幕間 その1

第28話 「あいつら、マジで何だったんだ」

 瑠佳るか汐璃しおりを送り届けた俺は、自宅へと足を向けている。

 半世紀ぶりなので、家までの順路を忘れているかと思いきや、何となく見覚えのある道を選んでいる内に、記憶にある自宅周辺の景色になってきた。

 毎日のように目にする光景は、想像以上に脳裏のうりに焼き付くものらしい。


「あぁ……こんな感じだったな、そういえば」


 数年後にコンビニになる場所では、まだボロい酒屋が営業していた。

 いずれベンチと鉄棒だけになる児童公園も、今はブランコや滑り台が残っている。

 この年の冬に火事で消えてしまう、大正時代に建てられたらしい古い家を通り過ぎて少し歩けば、この当時に俺が住んでいた家に着く。


 周囲と比べてかなり敷地が広い、自宅の前でたたずんで家や庭を眺める。

 クリーム色の三階建ての家には、あまり「自分の家」との感覚が湧かない。

 一昨年おととしに新築されたこの家からは、すぐに追い出されるハメになった。

 なので俺にとっての「自分の家」は、建て替え前の古くさい家か、庭の隅にある車庫――死んだ父親が車をイジるのに使っていて、現在は倉庫となっている建物だ。


 この家で生活していた俺は、両親と姉との四人暮らしだった。

 両親は去年の春、旅行先で事故に巻き込まれて不帰ふきの客となる。

 この年の夏頃から不在がちになっていた姉も、翌年に失踪。

 その後は父方の叔母だという親戚一家が後見人としてやってきて、いつの間にやら家を乗っ取られるような状況に。


「あいつら、マジで何だったんだ」


 ワケもわからず、数度会っただけの親戚に遺産を好き放題に使われる日々。

 追い出そうとしても上手く行かず、俺は倉庫で暮らすのを余儀なくされる。

 何とかならないか警察や役所に相談してみたが、解決策は見つからない。

 どうも弁護士が背後にいて色々と画策していたようで、法律的には手も足も出ないほど叔母たちに有利な状況となっていた。


 親代わりとしての行動は皆無だったが、少額ながらも毎月の生活費は渡され、ライフラインも維持されていた。

 とはいえトイレはあっても風呂はなく、エアコンもキッチンもない倉庫での生活は文化的からは程遠く、叔母一家は俺が苦しむのを楽しんでいたようなフシもある。

 どうしてこんな無法がまかとおるのか、当時の俺は理解に苦しんだが――


「未だに、どういうカラクリだったのかよくわからんなぁ」


 つぶやきながら門を開けると、家とは別方向にれる敷石を踏んで倉庫の方へ。

 大学に入ると同時にこの環境から逃げ出そうとしたが、叔母たちの妨害によって受験すらさせてもらえなかった。

 成人すれば反撃も出来るかと思ったが、その頃には財産らしい財産は全て、叔母一家や他の親戚によって奪い尽くされていた。


 その後、逆らう気力も失くしてフリーター生活をしていたら、唐突に遠洋漁業の乗組員としてボロ船に放り込まれるハメに。

 まるで自覚がないまま、顔しか知らない相手の連帯保証人となっていたらしい。

 数年してココに戻ってきたら、家族と暮らしていた家も十年近く住んでいた倉庫も、全てが跡形なく消え去って、見慣れぬ六軒の一戸建てが並んでいる。


 今にして思えば、アレが「ラクダの背を折る最後のわら」だったのだろう。

 チャクラに鍛えられた俺なら、叔母一家に復讐するのは簡単だったハズだ。

 なのに行動しなかったのは、あのパステルカラーの家々を目にした瞬間に、何もかもがどうでもよくなったから、じゃなかろうか。

 そんなこんなで、感情も思考も麻痺まひしかかった状態で、ただ淡々たんたんと、担々たんたんと、黙々もくもくと、諾々だくだくと生きているだけの、かつての俺が出来上がった。


 かつて、というか昨日までの自分はそんなだったハズなのだが、その感覚は随分と遠い場所にある。

 何なら今は、叔母一家にそれなり以上の報復をカマしておきたい程度には、無気力や無感動とは別物のマインドが息衝いきづいていた。

 倉庫は前面にシャッターが下りていて、左側面に勝手口的なドアがしつらえてある。

 その前に立ってノブを回すと、施錠せじょうされていなかったようで普通に開いてしまう。


「おっと……不用心ぶようじんだな」


 大した物は置いてないし、窃盗犯ならまずは母屋おもやを狙うだろう。

 だが、アホな子供が入り込んで悪さをする可能性もなくはない。

 自分が小学生だった頃、当時の友人たちと見知らぬ他人の庭に入り込んで、色々とイタズラをした記憶もある。

 そんなことを思い出しながら、数十年ぶりの我が家へと足を踏み入れた。


 少しばかりほこりっぽい気もするが、定期的に換気や掃除をされているようで、打ち捨てられた場所に特有のよどんだ空気は感じられない。

 姉さんが手入れしてたんだろうか、と考えつつ無駄に重たい照明のスイッチを入れる。

 バチンッ、という音の後にツーテンポ遅れて明かりが点いた。


 車を横に三台は並べられるスペースはガランとしていて、コンクリートの床のアチコチに残ったオイルの染みばかりが目立つ。

 名前のわからない古いバイクがポツンと置いてあるが、これは動くかどうかを試したことがないまま売るか捨てるかされた……と思うのだが、やや曖昧あいまいだ。


 スチール製の棚には機械部品が積まれ、壁には様々な工具が掛かっている。

 だが、それらを使って改造されていたクラシックカーは、両親を乗せたままこの世から消えてしまった。

 どれだけ丁寧に整備していても、対向車線から唐突に中央分離帯を越えてくる、居眠り運転の10tトラックには対応できなかったらしい。


 その車の前で、楽しげな両親と姉さんと俺が揃っている写真が、フレームに入れて壁に飾ってある。

 悲しみとも苦しみとも縁のない、おだやかな時間が切り取られた一枚。

 届かない過去を眺めていると、脳の奥底で希薄になっていた思い出が、にわかに活性化してくる気がしなくもない。


「あんな古い車じゃなくて、新車だったら事故も起こさなかったのかね」


 写真から目をらし、どこへともなく問いながら、ロフトに続く階段を上がっていく。

 俺の居住スペースとなった場所だが、現状ではガラクタや古本やダンボール箱に大部分を占領され、足の踏み場も僅かしかない。

 自分が住んでいた時は殆どモノがなかったせいで広く感じたが、この状態で見るとそうでもないと思い知らされる。


 大量にある未使用の木材や針金やレンガは、何に使われる予定だったのだろうか。

 何事も起こらなければ、今頃ウチの庭には父親が作った微妙なクオリティのベンチや、母親の作った花壇かだんなどがあったのかもしれない。


 やり直すために過去に戻ったのなら、どうして去年の春じゃないのか。

 もし三年前なら、両親だけでなく隣家の奥さんの病死も阻止できたかも。

 色々と考えていたら息苦しくなってきたので、何度か深呼吸してから階段をまた降りていこうとした、その途中。


「何やってんの、荊斗けいと

「あー……何だろう。何となく、来たくなって」


 姉さん――薮上鵄夜子やぶがみしやこに呼び止められた。

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