第121話


「温泉じゃー!」


「すごーい、本当にお湯が湧いてるー!」


 温泉を見つけるなり、魔王リディアとヴァネッサが温泉に駆け寄った。

 俺とドロシーも二人のあとを追う。


「これが温泉ですか。何と言うか……特殊なにおいがしますね。先程から気になってはいたんですが、においの元は温泉だったんですね」


 温泉の硫黄の香りを嗅いだドロシーが眉間にしわを寄せた。


「温泉はにおいの強いものが多いですからね」


「ショーンくんは温泉に入ったことがあるんですか?」


「勇者パー……俺は昔から旅をしていたので、温泉に入ったことがあるんです」


 ドロシーはしばらく温泉を眺めた後で、ヴァネッサの肩を叩いた。


「ヴァネッサちゃん。このお湯に浸かったら、私たち臭くなっちゃいません?」


「あー、その可能性はあるかも?」


 温泉が初体験らしい二人は、手を湯に浸してからにおいを嗅いで、におい移りがするかどうかを確かめ始めた。

 すると二人の様子を見ていた魔王リディアが口の端を上げた。


「問題ないじゃろう。数日身体を洗わないでいるよりは、ずっといいぞ」


「……もしかして私たち、においます?」


「ちょっとだけな」


 魔王リディアに告げられたドロシーは、ものすごい勢いで走り出した。


「いやあーっ! ショーンくん、こっちに来ないでください!」


「今さらですよ」


「ドロシーは旅に慣れてないから、まだこの辺が乙女なのよ」


 俺たちと距離を取って叫ぶドロシーを、俺と魔王リディアとヴァネッサが微笑ましい顔で眺める。

 旅を始めたばかりの冒険者の姿は、初々しくて可愛らしい。


「ショーンくんとリディアちゃんはさておき、どうしてヴァネッサちゃんまで平然としてるんですか!? ヴァネッサちゃんも旅を始めたばかりですよね!?」


「噂に聞いていたからかしら。におう覚悟は出来てたわ」


「におう覚悟って……ヴァネッサちゃんは、ショーンくんに臭いと思われても平気なんですか!?」


「におうのは、冒険者あるあるよね」


「冒険者あるあるですね」


「そんなあるある、私は嫌ですー!」


 俺たちの話す冒険者あるあるを聞いたドロシーはショックを受けているようだった。


「うむ。湯加減はちょうどいいな……で、二人は温泉に入るのか、入らないのか?」


「絶対に入ります!」


「あたしも入るわ」



   *   *   *



 ヴァネッサとドロシーはリュックを降ろすと、さっそく入浴の準備を始めた。


「ショーンはあたしたちが温泉に入っている間、周りにのぞき魔がいないか見張ってて」


「代わりにショーンくんが温泉に入るときには、私たちが見張りますからね」


「別に俺のときは見張らなくてもいいですよ」


 こんな山の中まで来て、俺の入浴シーンを覗こうとする人は皆無だろうから、二人に無駄な働きをさせることになってしまう。

 だから俺のことは気にせずのんびりしていてほしい。


「じゃあさっそく」


 会話をする俺たちを無視して、いきなり服を脱ごうとする魔王リディアを制止する。


「少しだけ待ってください。温泉の周りに怪しい人がいないか確認してきますから」


「用心深いのう」




 三人を待たせ、温泉の外周の茂みをぐるりと歩いてみる。

 山の中だけあって、人間のいる気配は感じられない。


 後ろから近付いてくる足音に気付き振り返ると、いつの間にか魔王リディアが後ろからついて来ていた。


「リディアさん、どうかしましたか?」


「ショーンよ。お約束は覚えてるな?」


「お約束?」


 魔王リディアと何か約束をしただろうか。

 俺が記憶を遡っていると、魔王リディアが下品な笑いを見せた。


「美女が風呂に入ったら覗くのがお約束じゃ」


 俺とした約束ではなく、そのお約束だったか。

 確かクシューも同じようなことを言っていたが、そんなお約束は守らなくていいと思う。

 むしろそのお約束は守ってはいけないと思う。


「お約束と言われても困ります。それに露出狂のリディアさんだけならともかく、ヴァネッサさんとドロシーさんのことは覗けませんよ」


「しれっと妾を露出狂扱いするでない」


「理不尽に露出狂扱いしてるのではなく、リディアさんはれっきとした露出狂だと思います」


 魔王リディアには前科がある。

 しかも幼女ではなく大人の姿で自身の全裸を見せつけてきた。

 完全なる露出狂だ。


「ショーンよ、先人の定めたお約束を簡単に破るのはどうかと思うぞ。それに妾ほどではないが、二人ともなかなか可愛い顔をしておる。きっと覗き甲斐があるぞ」


「覗きませんってば。覗かれないように見張るはずの俺が覗いてどうするんですか!」


「灯台下暗し作戦じゃ」


「何を言われようと、絶対に覗きませんからね!」


 俺の強い意志を感じたのか、魔王リディアはつまらなそうに小石を蹴った。




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