第77話 「どこから何のポイントが引かれてんだよ」
トッ、タンッ、トットッ、タンッ――トッ、タンッ、トットッ、タンッ――
五回目に入ろうかって辺りで、足音が近づいてくるのがわかった。
玄関先で様子を
「電話もらった、
そう言うと同時に大きく息を吐くのが聞こえ、続けて鍵を捻った音が鳴る。
チェーンが掛かったままのドアの隙間に姿を
一旦ドアが閉められ、チェーンを外して再び開かれる。
しばらくぶりの挨拶をするべきか、周辺のパトロール結果を伝えるべきか。
どうするか迷っていると、姉さんが早口の低い声で言う。
「入って、急いで」
口調から真剣さが伝わるので、
玄関に入ると、
何度となく嗅いだ経験はあるが、女子大生の
大抵は追い込まれ気味の貧困家庭や、ダラけた生活を送っている独身男が発生させていたものだが。
「鍵、閉めといて。チェーンも」
「おう……」
また早口で言ってくるのに従い、手早くドアをロック。
こんな場所にずっといたのか、と鵄夜子を
まずは部屋の主から話を聞くべきか、と思いながら靴を脱いでいると、廊下の奥の引き戸が開いてジャージ姿で眼鏡――たぶんダテ眼鏡をかけた女性が現れた。
「あっ……どうも」
長い黒髪の頭を半端に下げた相手に、こちらも軽く
鵄夜子以上に疲れている様子だが、この人が
やつれているし、
犯罪に巻き込まれるのも不自然じゃないな――
「ぁだっ」
「目線がヤラしいから、マイナス二万ポイントね」
「どこから何のポイントが引かれてんだよ……っていうか学校バックレて駆け付けた弟に対して、他にもっとないのか? 姉として。むしろ人として」
「そうそう! 電話でも言ったんだけど、マンションの中とか周りとか、怪しいヤツいなかった?」
電話だとほぼ聞こえてないんだが、って言葉を飲み込んで
そんな俺のリアクションに、鵄夜子は安心したのと残念がるのを6:4で混ぜたような、ややこしい表情で溜息を
「だから俺へのねぎらいとか、その人の紹介とかをすっ飛ばしたまま、フワッと話を進めようとすんな」
「あー、御苦労御苦労。で、この子はココの家主で、大学の後輩になる武谷綾子。見ての通り、イモジャージ姿ですら可愛さを
フザケた調子で鵄夜子が言えば、綾子は照れ笑いか愛想笑いか判別できない、半端な笑みを浮かべた。
そして乱れ気味の髪を軽く掻き上げて俺の方を向くが、やはりダテ眼鏡の奥の目は合わせないで続ける。
「武谷、綾子です……朝からゴメンね、弟くん」
このルックスのせいでトラブルに巻き込まれた、ってのがきっと正解なんだろうが、本人から聞くのがより正確だろう。
堅苦しくもなく、馴れ馴れしくもない雰囲気を作って、綾子に質問を投げる。
「いやまぁ、それはそうと何がどうなってんです? 俺が今日この場に呼ばれるに至った流れ、説明して貰えませんかね」
「えっとぉ……どこから話せばいいのかな」
「あたしに相談してきたあたり、からでいいんじゃない? それよか、どうしてずっと玄関で話してるの」
「あっ、そっか、そうだね……じゃあ、散らかってるけど、コッチに」
鵄夜子に促され、綾子は俺たちをリビングらしき部屋へと案内する。
LDKと呼ぶには少々狭い印象で、不動産の広告だとDKと表示されそうだ。
キッチンの隅に複数のゴミ袋が積んであるのが見え、シンクの周辺にも空き缶や紙パックが林立している。
三人掛けサイズのソファの周囲も散らかっていて、雑然とした気配が漂う。
想像していた通りに、生活がだいぶ荒れているらしい。
「掃除とか、ゴミ捨てとか、ちょっと出来てなくて……」
「しょうがないって、アヤちゃん。あんなんあった後だし」
何があったのか気になりつつ、部屋の様子を更に観察する。
照明は点いているが、室内は少しばかり薄暗い。
本来なら外からの明かりがあるのに、カーテンを閉め切っているからか。
これは光を避けるというよりも、外からの監視を防ぐのが目的のようだ。
「……で、あんなんってのはどんなんです?」
背中を丸めてソファに座った綾子に訊くが、どう答えたものか迷っているのか、無意味に顔の右側を撫で擦っている。
こういう状況でソファに横並びに座ると話しづらいし、正面に回るのは
そんな計算から、
鵄夜子は俺と綾子の前に、何とも懐かしい白い缶のコーラを並べていく。
「始まりは、電話と手紙だったんだよ」
綾子の隣に座った鵄夜子は、カシュッとプルタブを引いて、ライトなのを一口飲んでから言う。
俺もそれに
綾子は冷えた缶の
「そう……前から時々はあったんだけど、無言電話がすっごい回数くるようになって」
「それは、日に十回とか二十回とか?」
「ここ一週間くらいは、もっと……ずっと。最初は夜に二回とか、三回とかだったんだけど、無視するようになったら、どんどん回数が増えちゃって」
「電話線を引っこ抜く、みたいな対処は」
「夜中はね、そうやってる。でも普段は、無視できない連絡もあるから……その場合、ワンコールで切るのを連続でやってもらって、三回目に受話器を取るって感じで」
そこまで面倒な真似をしてまで、電話を使う理由ってのがあるのか。
無言のまま目顔で鵄夜子に問えば、察したらしく短い返事が。
「仕事の関係で、ね。連絡は無視できないし、引っ越しも難しいの」
「なるほど……手紙ってのは、どういう感じ?」
学生なのに仕事重視か、と思いつつ綾子に水を向けると、自分を抱き締めるようなポーズをとって、左右の二の腕を掴みながら答える。
「ホントに、もうホンットに気持ち悪いんで、全部開けずに捨ててるんだけど……昨日と一昨日に届いたのは、まだゴミ箱に入ってると思う」
「読んでもいいかな」
「いいけど……音読したり内容を説明したり、そういうのヤメてね」
チラシやDMに混ざって、何も書いてない封書が二通。
オマケに切手も貼ってないから、ココの郵便受けに直接突っ込まれたのだろう。
蛍光灯に透かしても中身は確認できないが、重さ的に不審物が仕込まれている心配は少なそうだ。
それでも安全を安全を期して、素手ではなく割箸を借りて開封した。
「はぁ、こういう感じね」
ワープロで打った文章をプリントアウトし、それを更にコピーしたらしい手紙が三枚。
文章は装飾過剰で異様に読みづらいが、要約すると「どうして君は真実の愛から逃げるのか」「運命に逆らっても不幸な結末が待っているだけ」「夜明けと共に君を迎えに行くから鍵は開けたままに」といった内容だ。
今日の明け方、部屋の前で気配がした理由が自供してある。
「もう一通が一昨日の分か……うぅわ」
こちらは手紙が二枚と写真が一枚。
ゴミ袋の中身を出して、地面に並べて撮影した写真と、それぞれのゴミに対する意見が書かれている。
分別のミスを注意していたりもするが、その他は口紅を拭いたコットンに「熱烈なキスを送ってくれてありがとう。僕からも沢山キスを返したよ」、有名な菓子の袋に「味の好みが似てるんだね。僕らの子供もきっとこのお菓子が大好きなハズ」といった、キモさ抜群のコメント集だ。
「無限にかかってくる電話に、そういう手紙が殆ど毎日。他にも、窓に何かがぶつかったり、夜中にドアをドンドン叩かれたり……近所の交番で相談したんだけど、まともに話を聞いてもらえなくて」
「モテるんだから、男の子からの熱烈なアプローチはしょうがないとか、そんな感じのフザケたこと言われたらしいのね。それでアヤちゃん、ココの管理会社に相談して、常駐の管理人さんが対処してくれることになったんけど……」
その管理人が、交通事故に遭って入院してしまい、後任が用意されず先週から管理人不在の状況が続いている、のだそうだ。
それから何者かのイヤガラセはエスカレートの一途を辿り、まともに外出もできない状態になった綾子は、鵄夜子のサポートでどうにか日々を過ごしていたらしい。
八割方はそうだろうと考えていた予想が、ここで確信に変わった。
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