第34話 「狼煙とか念力でもいいぞ」

 前回の高校生活では、桐子きりことは友人でも知人でもなかったはず。

 なのにアイツの存在が、どうも記憶の片隅に引っ掛かっている気がする。

 桐子と一緒にいる雪枩ゆきまつらが悪目立ちしてるし、その関連で騒動でもあったのだろうか。

 どうにもスッキリしないけれども、思い出せないものは仕方ない。


「帰るか……いや、その前に」


 あれから何も起きていないか、瑠佳るかの様子を見に行くとしよう。

 あの日、村雨むらさめ姉妹を家まで送り届けたので、住所は把握はあくしている。

 在宅を確認してから行くべきだろうが、残念ながら電話番号がわからない。

 自宅に戻れば連絡網で調べられるが、それも面倒だしこのまま家庭訪問に行ってしまおう。


 瑠佳たちの住む団地の最寄もよりは隣駅だが、自転車ならひとっ走りの距離だ。

 十五分ほど走っていると、似たような建物がいくつも並ぶ光景へと辿り着く。

 酔っ払って帰ってきたら頻繁ひんぱんに部屋を間違えそうだな、などと思いつつ数日前に訪れた瑠佳たちの住む棟の数字を探す。


「えぇと、ここの……三階だったな」


 脳細胞が若返っているのもあってか、目指す部屋の場所は簡単に思い出せた。

 エレベーターはないようなので、階段を使って二階分を上っていく。

 程なくして村雨の表札が出たドアの前に辿り着き、チャイムを押した後で「母親がいたら少々面倒なことになるかも」と思い至るが、もう手遅れなので反応を待つ。


『はーい?』


 インターホンのスピーカーから返ってきたのは、瑠佳の声だった。

 普通に自分の名前を告げるのもつまらないし、軽めのジャブをカマしてみよう。

 声をイラついたオッサンぽく変えて、マイクに向かって早口でしゃべる。


「あのねぇ、ワタシ下の部屋の者なんですけど、何かそちらから水漏れしてるみたいで、天井から水がボタボタとね、止まらないんだ」

『えっ? 水漏れ、ですか』

「そうなんだよ。とにかくね、とにかくこのままだと、TVとかレンジとか、どんどん壊れそうだし、どうにかしてくれよ! 早く、早く止めてくれよ!」

『いやあの、ちょっと待ってくださ――』

「はい、アウト」

「ひゃふぁっ! ……あぇ? ケイちゃん?」


 慌てた様子でドアを開けた瑠佳の目の前に、銃の形にした右手を突き出して「バン」と撃つマネをする。


「不用心だぞ、サメ子」

「いやいやいや、そんなこと言われても、しょうがなくない⁉ あんなガーッてまくてられたら、普通はドア開けて対応するじゃん!」

「それが相手の狙いだ。深刻なトラブルが起きてると言って思考停止にさせて、都合よく誘導するってのは騙しの基本だぞ」

「そんなの知らないってば!」

「いや、知ってるハズだ。誘拐の手口で有名なのがあるだろ、お母さんが事故に遭ったから急いで病院に行こう、って言って車に載せるやつ」

「あー、それかぁ……」


 俺の説明を聞いてに落ちたらしい瑠佳は、わかりやすくションボリした表情でガックリとこうべを垂れる。

 この時点から五十年経っても犯罪に利用されていたことからして、人の心理的な隙を突いた秀逸なテクニックなのだろう。

 かつて猛威を振るった『オレオレ詐欺』も、この手法を用いた典型だ。


「確率は低いだろうが、こないだの件の絡みで報復がないとも限らん。用心するに越したことはない」

「だね……気を付ける」

「プチサメ子には、なるべく一人にならないよう注意しとけ。登下校とか、買い物とか、遊びに行く時なんかも油断せず、人気がない場所にも行かないように」

「そういうのは、元々しつこいくらい言ってあるから」

「もっとしつこく、アポリネールの持ってたコンゴの呪い人形くらい釘を刺しとけ」

「アポ……? よくわかんないけど、わかったよ。汐璃しおりにも注意しとく」


 勢いで適当なことを言ったが、とりあえずは伝わっているようだ。

 中に入れ、と瑠佳がジェスチャーしてきたので、玄関先から三和土たたきに移動する。


「そういや、アイツはどこ行ってんだ」

「汐璃は、ママと一緒に近所のスーパー」

「ああ、母親にも注意喚起が要るな……門崎かんざきのやらかしの影響で、妙な連中が押しかけてくるかも、みたいな説明をしとけばいいか」

「ママには、あのお金を渡した時に、アイツがヤバいことになって遠くに逃げた、って伝えてある。だから、そのへんの警戒は大丈夫……だと、思うけど」

「多分大丈夫、で全然ダメだったパターンはよくある。もう一度、念を押しとけ」

「ん、わかったよ……それで、今日はどうしたの? わざわざパトロール?」

「そんなとこだ。無言電話が掛かってきたり、見慣れないヤツが周りをウロついてたり、街中でしつこく視線を感じたり……そんなことはないか?」


 瑠佳は小首をかしげてあごでる、いかにも考えてますという感じのポーズでしばらく固まった後、かぶりを振りながら答える。


「私が知る限りでは、ないかな」

「ドアに落書きされたり、頼んでないピザが届いたり、窓ガラスを割られたり、事務所にトラックが突っ込んで来たりは?」

「そんなのあったら、真っ先にケイちゃんに連絡してるし。てか、事務所って何?」

「選挙事務所とかヤクザの組事務所には、まぁまぁトラックが突っ込みがちだろ」

「いや、あるあるネタっぽく言われても……」


 何にしても、現状では誰かが瑠佳たちを狙っている気配はないようだ。

 俺たちが撤収した後、あのビルでどういう騒動があったのかはわからないが、ベンツへの乱射は覿面てきめんに効いたらしく、あれから程なくして大量のパトカーが殺到したそうだ。

 新聞やTVでの報道によれば、洪知会こうちかいの木下は拳銃所持の銃刀法違反で逮捕され、他にも十人ほどが拘束されたとのこと。


 ただ、逮捕者の中に貞包さだかね芦名あしなの名前は見当たらなかった。

 捕まれば立場的に報道されただろうから、きっと逃げおおせているはずだ。

 想像するに貞包は、金庫にあった改造モデルガンを木下に持たせ、奴をブタ箱送りにすることで状況を混乱させ、その隙にどこかへ雲隠れする道を選んだのだろう。


 俺のアドバイスを受け入れた――というか、最善手を選ぶならそうなる。

 他の連中は詳細不明だが、今の俺には知るための手段もなさそうだ。

 いずれ週刊誌や実話誌が追跡取材するかもしれないが、ネットのない時代はニュースの情報量が少なすぎる。

 どいつも俺を恨んでいるだろうが、しばらくは復讐をする余裕もないだろう。


「とにかく、何かあったら……いや、具体的に何もなくても、不安を感じたり不自然に思うようなことがあれば、すぐに俺に連絡してくれ。電話番号はわかるな?」

「うん、学校で配られた連絡網、あるから」

「電話できない時には、狼煙のろしとか念力でもいいぞ」

「やり方わかんないよ! どっちも!」

「その昔、狼煙はオオカミの糞を燃やしたそうだ」

「教わっても使いこなせない情報!」


 事件の衝撃もそれほど引きずっていないようで、まずは一安心と考えていいか。

 俺だったら相手が油断したタイミングで仕掛けるが、今は洪知会にも貞包にもそんな余裕はないだろう。

 でも一応、桐子から教わった防犯グッズの店に行ったら、瑠佳たちに役立ちそうなものを仕入れるべきかもしれない。

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