第26話 「死ぬ気で安全運転だ」

 この状況が続くのならば、かつての俺が無力と無知と無関心で見過ごしてきた物事に、改めて目を向けてみるのもいいかもしれない。

 そんなことをボンヤリと考えながら、瑠佳るかたちの待つ白のハイエース――ではなく、木下のとおぼしき黒塗りベンツの前へと足を向ける。


 防弾仕様ではない、やや草臥くたびれた80年代産のEクラス車。

 いや、まだミディアムクラスと呼ばれていたんだっけか。

 バブルで景気が良かった頃、小金持ちがこぞって買ったヤツだ。


「周りに民家も結構あるし……まぁイケるか」


 言いながら銀ダラを構え、フロントガラスに向ける。

 フッ、と短く息を吐いて、銃爪ひきがねを引いた。


 バンッ――バンッ――バンッ――


 デカい風船を破裂させたような大音量が、連続して響き渡る。

 耳の痛くなるやかましさだが、広い場所で聞く銃声は妙に間が抜けていた。

 弾丸を撃ち尽くした銃は適当に放り捨て、小走りにハイエースの方へと近づく。

 こちらが合図するまでもなく、内側からスライドドアが開かれた。


 苦味にがみたっぷりの笑顔で出迎でむかえてくる瑠佳は、色々と言いたいことを全部飲み込んでいるような雰囲気だ。

 なので俺も発砲については何も言わず、二つのバッグを後ろの荷台に放り投げた。

 しかし、空気の読めない嶋谷しまやは、運転席から振り返ってテンパり気味に訊いてくる。


「おいぃ⁉ いいいい、今のっ、あれっ⁉」

「近隣住民に通報される前に、サッサと逃げた方がいい」

「お⁉ おぉ、そっ、そうだな!」


 嶋谷はキーを回すが、運転手のあせりに呼応こおうするがごとく、エンジンは中々かからない。

 瑠佳は状況に慣れ始めているようで、落ち着いた様子で妹の髪を撫でている。

 汐璃しおりの方はまだ緊張や恐怖が解け切らないのか、グッタリした感じの無表情で姉に抱きついていた。


 三度目のトライで無事にエンジンが掛かると、ハイエースは免許取りたての大学生くらいしかやらない急発進で、猛然と車道へ飛び出していく。

 嫌な予感しかしないので、運転席の方へと身を乗り出して嶋谷に釘を刺す。


「おい、事故や違反は絶対に避けろ。死ぬ気で安全運転だ」

「わ、わかってる……ます!」


 本当にわかっているかどうか怪しいが、とりあえず速度は控えめになって、ハンドルさばきにも安定感が出てくる。

 国道に出て数分ほど走ると、嶋谷は落ち着きのない前傾姿勢ぜんけいしせいをやめて、シートに背中を預けるようになっていた。

 もう誰かが通報したかな、などと考えつつ火薬のニオイが染みた手袋を外す。


 貞包さだかねのクローゼットから持ち出したこの革手袋、サイズが丁度いいし手にも馴染なじむので、このまま自分用にしてしまおうか。

 そんな検討をしていると、何故だか汐璃がジッと見つめてくる。

 そういや自己紹介もしてないし、もしかしてコイツにとって俺は不審者なのか。

 子供を相手にする時のメソッドを思い出し、笑顔を作って汐璃に話しかけた。


「色々と大変だっただろうが、もう大丈夫だ……俺に助けを求めると決めた、お姉ちゃんの冷静で的確な判断力に感謝するんだな」

「えっと……お兄さんには、ありがとう言わなくていいの?」

「どっちでもいいぞ。俺は自分がやりたいようにやっただけ、だからな。結果的にそっちが助かったとしても、別に礼を言われるほどじゃない」

「うー?」

 

 俺の返事を聞いた汐璃は、疑問符のついたうなり声を上げ、姉の肩に顔をうずめた。

 しばらくそうしてからパッと顔を上げ、少し勿体もったいつけながら言う。


「つまり、お兄さんは……普通に感謝されると照れくさい?」

「ぶふっ――」

「笑ってんなコラ、サメ子」


 うつむいた瑠佳を軽くにらむと、汐璃がハッとした様子で姉を押し退け、俺のももをペチペチ叩いてくる。


「おい、どうした?」


 首をかしげつつ説明を求めるが、叩く勢いが強くなるだけで止まらない。


「だから何事なんだ、この平手打ち連発は」

「思い出したっ! 思い出したんだって! けぇちゃんにぃちゃん!」

「あー、昔はそんな風に呼ばれてたっけ? よく覚えてたな」

「お姉ちゃんのアダ名で思い出したっ! 何なの、超久々じゃんか!」


 濃いめの疲労がにじんた汐璃の瞳に、いつの間にやら生気が戻っていた。

 伝わってくる感情はやや混乱気味だが、基本的には喜んでいるってことでいいだろう。

 引き続き俺の体のアチコチを叩いてくる妹の様子を見ながら、瑠佳は何やら満足そうにケラケラと笑っている。

 嶋谷の方を指差してから、その指を唇の前に立てて「シーッ」というジェスチャーを汐璃に見せて言う。


「そういう話は、車を降りた後でな」

「あっ、んっ……そうだね。そうする」


 嶋谷に色々と知られたくない俺の意図を察して、汐璃は話を打ち切る。

 アホっぽい雰囲気とは裏腹に、中々にさとい子供のようだ。

 血走った眼で運転している嶋谷の様子からして、コチラがどんな話をしていようが頭に入らない気もするが、用心するに越したことはない。

 話をらす意味も含めて、その嶋谷に声を掛けておく。


「なぁ、あの店……『ライクライブ』だっけ? アレは自分の店なのか」

「いえ……立場としては店長ですけど、雇われの身で」

「家族や恋人は?」

「実家は秋田で、嫁も決まった女も今はいません……元嫁は、木更津きさらづの方で息子と暮らしてる、みたいです」


 このまま別れたら、嶋谷は高確率でロクでもない末路を迎えるハズだ。

 カスの一味には違いないが、コイツがいたから突撃から撤収までがスムーズに行った、というのもある。

 なので、生き延びるためのヒントくらいは出してやるとしよう。

 一から考えるのは面倒だし、半分くらいは門崎かんざきへの助言の使い回しで。


「そうか。だったら今の生活は捨てて、サッサと逃げた方がいい……そして、ほとぼりが冷めるまでコッチに戻ってくるな」

「それって、三ヶ月とか半年とか……そんぐらいでしょうか」

「さぁな。洪知会こうちかいがどんだけブチキレてるか次第だが、俺がアンタの立場なら、たぶん二年は戻らない」

「二年……二年かぁ……長いですね」

「アンタの人生だから、好きにするがいいさ。行き先で実家や元嫁を頼るのはヤメとけ。友人知人からの紹介も避けろ。なるべく縁が薄い土地を選んで、居場所を誰かに知らせるのは厳禁。本気で追い込みをかけるなら、絶対そういう隙を突いてくる」


 親切心からのレクチャーだったが、聞いている嶋谷の顔を土色にしてしまった。

 そこからは様々な負の心境が伝わってくるが、主成分は不安と後悔だ。

 裏社会の入口付近で遊んでいたつもりが、いつの間にか袋小路ふくろこうじまり込んで引き返せなくなったような、そんな気分なのだろう。


 能動的に反社連中と関われば、理不尽に巻き込まれるのは日常茶飯事だ。

 だがそれも、実際に被害に遭わないと理解するのは難しいのかもしれない。

 湿った溜息を繰り返す嶋谷に、瑠佳は何も言わずシラケた視線を送っている。

 そこにある感情は、混じりっけなしの軽蔑けいべつだった。

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