幕間 その2

第68話 「国すら引っくり返る、そういう代物だっ!」

※今回は力生視点になります



「なぁっ――ぶぁ――っ! くぁ……エボッ、カボッ! ブッヒュッヒェッヒュッ――オプッ、ボヒュ、プバッ!」


 何をしておるのだ馬鹿者が、と怒鳴りつけようとした。

 しかし、胸と咽喉に何かが詰まった感じがあり、れた声しか出ない。

 早く奴らを追え、追って捕らえろ、あの小僧共はわしが直々に殺す。

 そう命じたいのに、鉄の味を伴う湿った咳が連続し、呼吸すらままならん。

 耳障みみざわりな呼吸音は止まらず、幾重いくえにも積み上がった苦痛が思考を侵蝕しんしょくする。


「ゼェエェー、ブフゥー……ゼェエェー、クプゥー……」


 警護主任の掛見かけみは、儂の救護もせねば小僧共の追跡もせず、ボケッと棒立ちで傷面をコチラに向けている。

 今回の失態で当然クビだし、放逐する前に腕の一本や二本は落としてやるつもりだが、この職務放棄は許せぬし、小馬鹿にしたような表情は何のつもりか。

 やはり動かない無能な部下共々、両目をあぶり、耳と鼻と唇をぎ、顔の皮をがし、ワイヤーブラシで歯を――

 

「お前たち……上に戻って怪我人の搬送はんそうを手伝ってこい」

「そっ、それより会長は――」

「いいから戻れ。沼端ぬまはた百軒もものきを叩き起こして、指示に従え」


 掛見の言葉にうなづき、名前もわからん二人が部屋を出ていく。

 役立たず共よりも、儂の安全と治療が最優先だろうが、この糞無能が!

 もし両膝が無事で、刀を手にしていたならば、迷わず斬り捨てている。

 いや、刀はないが武器はある――あの薮上やぶがみとかいうのが置いていった、安物の拳銃が。

 義理で買い取った東欧流れのガラクタが、こんな場所で役に立つとは。


「どっ、いぅ……づもり、だっ……かがっ、掛見がげびっ」


 震える手で狙いを定め、銃口を見慣れた汚い顔に向けた。

 掛見は傲然ごうぜんたる態度で腕を組み、動じた様子もなく見返してくる。

 何故、表情にいつものへつらいがない。

 何故、双眸そうぼうにいつものおそうやまいがない。

 何故、こうも怒りをあらわにしている儂に対し、つくばって許しを請わぬ!


「どうもこうもない。アンタとは今日でバイバイってだけの話だ」

「ぬっ……ふぐっ……ボフォ、エフッ! オゥェ、プハッ……ペッ!」


 舐めた台詞をほざき、儂に断りもなく煙草に火を点ける掛見。

 火気厳禁の場所で何をしているのか、と止めようとするが口が回らず、湧き上がる咳にも邪魔される。

 頭の芯の方から、しびれが拡がっている気配。

 吐き棄てたたんは、潰れた苺のような色合いだ。

 怒りと痛みで辛うじて意識を保っているが、いつ失神してもおかしくない。


「ここに入るまで、随分と手間取ったが……想像通り、ロクでもないコレクションだ。まるで肥溜こえだめだな」


 棚を眺め、抜き出したビデオを放り捨てながら、掛見はフザケたことを抜かす。

 人間という存在の抱える矛盾と背徳、退廃と醜悪とが凝縮ぎょうしゅくされた、この比類ひるいなき記録に対して言うに事欠いて肥溜め、だと……!

 大理石のテーブルに掴まり、身を起こして呼吸を整える。

 まさか、雪枩ゆきまつに歯向かう奴に続いて、裏切る奴まで出てくるとは。

 この勘違いした愚か者掛見は、一刻も早く始末を命じねば――


「おいおい、余計なマネをするなよ、力生りきお


 壁にしつらえた、緊急連絡用の内線電話へとにじり寄る儂に、掛見がまたもや舐めた口を利いてくる。


ざまをづげろぉ、こぉの小僧ごぞぉぐぁあっ!」


 反射的に全身を血が巡り、憤怒ふんぬの声が飛び出す。

 そして銃口を掛見へと向け、間髪を入れずに銃爪を引く。


 ガチッ――


「ぷはっ……ふぁはははははっ!」

「なっ、なななぁんっ、何だばっ!?」


 弾の出ない銃を見て、掛見を見て、また銃を見る。

 身を伏せていた掛見は、立ち上がりながら笑い続けていた。

 何だこれは、何の冗談だ、何でこんな、何が起きた、何がどうして――


「ブフフッ、クックックックッ! ふぁーっはっはっはっは! ぃひぃいいいぃ、かははははっ、うひぃいいいいいっ、んぃいいいいいっ!」


 も楽しげに、嬉しげに、感情の爆発に身をゆだねている。

 そんな感じに狂笑を続ける掛見を、ただ呆然として見詰めるしかない。

 やがて発作を治めた掛見が、許しも得ずに儂の至近まで寄ってくる――

 

「んぶっ――かっ、ほぁ……」

「ぱっはっは! 弾、入ってなかったなぁ! ひっひっひっひっひ! 残りは一発とか言ってたのに、入ってないとか!」


 何をされたのかを理解するのに、数秒の時間を要した。

 どうやら腹を蹴飛ばされ、反射的に体を折り曲げたところで髪を掴まれて、強引に顔を上げさせられたらしい。

 儂に対してあり得ない行動に、理解が追い付かず思考がまとまらない。

 眼を血走らせた掛見が、顔に走った傷痕を指でなぞりながら言う。


「これ、アンタのつけたこの傷、覚えてるか」

「……何を、だ」

「いつやったのか、どうしてやったのか……覚えてるか、って訊いてんだ」

「知らん、わ……どうぜ、失態じっだぃへの罰、だぁろ……」

「失態、ね……小学生だった大輔バカが刀を勝手に持ち出して、オウムだかインコだかをブッ殺したのが、俺の失態になるのか? 馬鹿息子がやらかしてた時には、アンタと来客との会談の護衛をしてた、俺の落ち度なのか? どうなんだ、オイッ!?」


 掛見がやかましく吠え立てるが、当然そんな話は覚えてない。

 屋敷内の安全に問題があったなら、警護主任の責任問題になるのは当然だろうに。

 本来ならば、指の五本や六本を落とされても仕方ないのに、少々斬りつけるだけで許してやった、儂の寛大さに感謝する以外に何があると――


「どうなんだ、って、訊いてん、だろうが、このっ、クソボケぁ!」

「ぶびっ! おっふ……ごっ! まぅ、はぅ、えぁ……ぶへぁっ!」


 髪を掴まれたまま、繰り返しビンタで頬を張られる。

 そして手を離され、前のめりに倒れたところで後頭部を踏まれた。

 激しく脳が揺れたせいか、急速に意識が漂白される感覚が。

 ここで気絶すると全てが終わる、そんな予感があったのでどうにか――

 

「ぐ、ぼぁ……へふっ、えぐっ、ぺぃ……は? んんんんんんっ!?」


 咳込むと同時に意識を取り戻し、様々な感覚が回復していく。

 どれほど時間が経ったのか――時計を確認しようとするが、視界が随分と曇っている。

 濃い暗灰色あんかいしょくの煙が充満し、ビニールやプラスチックの焼け溶けるニオイが漂う。

 煙の切れ目からは、床に積まれたビデオやフィルムが見えた。

 まさか――まさかまさかまさかまさかまさかまさかっ!


「ぅおいっ! ぶぉいっ! わぁっでん、のぐぁ! こごっ、ごぇぶぁ! こごにゃるのぁ、ぐにぃすら引っくりがぇる、そういう代物じろぉのだっ!」

「だったら、念入りに消滅させないとな」


 儂の叫びに掛見が応じてくるが、やけに声が遠い。

 自分が何をしているのか、本当にわかっているのか。

 何十年かけて築いた地位も名声も功績も、世に出た瞬間に瓦解がかいさせる致命的な一場面――

 それを千人分も揃えた記録を消すなど、洛陽らくよう灰燼かいじんした董卓とうたく、ローマを劫掠ごうりゃくし尽くしたアラリックにも等しい、ありべからざる暴挙!


「やっと……俺の呪いも消える」


 呪い、だと? 呪いとは何のことだ。

 忠誠を強固にする目的で、凶行や醜態を記録させている件か。

 だがあれは正式に儂の直属となり、重要な仕事をになうための聖痕スティグマのようなもの。

 多少の苦痛を感じようが、雪枩の重臣となるほまれとなる尊さで釣りが出る。

 掛見にやらせたのは、確か――ウチに詐欺を仕掛けた阿呆の家族、子供二人の殺害だったか。


ぇは、せん。罪悪感ざぃあっがんなんぞ、ぐぅだらんもの……わぁざわぁかがえぅよな、愚物ぐぅぶつの……呪いはぁ、永久どぅあに解げん」


 呪いなどというのは、惰弱だじゃくな精神が生み出す妄念もうねんに過ぎぬ。

 呪うも呪われるも信じれば最後、迷信と狂気に囚われて身動きが取れなくなる。

 掛見が愚かな行動に出たのも、恐らくは自身の心中で育てた――


 ガチャン! ……ブォワンッ!


 何かが割れた音が思考を乱し、それから数拍置いてもった爆発音が続く。

 掛見と共にやってきた一人が妙な瓶を持っていたが……もしや!


「おぉお……んぼおおおおぉおおおおぉおおおおおおっ!」


 何十本か失われる覚悟はしていたが、これは――これでは全てが!

 自動消火装置はどうした、この煙と炎で何故に作動しないっ!?

 瞬く間に煙は濃くなり、息苦しさが加速度的に増していく。


「アンタが、俺の呪いだ」


 そう言い捨てる声に構わず、火元であろう熱気の強い方へと這いずる。

 目と鼻と咽喉に、先程までとは別種の痛みが生じ、秒刻みに悪化する。


「んぁぐっ!」


 指先を溶けたプラスチックにかれ、思わず悲鳴が漏れた。

 だが多少の苦痛を無視し、テープやフィルムを炎から遠ざけていく。

 これがあれば、儂は不滅の存在だ……己が世界に祝福されていると信じて疑わぬ連中の頭上に、常に吊り下がったダモクレスの剣であり続ける。

 そして、そう遠くない未来には、情報を支配する者こそが――


「えほっ、ぼへっ、ぶっ――おぅ?」


 けむたさにせながらビデオの山を掻き分けていると、不意に明るさと熱さが急激に膨らんだ。

 次の瞬間、視界が黄色い光に占拠され、真っ白へと変わる。

 そこで轟音が響いた、ような――

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