第6話 涙の理由①

「あいたたた、お、お腹が」

「だっ、大丈夫ですか!?」

 慌ててエレイナも、隣にしゃがみ込む。

 急にどうしたというのだろう。特に具合が悪そうではなかったし、顔色もよかったのに。

 アデレイドは美しい顔を苦痛に歪めていたが、エレイナが覗き込むと力なく笑みを浮かべた。

「ごめんなさい。みっともないところを見せて」

「いいえ。誰か人を呼びましょう」

 立ち上がりかけたエレイナの手を、アデレイドが掴んだ。

「待って。人を呼ばれたくはないわ。あなたにも……わかるでしょう?」

 彼女がお腹に手を宛てるのを見て、エレイナは察した。

 おそらく月のものだろう。あの強烈に絞られるような痛みの辛さは、一定の年齢を迎えた女性なら誰もが経験している。

 遠くで見守っている者が複数いることには先ほどから気づいてはいたが、全員男性のようだ。それでは確かに、痛みの原因を話しにくいかもしれない。

 アデレイドはエレイナの手を頼りによろよろと立ち上がった。

「ねえ、エレイナ。離宮の客間に私を連れていってくださらない? ひとりじゃ私、途中で倒れてしまいそう」

「わかりました。では、ここに掴まってください」

 エレイナが腕を差し出すと、アデレイドはそこに自分の腕を絡ませてきた。やけにごつごつしているように感じるのは気のせいだろうか。そして、やたらと密着しすぎているような……。

「大丈夫ですか?」

「ええ、なんとか」

 ふたりは連れだって歩き出した。が、足を前に出すたびに、パニエで膨らませた互いのドレスのスカートがぶつかるので大変歩きにくい。

 平均的な体格のエレイナにとって、アデレイドのように大柄な人の身体を支えるのは容易なことではなかった。しかし、相手は病人なのだからと、自分を奮い立たせる。彼女はきっと、寄りかからないとふらついてしまうのだろう。早く楽な格好に着替えさせて、ベッドに横にならせてあげたい。

 庭園を縦横に走る径を、普段の何倍も時間をかけて抜けた。そこは離宮の前庭になっていて、王国随一の景勝地を模したといわれる、見事な睡蓮の池が広がっている。

 エレイナの口元にはうっすらと笑みが貼りついていた。幼い頃、ここでルシオと一緒に、オタマジャクシや蛙取りを楽しんだ日々を思い出したからだ。

「どうかなさった?」

 少し元気を取り戻したのか、アデレイドが尋ねてきた。何故か彼女までが微笑んでいる。

「小さな頃、ここでルシオール殿下に遊んでいただいたことを思い出してしまって」

「何をして遊んだの?」

「内緒にしてくださいますか?」

「ええ、もちろんよ」

 アデレイドは話を聞きたいのか、目をきらきらと輝かせている。

「池で捕まえたオタマジャクシの数を競ったのです。園丁が落とした葉の上に、ひとつずつ並べて」

「まあ! それで、どちらが勝ったのかしら」

「私です。そのご褒美として、殿下はマントいっぱいの蛙をくださいました。あ……すみません、こんな話」

 エレイナはアデレイドの顔色を窺った。彼女はただでさえ気分が悪いのだ。刺激的な話をするべきではない。

 しかしアデレイドは、むしろよほど楽しかったのか、口を開けてからからと笑った。

「いいえ、全然。私もここでよく蛙を捕まえて遊んだわ。ちょうどあなたのような、栗色の髪をしたかわいらしい女の子とね」



 幼い頃には庭園を遊び場にしていたエレイナだったが、宮殿の中にまで足を踏み入れるのははじめてのことだ。

 ここ東の離宮は、主に四階建ての中央棟と、その左右に比翼状に伸びた西棟と東棟とで構成されている。大きな中央棟の後方には礼拝堂がそびえたっており、てっぺんに王宮の大聖堂よりもひと回り小さな鐘楼がある。

 中央の建物は主に議会や晩餐などに使われる、言わば共用部。東西の別棟は居住区である。

 エレイナとアデレイドは、巨大な吹き抜けになった正面玄関ホールを抜け、東棟の階段を上っていた。防衛上の理由から、必ず正面玄関を通らないと居住区には行けないようになっているのだ。

 エレイナは緊張していた。

 なにせ王族と、彼らと懇意にしている高級貴族しか入れない離宮の中だ。

 王国の壮大な歴史が描かれた高い天井も、壁一面に施された繊細なレリーフも、どれをとっても素晴らしくて目のやり場に困ってしまう。

 こんなことになるとわかっていれば、もっといいドレスを着てきたのに。

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