第9話 叔父さんと、来訪者。
夜のカーライル邸に張り詰めた空気が流れていた。
「と、いう訳だったのです」
「まぁ……!!」
深刻な様子で項垂れるアーデンに、これまた深刻そうに両手で口を覆うミランダ。
「しょうもない」
そんな二人とは対照的に、底冷えする程に冷たい目をしたキャス。アーデンから告げられた事実がしょーもない真実だったため、口からついて出た言葉だった。
「そう言わないでくだせぇ、キャスさん。旦那はロイってーー」
「マリオ」
項垂れていた癖に、急に顔を上げると一瞥で「マリオ」と呼ばれた男を黙らせた。後ろに侍っていたマリオの顔が一瞬にして青ざめたが、マリオは咳払いを一つすると話を続けた。
「ロイ『様』の事になるとポンコツになっちまうんですよ」
「ポン……?」
「コツ??」
ミランダとキャスはそれぞれマリオの発言を反芻した。「ポンコツ」?今、主人のことを「ポンコツ」って言った??この人。御者らしいが、こんな言われ様で何で怒らないのかな?アーデン。
(しかも、呼び捨てに怒った?)
来るたびに謎しか生まない人物だと思いながらも、キャスは黙って話を聞く事にした。
「マリオの言い分も尤もなのです。えぇ、確かに私はそう、ローちゃん……」
(ろーちゃん??)
ミランダとキャスは互いに顔を見合わせた。話の流れから察するに、ロイ・ウッドなのだろうが……知り合いだろうか。
「失礼、ロイ・ウッドが絡むと正気を失う様です」
さらっと言ってのけると、力無く笑った。
「失礼なお願いをしておいて、更に失礼なのですがーー」
「えぇ、構いませんわ。今回の事は無かったことにいたしましょう」
こうして、アーデンの提案は「無かった事に」なった。安心したのか、アーデンは紅茶を啜り「実に美味だ」と呟いた。
「そうだわ、アーデン様。一つ伺っても?」
「なんでしょうか?」
「もしも、私がロイ様を。もしくは、ロイ様が私を。相思相愛になった場合、どうなさるおつもりでしたの?」
カップを口に運ぶアーデンの手が、一瞬止まった。が、鼻で笑うと自信満々に言い放った。
「有り得ませんね!」
しかも満面の笑みで。
「ローちゃんが、貴方を?天地がひっくり返っても有り得ませんね!!」
「社交界の華」と「あのロイ」を知るミランダは少しだけ癪に触ったので、念の為問うた。
「逆の場合も?」
「まぁ確かにローちゃんは?有り余る魅力がありますが、それもまた有り得ません。断じて!」
勝ち誇った様に言ってのけたぞ。「有り余る魅力」?今の所、キャスが見つけた魅力があるとすれば尻しかない。後ろのマリオが「ね?言った通りでしょ?」と目で訴えていた。成程、確かにポンコツだ。その反応に満足したのだろう、ミランダもクスリと笑うと紅茶を啜った。
「提示した報酬の件は履行させていただきます。非礼のお詫びに」
「まぁ!それも無かった事にしていただいて結構ですわ。それに、この家でしたら売り払った方がお得ですわよ?」
「よろしいのですか?」
「えぇ」
ミランダはニッコリと微笑んだ。「ミランダ様!?」とキャスが食い下がったがーー
「私達が暮らすには大きすぎますもの。ですから、売り払っていただいて三割程いただければ」
「承知いたしました。では、その様に」
さて話が纏まったところで、マリオが口を挟んだ。
「で、結局。引っ越しはなさるんで?ロイ様のウチに」
「はい、明後日には」
キャスの回答にアーデンの顔が強張った。
「ですから、もうその様な……」
「私とアル様との約束ですから、お気になさらず」
そう言われてしまっては、それ以上アーデンには何も言えなかった。
「それに、私が招待いたしますわ!アーデン様」
「え?」
「私のお客様として、ロイ様とお会いすればよろしいのですわ!」
きょとんとするアーデンを尻目に「あー、確かに」とマリオが話を続けた。
「良かったじゃないですか、旦那!会いに行く口実ができて!!」
「あぁ、うん……」
おや?釈然としない様子だぞ。でも嬉しいのか、少し微笑んでいる様にも見える。
「では、ご招待される日をお待ちしております」
こうしてアーデンとマリオは席を立ったが、帰り際にアーデンが思い出したようにミランダに言った。
「もしーーもしも、ロイ・ウッドが。マンドラゴラを市場へ売りに行きそうになったら、全力で止めてください。絶対に、です」
ミランダ達が越して来て、数日経った今現在ーー
「生えねぇなぁー……」
どんよりとした目で、畑を見つめるロイが居た。
「まぁ、今日もですの?」
窓に張り付く様に畑を見ていたが、ミランダの声に振り向いた顔もどんよりしていた。それもその筈、この家の唯一の収入源が無い状態なのだ。そりゃ顔もどんよりするわ。
「おいドラゴ、お前が全部食ったからだろ?吐け、今すぐ吐け!」
「バッカじゃないの?アンタ、アタシをなんだと思ってんの?大道芸人じゃないのよ!?」
巷では金魚を丸呑みして、綺麗に吐き出す大道芸が流行っている。ロイはともかく、なんで知ってるんだ、ドラゴよ。
「お前なら出来るだろ、それぐらい。そうだ、大道芸でもやるか!?お前なら稼げるんじゃないか?歌って踊る野菜!そうだ、やろうぜ!!」
「この戯け者が!!」
何度こんなやり取りを見ただろうか?一向にマンドラゴラは生える事もなく、アーデンの杞憂に終わりそうな気配だった。が、ケンカの様なやりとりは毎日続き、居た堪れなくなって、ジョサイアが「ワタクシの取り分を……」と提案するとピタリと止まるのだが、正直見ていて気持ちのいいやりとりではない。今回もジョサイアがおずおずとミランダの影から現れた。
「ジョサイア、俺が悪かったよ。生えねぇもんは仕方ねぇよなぁー」
抱き上げるとソファに座り、一通り撫でて深いため息を吐く。ここまでがワンセットだった。
「何か仕事探したら?」
耐えかねたバートが至極真っ当な提案をした。確かに、生えない作物を当てにするのも限界だったのだろう。ロイはバートのリラックス法「鳥吸い」を中断すると、のそりと立ち上がった。
「だなぁー……紹介所でも行くか」
ロイの言う「紹介所」とは、働き手を探す事業者と労働者の仲介窓口だ。と、その時。パンっとミランダが手を打った。
「そうですわ、ロイおじ様!私、お手伝いできそうですわ!!」
察したキャスが動いた。「出掛けて参ります」と、そそくさと出掛けていった。
「なんだ?ミランダちゃん、当てでも有るのか?」
「えぇ!!人脈はありましてよ!」
もちろん人脈とはアーデンの事だ。ロイに恩を売り、つけ入りたかったアーデンにロイの就職先を手配してもらう。ロイは働き口が見つかって収入を得、アーデンはロイに恩をうった挙句、感謝される。ナイスアイディア!!
「え、でも……いいのかい?ミランダちゃん」
「えぇ!えぇ!!むしろ、ばっちこいですわ!!」
なんだ「ばっちこい」って?ロイが聞き慣れない単語に戸惑っていると「今流行ってるんだよ」とアルが教えてくれた。が「流行ってる」以外の情報は全くない。様子から察するに「任せとけ」って事だろうか?ロイはそう思う事にした。
「戻りました」
脅威のスピードでキャスが戻ってきた。「早っ!?」っとロイ達はもちろん、ミランダまで驚く始末だ。そして「早くない?」と聞く間もなく、馬車の音が聞こえ、玄関の前でピタリと止むとーー今度はガンガンとドアノッカーの音が響いた。
「なんだなんだ!?」
ロイが足早に玄関へと向かう。ドアが軋みを上げて開くと、そこには細い影が立っていた。
「どちら様で?」
逆光の所為もあるにせよ、黒い。よーく目を凝らすと、相手は全身黒づくめだった。ロイよりも背が高く色白で、端正な顔立ちの青年だ。緑の瞳がロイを凝視している。ロイが見惚れていると、銀のまつ毛に縁取られた瞳が潤み始めた。
「え?あの、どうしました?」
青年は答えない。その代わりに両手で顔を覆うと、天を仰いだ。
(いちいち動作が大袈裟だな、コイツ)
劇団員か何かだろうか?しかも微動だにしやしねぇ。
「あのー……」
「大丈夫か?」と聞こうとした時だった。
「逢いたかった!!」
絞り出すように言うと、青年は抱きついてきた。その勢いで帽子が脱げ、豊かな銀髪が溢れでた。朝日を受けて輝く銀髪をぼんやりと「綺麗だな」と見ていたがーー
「え!?ちょっと!?」
我にかえると見ず知らずの男に抱きつかれているという状況だ。なんだこれ?しかも小声で「逢いたかった」と繰り返される始末。え?だから誰??ロイは静かに混乱していた。
「うわぁ……」
声の方へと視線をやると、アルとバート、ミランダにキャス。ジョサイアにドラゴと勢揃いで、ロイ達を見ていた。「見てはいけない感じの物」を見る顔で。ロイはつい「ち、違うんだ!」と謎の言い訳をしてしまった。
「いいや!このぼやーっとした感じ、ローちゃんだ!!」
「えぇ!?」
「ぼやーっとした感じ」って何だよ、とツッコミたかったが。その前にだ。
「『ろーちゃん』、って……まさか!!」
「まぁ!あぁ〜でんさまではありませんの!!」
白々しいというか、棒読みというか、ミランダが変な調子で謎の青年の名を呼んだ。そしてロイは思い出したーー幼馴染の「あーちゃん」こと「アーデン・ドルトン」の事を。
「あーちゃん、か!?え、本当にあの!?」
見上げる様にして顔を改めて見てみる。あぁ、確かに……うん、あーちゃんっぽい?かな??最後に見たのがうん十年前なので正直怪しいが、目元が似てる、っちゃー似てる。気がしなくもないよーな?正直なところ、確証はないに等しい。だがこの呼び方に名前、間違いはないだろう。目の前の青年を観察してみる。「随分とカッコよくなったな」としか言いようが無かった。記憶の中のアーデンは女の子の様に可愛らしく、背も低い子供だった。それが今、ロイの背丈を追い越し。同い年とは思えない美貌で現れた日にゃ、戸惑いもするだろう。
「何年振りかな?ローちゃん!!」
「あーちゃんも元気そうだな!ミントンに居た頃だから、三十年近いかな?」
「そんなに前だったかぁ……いやぁ、懐かしいねぇ」
そんな世間話をしつつ、ロイをガッチリとホールドして離さない。苦しいのか、ロイが手をパタパタさせているのにジョサイアが気づいた。バートに抱えられていたジョサイアは、耳元で囁いた。
(ロイ様からアーデン様をひっぺがしてください)
(わかった)
ジョサイアの訴えに、助け舟を出す事にした。
「あの、アーデンさん。積もる話もありますでしょうし、中へ……」
やっと我にかえったのか「あぁ!私とした事が!!」と呟くと、アーデンは自己紹介をはじめた。
「失礼。私はアーデン・ドルトンと申します。カーライル様とは懇意にさせて頂いておりまして」
(いや、自己紹介はいいんだよ)
会話しつつもホールドは続く。バートは「いいから、叔父さんを離せ」とも言えずーー
「あぁ、じゃあミランダさんとお知り合いですか」
返した事により、会話のラリーが発生してしまった。横からアルが参戦した。
「初めまして、アル・ウッドです。こっちが弟のバート、白いフワフワのがジョサイア。ピンクの、ピンク……のがドラゴさんです」
上手い表現が浮かばなかったらしい、アルによって変な紹介をされたドラゴは憮然としている。
「確か、ローちゃんの……」
「はい、甥になります」
「きょうはどうしてこちらに?あぁ〜でんさま」
皆が不安になる喋りのミランダまで参戦した。
「こちらに引っ越されたと聞きまして、失礼とは思いましたが立ち寄らせて頂きました。まさか、こんな出会いがあろうとは!!」
「奇遇ねぇ?キャス嬢が出ていった直後に来るとか、怪しいもんだわ」
「偶然とはそういったものではありませんか?ドラゴさん」
機嫌が悪そうなドラゴの問いに、眩しいまでの笑顔で応対するアーデン。
「そうねぇ、そういう事にしておきましょうか。いい男だしー?」
疑うような素振りを見せたかと思うと、コロッと態度を変えた。面食いめ。
(こんな得体の知れないものと普通に会話してる!!)
バートが感心していると、わずかにアーデンの表情が曇った。
「ん?ドラゴさん、と言いましたか?」
「なぁに?アタシこそマンドラゴラの中のマンドラゴラ。ドラゴさまよ?」
とうとう自分で「様」付けしだしたぞ。どうだ、と言わんばかりで仁王立ちするドラゴを暫く見つめていたアーデンだがーー
「あ!?おいっ、あーちゃんっ!?」
急に全身から力が抜け、ロイにのしかかってきた。ホールドしていた手から力が抜け、だらりと垂れる。これは、どうやら立ったまま気絶したらしい。
「重っ!?ちょっ、手ぇ貸してくれっ!!」
その直後、ロイはアーデンの下敷きになり。「ぐえぇ」という悲鳴が聞こえる中、急拵えの担架でロイの部屋へとアーデンは運ばれていった。どうにかベッドに横たえると、ロイが看病の為にと傍につく事になった。残された面々はと言えばーー
「ちょっと!何あれ、失礼じゃない!?アタシ見て気絶したわよね、絶対!!」
怒り心頭の謎生物を前に、自分達の正気を疑い始めていた。
「アレが正常な反応、だよね」
「んー、そこまでかなぁ?確かにドラゴさんは変わってるけど」
「気絶することないじゃない!!えぇいっ!やわな性根を叩き直してやるっ!!」
「おやめ下さい、ドラゴ殿!!」
ロイの部屋に乗り込もうとするドラゴと、止めようとするウッド兄弟とジョサイア。
「怪奇ですよね、普通に」
「まぁ、キャスったら」
喋り方が元に戻ったミランダは、優雅にお茶を愉しんでいた。
(この中で一番図太いのかも知れない)
騒々しい部屋で、ちらっとキャスは思った。
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