第76話 「盗聴されてるな、この感じは」
留守番電話の再生ボタンを押すと、マイクロカセットテープが巻き戻り、録音された内容がスピーカーから流れ始める。
『あー「ザザッ」だけど。こんな時間に――――アヤコんちで……どうもね、明け方から「ザッ」とか、変な音がするし、話し声も「ザーザザッ、ザッ」……だから、ちょっと確認――――たくて。住所は――――――――右手に川があっ「ザリッ」なの。なるべく早くね、もっ――――』
と、半端なところで録音が終わったが、何が何だかわからん。
それでも聞き慣れた自分の姉の声ってのと、焦って早口になっているのはわかる。
ついでに、平日に高校生の弟を呼び出すのを
雑音がやたらと入るし、声が遠いのか途切れてるのか、聞き取れない箇所が多い。
ウチの電話は先週に買い替えたばかりだし、留守録用のテープも新品だ。
となると、
「盗聴されてるな、この感じは」
電話のすぐ近くか、電話機そのものに仕掛けられているか。
旧式の安物を使っていると、こういうノイズの入る場合が時々あった。
情報を整理するため、スピーカーの音量を上げて二回目を聞く。
今いるのが「アヤコ」の家で、「明け方」から「変な音」や「話し声」がするんで「確認」してもらいたい、というのが鵄夜子の伝言だろう。
多少のズレはあっても、大筋では間違っていないハズ。
「俺としては、そのアヤコん
声が途切れていて、住所に関する情報が「右手に川」ってのしかない。
川の名前もわからなければ、どの方向から見て右にあるのかすら不明なんで、情報量ほぼゼロだ。
どうにか推理できないか考えてみたが、五秒ほどで無理と判断。
鵄夜子の部屋を
鍵も掛かっていないので、倫理的にはさて
体感で数十年ぶりに見る姉の部屋は、記憶にあるより随分とシンプルだ。
以前は謎のオブジェやぬいぐるみがあちこちに置かれ、壁にはポスターや雑誌の切り抜きがベタベタ貼られ、漫画や小説がプチタワーをいくつも作っていたのだが。
ともあれ、整頓されている方が探し物をするには助かる。
「こん中に混ざってたらラクなんだがなぁ」
机の前に掛かっているコルクボードを眺め、ピン止めされた諸々をザッと確認。
一年分が載っているミニカレンダー、冬服の鵄夜子と黒髪ロングの女性が笑顔で並んでいる写真、「◎間宮先輩 CD3枚」と書かれたメモ、ミュシャの絵葉書、「五月中 振込 25000円」というレシート裏のメモ、中学時代らしき俺がどこかの海辺でアホ面でエビを食ってる写真――そんなこんなで、求めている情報はない。
アドレス帳や電話帳があれば一発なんだが、たぶん鵄夜子が持って出ている。
「学生じゃ名刺交換もしないだろうし……」
どうしたモンかな、と思いながら机の引き出しを開けていくと、一番下の段で年賀状の束を発見した。
そういえばこんな文化もあったな……前の人生では、次の正月で出したやつがラストだったような。
何とも言えない気分になりながら、素早く表書きをチェックしてアヤコの名を探す。
ここ数年分のものを調べた結果、可能性がありそうな対象が三名ほど見つかる。
「この大野文子は違うな……熊田亜矢子、も厳しそうだ」
大野は高校二年の時の担任だから、アヤコ呼びはあまりにフランクすぎる。
そもそも、鵄夜子は教師を下の名前で呼んでしまうようなキャラじゃない。
熊田は小中と同級生だった友人のようだが、引っ越したらしく住所が長崎。
ココから「ちょっと友達の家に行ってくる」で行けるような距離じゃない。
となると、電車一本で行ける場所に住んでる、
年賀状の住所からすると、すぐ近くに川も流れているし、まず間違いない。
「シャツだけ替えれば、たぶんイケそうかな」
一段落したら遅刻して学校に行くつもりだが、制服丸出しだと補導の危険がある。
なのでワイシャツは通学バッグに突っ込み、クローゼットから適当な柄シャツを選ぶ。
薄いオレンジ地に大量のフラミンゴがプリントされている、古着らしいアロハ。
昔の俺の趣味なのか、誰かからの貰いものなのか、よくわからないが中々にアヴァンギャルドだ。
ここまで派手だと、逆に警官の興味は引かないだろう。
チーズとハムの手抜きサンドイッチを作り、低脂肪乳でそいつを流し込む。
そして駅へと自転車を走らせ、高校とは逆方向の電車に乗り込んだ。
ピークを僅かに外れているからか、車内は窒息しそうな混雑ぶりでもない。
とはいえ悪フザケとしか思えない人口密度で、高校時代に戻ってから数十年ぶりに再体験している諸々の中で、現状ぶっちぎりのワーストと断言できる。
ヘロヘロになりながら、武谷綾子のマンションだかアパートだかの最寄り駅へと到着。
駅前に掲示された地図で大雑把な位置を確認し、足早に目的地を目指す。
五分ほど歩いたところで、年賀状にあった建物名と同じマンションを見つけた。
築年数はそれなりだが、小綺麗な雰囲気があって女性ウケも良さそうだ。
駐車場に並んでいる車種からしても、住民の質は悪くなさそうに思える。
建物内に入ってみる前に、不審者がウロついてないか一回りしてくるか。
「ちょっ、早い! 早いってナベちゃん!」
「早く行かないと、コート取られんだろっ!」
ジャージ姿の中学生か高校生コンビが、自転車を飛ばしているのと擦れ違う。
テニス部の朝練、だろうか――そして先を走ってる方はたぶん渡辺君だな。
マンションの敷地は、ギリギリ二車線くらいの道路でぐるりと囲まれている。
見えるのは戸建てやアパートが殆どで、いかにも住宅街といった雰囲気。
行き会う人も、家の前を
鵄夜子を警戒させるような、怪しげな存在は見当たらない。
それでも一応、可能性がありそうな対象は記憶しておこう。
道の端にカブを寄せ、シートに
恰好からして新聞配達員のようだが、時間的にちょっと不自然だ。
売物件のパネルが出ている家の駐車スペースに停まった、ハイゼットの
よく見る車種ではあるのだが、窓のスモークがやけに濃いのが気になる。
「怪しさだけで言えば、ココがぶっちぎりだなぁ」
口の中で呟きながら、異様なデコレーションがされたボロ家の前で歩調を緩める。
家主が強めの何かを受信しているようで、難解なメッセージが書き殴られた看板や、壁にペンキで描かれた無数の目や、庭に積み上げられた大量のガラクタが、常人には理解できない混沌とした空間を作り上げていた。
こういうタイプが相手となると、警察も腰が引けた対応になるんで厄介だ。
もし俺が対処するならどうするか――などと考えながら歩いている内に、再びマンションのエントランス前へと戻ってきた。
とりあえず差し迫った危険はなさそうなんで、その報告も兼ねて鵄夜子と久々の対面をしておくか。
一応記憶しておいたカブとハイゼットのナンバーをメモった後、最上階になるらしい武谷綾子の部屋へとエレベーターで向かう。
「おっと、こいつは……」
目指す505号室の周辺は、
壁にはいくつもの落書きを消した痕跡があり、ドアには貼り紙を剥がした後のベタつきが残っている。
廊下に面した窓のガラスには数か所でヒビが走り、コンクリートの床には赤インクをぶちまけたようなシミが。
そしてドアを開けたらすぐ目に付く場所に、ドレスを剥かれた裸の人形が首吊りを
想像していたより深刻なのか、と認識を改めつつインターホンを押すが、ボタンの反応が妙だしチャイムの音が鳴らない。
壊れてんだか壊されてんだか……ドアに目を向ければ、
ああ、これはマズいな――相手はもう、一線を越えようとしている。
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