第69話 「お前の数年間と引き換えるには全然足りてないが」
「
「たぶん大丈夫、だけど……」
「何か気になることでも?」
「えぇと……左ハンドルのマニュアル車なのに、どうしてこんなスムーズに運転できてるのかな、って」
どう説明するべきかな、と少し考えてから適当に誤魔化すのを選ぶ。
「こう見えて、昔はミニ四駆に夢中だったし」
「運転要素ないよね」
「その前はチョロQとか集めてたし」
「運転要素ないよね」
「ぶっちゃけると、中学の頃から親父の原チャリ、コッソリ借りてたからな。原チャリが運転できれば、大抵のモンは動かせる」
説得力を気にせずに、ダイナミックな断言で話を終わらせようとする。
しかし桐子は、コチラをジト目で見るのをヤメてくれない。
「撮影で何度か乗ったから、僕もスクーターは運転できるけど……四輪は運転できる気がしないよ」
「そこはホラ、心構えの問題だ。コレがいけたならアレもやれる、と信じれば世の中ワリとどうにかなるって。できそうもない、きっと失敗するって弱気になるから、本当なら可能なことも不可能になる」
「そう、なのかなぁ」
「運転に限ったことでもない。半日前までの桐子は、自分の現状はどうやっても変えられなくて、今後も延々と続くと思ってただろ? でも、もう変わってる」
「そう、だね……うん」
二信八疑くらいだった桐子の表情が、複雑な
「とりあえず、家まで送ってく。どっちだ?」
「次は真っ直ぐで、その次の信号を右に――」
カーナビが欲しいな、と思いつつ桐子の説明を頭の中で整理する。
そこは以前、警官に
「そういや、あの……桐子と初めて、ちゃんと話した日。大荷物を持って大輔の家まで行くって話だったけど、雪枩ハウスとは別に何かあんのか」
「うん。好きに使っていい、って大輔に与えられた一軒家が。僕は、そこの近くのマンションに住めって言われて……」
「事ある
俺の言葉に、右から「クッ」とも「フッ」ともつかない短い声が漏れる。
「しかし、アレだな。力生に用意された部屋なら、居続けるのは
「拙いだろうね……でも殆ど荷物は置いてないから、身一つで逃避行でも浪漫飛行でも」
「逃亡先にアテは?」
「大丈夫、いくつか心当たりがある」
「雪枩のとこ、しばらくはゴタゴタしてるとは思うが……」
「心配ないって。今日中にはバックレて、落ち着くまで隠れてる」
横目で桐子を
子供時代から芸能界に身を置いてただけあって、度胸も据わっているしトラブル時の対処法も心得ているのだろう。
手詰まりだったらウチで
そんなことより、馬鹿共がメチャクチャにしやがった家の掃除と
「何となく、そっちの方が心配ありそうなんだけど」
「んー、そこまででも……いや、ちょっとヤバめかな」
家の状態そのものより、
トラックが突っ込んできた、友人が連れてきた知らんヤツが酒飲んで大暴れ、炎系の能力者がいきなり覚醒、セールスマンが新型ミキサーを実演販売しようとして爆発――
あの惨状を説明できるシチュを考えてみても、どうにもシックリこなくて困る。
不良グループが乗り込んできて大乱闘、と正直に告げるのが手っ取り早いが、それだと 姉さんに過剰な心理的負担が掛かりそうだし、どうしたものか。
「ヤバさの理由は」
「大輔とその手下が、俺の家で暴れやがってな」
「そっか……被害の程度は?」
「控えめに言って滅茶苦茶、だな。壊された家具家電は買い替えるとして、壁や床の傷と割られた窓が面倒だ」
「仕事の早い内装業者に心当たりあるけど、頼んでみようか」
「そりゃ助かる。ウチの住所と電話番号は――」
伝えた内容を、桐子が復唱しながら小さな手帳にメモる。
この時代ならではの光景だな、と思いつつ丸めた虎皮に手を突っ込み、札束を三つ抜き出して桐子に差し出した。
「こんなに? 工事費よりだいぶ多いよ」
「残りは手数料と逃走資金。あとは右と左、どっちがいい?」
「えっ? それって、どういう……」
「いいから、直感で決めてくれ」
「じゃあ、右」
「右ね……ホラ、これも持って行け」
ベイカーパンツの右側ポケットに入れておいた、ダイヤの詰まった革袋を投げ渡す。
中身を確認した桐子は「いやいやいやいや……」と小声で呟きながら俺を見据える。
「持って行け、の一言で持って行っていいブツじゃなくない?」
「芸能人の怪しい人脈があれば、
「できるだろうけど、さぁ……この大きさと品質だったら、かなりの額になるよ」
「だから、桐子が受け取るべきだ。下らん演技をさせられ続けてた、お前の数年間と引き換えるには全然足りてないが」
「なるほど、僕のギャラか……それなら遠慮はいらない、かな」
納得できた様子の桐子は、札束と革袋を保管庫から持ち出したトランクに仕舞う。
この状況の原因となったビデオと、この状況を清算した結果のダイヤが、一つの鞄に収まるってのも中々に奇妙な状況だ。
これまでとこれからについて桐子と話していると、程なくして目的地であるマンションが見えてきた。
駐車場に入るのも面倒なので、減速して建物付近の歩道に寄せる。
「緊急事態になったら、遠慮せず俺を頼れ」
「今更、遠慮なんかしないって。じゃあまた、学校で」
「ああ……またな」
友達同士が何気なく交わすような、ごく普通の挨拶を残して桐子は車を降りる。
エントランスに消える
途中でパトカーに制止されることもなく、順調に自宅周辺まで辿り着く。
この馬鹿げた車を持ち帰るのは不吉な気がして、近所の月極駐車場の空きスペースに停めて放置し、虎皮風呂敷を
「……いるな」
滞留するガソリン臭さに眉を
窓から確認されないよう位置取りしていると、パン屋の移動販売車が音楽を流しながら走ってきた。
それに足音を紛れさせて一息に玄関前まで駆け、壁に耳を当てて中の様子を窺う。
リビングのあたりに一人分の気配――警戒するでもなく、バタバタ動き回っている。
鵄夜子が帰ってるのか、とも思ったが足音の重さが明らかに違う。
『ガシャン、パキョ――』
何かが壊れた音も聴こえるが、どうしたモンかな。
玄関からオーソドックスに忍び込むか、リビングの割れた窓から強襲するか。
潜んでいるのが力生の部下でも大輔の仲間でも、おそらく大したタマじゃないだろう。
地下で回収した
窓から乗り込むと決め、身を
「おーおー、こんなにブッ壊しちまってよー」
よく知った声に軽くズッコケてから、身を起こしてリビングへと入り込んだ。
唐突に現れた俺を見ても特に驚きもせず、頭にタオルを巻いたジャージ姿の
「おぅヤブー、お疲れー」
「お疲れー、じゃねえんだわ。何してんだよ、オク」
「いやー、帰っていいっつうから、いっぺん帰ったけどよー……こんな状態で家を無人のまま放っとくっての、まーまーヤベーんじゃねーの? って思ってさー」
「それで留守番と片付け、やっといてくれたのか」
「まーなー。礼ならメシ奢ってくれりゃー、それでいーぞ」
何かにつけて適当さが目立つ奥戸だが、乱雑の極みだった室内の秩序を、それなり以上に取り戻してくれたようだ。
ゴミになってしまった諸々も、ゴチャっとまとめるのではなく、何となくの分別をしてくれているのが助かる。
ガラス・ワレモノ・可燃物・電化製品・粗大ゴミ――という感じに、それぞれが小山から大山までを形成していた。
「ナイスフォローだ、オク。牛丼でもハンバーグでもドラ焼きでもタコ焼きでも、好きなだけ食っていいぞ」
「オレをアニメキャラに分類してねーかー?」
「いやぁ、しかしマジでありがたいわ。疲れて帰ってきた後で、グッチャグチャになった家の中を片付けるの、本気で憂鬱だったからよ」
「ふははははは、ならば様を付けて呼ぶがよかろー!」
「……オク様?」
「マダム感出ちゃってるなー」
ヘラヘラ笑っていた奥戸は、不意に真顔になってジッとコチラを見てきた。
どうした、という感じに軽く首を傾げると、短い溜息の後で切り出してくる。
「それで……終わったのかー?」
「そうだな、一応は終わってる」
「アイツはどうなったー、雪枩のヤツはー」
「たぶん、もう会うことはない」
俺の返事に、奥戸の顔が僅かに
「おいおーい、次に会うのは
「いや、
「あー、そうかー……そういう感じかー……」
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