、変なオネェ。早朝から相手をするには気力が要る人種達だった。特に後者。何だったのだろうか?アレは……
「そういえば、名前を聞いてない」
自分だけ名乗って、聞きそびれた事に気づいた。あのヘンテコな人物の名前が、急に気になってきた。一体どんな名前だろうか?割に平凡だったら面白そうだ。そんな空想をしながら、露店を巡り、安さに感激し。山ほどの荷物を抱えて帰る頃には、ロイの事などすっかりと忘れていた。
そしてその日の夜、宣言通り現れたアーデンだったがーー
「どうかしましたか?キャスさん」
「いえ、何も?」
視線を合わせようとしないばかりか、小刻みに震えるキャスが気になって仕方なかった。
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