第50話 「お尻ペンペンじゃ終わらねぇからな?」

 高遠たかとおがドロップした面白ナイフを拾い、雪枩ゆきまつに向き直る。

 いくら頭の働きに少々問題がある馬鹿なボンボンでも、自分の置かれた危機的状況は理解している様子。

 余裕ぶって煙草に火を点けようとしているが、ライターを持つ手が笑えるほどブレまくっていた。


「さーてさてさて、一人ぼっちになっちゃったねぇ、ボクゥ」

「だ、だぁらっ! 他の連中はすぐ、すぐ来るっつってんだろっ!」

「そうだったな……援軍が来るなら、その前に大将を仕留めないとなぁ?」


 ナイフの切先きっさきを向けて告げれば、雪枩はソファから立ち上がって、わかりやすく顔を強張こわばらせる。

 前回の手合わせで、素手喧嘩ステゴロでは俺にかなわないと理解しているはずだが、どうするつもりなのか。

 何かしらの奥の手があるなら、早いとこ出してくれないと対処が面倒だ。

 そんなことを考えながら、雪枩との距離を詰めてプレッシャーを高めていく。


「テメェ……オレらと事を構えるってのが、どういうことがわかってんのか⁉」

「この家の中の状態を見りゃあ、幼稚園の年長くらいでも察しが付く」

「こっ、こんなモンじゃすまねぇ! こんなん序の口だって、後々思い知るぞ、なぁ!」

「そりゃ怖いねぇ……コイツで鼻を削ぎ落とされるのと、どっちが怖いだろうな」


 一歩また一歩をゆっくり近付きながらナイフをチラつかせれば、雪枩の表情は強張りを通り越して引きった。

 馬鹿だからか、直接的で暴力的な脅迫が面白いくらい効いてくれる。

 かつての仕事で学習した「脅し文句は相手のレベルに合わせろ」というメソッドは、ここでも有用らしい。


「で、大輔だいすけ坊ちゃん、ここまで好き勝手やってくれた落とし前は、どうつけてくれるんでしょうかねぇ?」

「なっ、何が――」

「トボケてんじゃねえよ。手下は全滅して、援軍は来てない、ココにいるのはお前だけ。それで、雪枩大輔はどうするんだ、って訊いてんだ」


 一足飛びに刃を突き込める距離まで来ても、雪枩はまだ動かない。

 こちらから仕掛けた後の、カウンターを狙っている可能性もあるか。

 それ用の武器を準備しているなら、ポケットや隠し場所に自然と意識が向かってしまうハズだが、雪枩は俺から目を逸らそうとしない。

 これはガンを垂れ続ける心の強さじゃなくて、目線を切った瞬間にカマされるのを恐れる心のヘボさだろう。


「ナメやがって……やってやんよ、あぁ! 上等だコラァ!」

「ほうほう、やるんだ。ここで全裸土下座で謝罪をキメたら、全治二年を一年半くらいまで割引するけど?」

「っさいボケェ! がぁあああああああああああああああああっ!」

「あらあら、自分を励ます大声出しちゃって……かわいいねぇ弱虫クン」


 体育館裏で投げられた煽りをアレンジして返すが、それにも気付かない勢いでブチキレモードに突入する雪枩。

 こういう状態になったヤツを今まで何度も見てきたが、大抵は空回りしてロクな結果にならない。

 荒事に参加する時には、他人に容赦ない一撃を入れられるテンションが必要、ってのは確かだ。

 しかし今の雪枩のように、あからさまに頭に血がのぼった状態では、立ち回りはミスりやすくなりガードは甘くなる。


「テメァらみてぇのは、コソコソ逃げ隠れして、つくばってりゃいいだろ! オレらの視界に入らないように、地味に生きてりゃいいだろうが! 何でワザワザしゃしゃり出て来んだよ、クソッ!」

「おいおい、ドチラ様のドコから目線だよ。そういう思い上がりが許されんのは元華族とか財閥一族とか、そのレベルの特権階級からだろ」


 もし、そういう立場のヤツが相手だろうと、俺は気にせずブン殴るが。

 にしても、雪枩のこの他者を自然体で見下す態度は、どうやって熟成されたのか。

 雪枩の実家は権力者と呼べる立場だろうし、その息子のコイツも不良集団をまとめていて、地元とその周辺なら顔役と言っていいが、どちらもそこまで特別感はない。

 だが、コイツの言動にはそんなバックボーンとは種類が異なる、何かしらの「裏付け」があるように思えるのだ。

 財産や腕力や人脈などとも違う色合いの、自身を特別だと確信できるだけの理由が。


「喧嘩が強かろうと、頭が回ろうと、顔が良かろうと……そんなくらいじゃどうにもならねぇ世界、ってのがあんだよ」

「あんまり褒めるなよ。殴り殺し難くなるだろ」

「テメェの評価じゃねぇ! 世間一般で評価されるそういう能力が、まったく通じねぇ世界があるって話だ、ボケカスゥ……そんで、テメェはそこに片足突っ込んでんだっ!」

「ハッ――そんなウラ世界のヤミ王子であるボクちゃんをボコったら、タダじゃ済まないと警告してんのか?」


 半笑いで応じると、雪枩はひるんだ気配の中に別種の感情を混ぜてくる。

 これは……あきれやあわれみに近い、気がする。

 どう考えても、このシチュエーションで出てくるのはオカシい。

 となると雪枩はハッタリではなく、そういう特殊な世界との繋がりがあるワケか。

 前回の人生でも、世間の法律ルール倫理モラルから大きく外れているのに、それを黙認されていた連中は山ほど見てきたが――


「まぁ、どうでもいいな……とりあえず、俺の家でヤンチャした罰はガッツリ受けてもらうぞ、坊ちゃん。わかってると思うが、お尻ペンペンじゃ終わらねぇからな?」

「うるっせぇ! だぁってろクソがっ!」


 相変わらずの語彙ごいの貧弱さで、話しているとウンザリしてくる。

 あまりチンタラやっていると、雪枩の仲間が出現する危険もなくはない。

 とりあえず、走って逃げられない程度のダメージを与えておくか。

 そう決めて浅く腰を落とせば、攻撃を警戒した雪枩は素早く後退。

 距離が開いたところで、手にした悪趣味ナイフを山なりにゆるく放った。


「お?」


 マヌケな声を漏らした雪枩の視線が、宙を舞う刃物に持って行かれる。

 狙った通りフェイントに引っ掛かり、どうしようもなく隙だらけだ。

 自分でやっておいて何だが、チョロすぎて笑えないな――

 思いがけず真顔になりながら、床を二回蹴って秒で間合いを潰す。

 意識がナイフから俺に移ると同時に、顔面の中心に掌打しょうだを突き入れた。


「ぼはっ――」


 半端な硬さのものを砕いた感触が、掌から伝わってくる。

 まったくのノーガードで衝撃を受け止めた雪枩は、この時代にしても古めのギャグみたいな吹っ飛び方で転がっていった。

 雪枩が床に沈むのに少し遅れて、放り投げたナイフがフローリングに刺さる。

 こういう傷を直す修理費も含めて、こいつからはガッツリ賠償金を引き出さないとな。

 改めてそんなことを考えつつ、自分が殴り倒した相手を見下ろす。


 潰れた鼻からは、赤黒い血がダラダラと流れ続けている。

 白目を剥いているので、たぶん意識を飛ばしている状態だ。

 こいつの脅威度は低いが、自由にさせておくとイレギュラーな動きをするかも。

 そんな警戒感が三割と、単純にムカついているのが七割の理由で、雪枩の右の膝を踏み砕いておく。


「ごっぷぁ!」


 痛みで覚醒したのか、謎の叫び声を上げて上体を起こす雪枩。

 叫びと同時に口に溜まった鼻血を噴出し、赤い飛沫ひまつが俺に向けられる。

 シャツに赤い水玉模様を作られ、反射的にアゴを正面から蹴り上げてしまった。

 鈍い音を立てて後頭部から床に沈んだ雪枩は、再び白目を剥いて気を失う。

 さて、このアホを行動不能にしたのはいいが、ここからどうしたものか。

 死にかけた昆虫のように、ヒクヒクと震える雪枩を観察しながら考えていると――


 ドゴァガッシャァアアアアン!


 何かが派手に衝突する音が、割れた窓から飛び込んできた。

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