第5話 離宮の庭園にて②

 エレイナはハンカチを返すと、ドレスを摘んで丁寧にお辞儀をした。

「ご親切にありがとうございます。わたくしはクロナージュ伯爵の娘でエレイナと申します。こちらで花木の管理をさせていただいております」

「ええ、もちろん知ってるわ。いつもきれいに花を咲かせてくださってありがとう。私はそうね……アデレイド……アデルとでも呼んでいただこうかしら」

 ……えっ?

「は、はい。アデレイド様。よろしくお願いいたします」

 彼女の言い方に疑念を抱き、一瞬の間が空いた。

 お辞儀をしながら、エレイナは考える。『アデルとでも呼んでいただこうかしら』とはどういうことだろう。まるで偽名でも使っているような……。

 それに、王族の女性なら大抵はその姿を見たことがあるが、この女性はまるで記憶にない。これだけ美しく、背の高い女性なら一度見ただけでも忘れるとは思えないが。

 しかし彼女は、エレイナの訝る気持ちをまったく意に介する風でもなく、庭園の花々に見入っている。

「ところでエレイナ、今日はいい天気ね。お庭の花たちも嬉しそう」

 そう言ってアデレイドは、腰を折ってすぐ目の前にある天使の鐘の蕾に手を伸ばす。

 驚いたことに、彼女の指が触れた途端に蕾が弾けた。

 おそらく刺激になったのだろう。ふたりで見詰めていると、蕾はみるみる花弁を開いて、あっという間に大聖堂の鐘そっくりの形になった。

「すごい……! 魔法みたい!」

「本当! 私ったら、魔法が使えたのね」

 くすくす、とアデレイドが笑う声を聞いて、エレイナは我に返った。

 興奮のあまり、気づかぬうちに気持ちを声に出していたらしい。相手は間違いなく王族だろうに、なんという失礼なことを――。

「も、申し訳ございません。どうかご無礼をお許しください」

 エレイナはドレスが汚れるのも厭わず腰を折った。

 しかし、アデレイドはエレイナの肩に手を触れ、屈託のない笑顔で応える。

「いいのよ。ねえ、そんなに硬くならないで。天使の鐘の開花を一緒に見た人たちなんて、そうはいないはずだわ。私たち、お友達になれると思うの」

「えっ」

 エレイナは思わず声を上げる。

「ね?」

 にっこりと微笑んだアデレイドの顔は、目を見張るほどに美しかった。

 涼やかなブルーの瞳には、きらきらと光の粒が瞬いている。肌は磨いた石のように滑らかだし、唇はぷるんとして形がよく、笑うと口角がだいぶ上った。

 こんなにも美しく高貴な生まれにも拘わらず、彼女はとても寛大で気さくなようだ。ゆっくり話すところも、優雅な所作も、それでいて親し気なところにも、エレイナはすっかり魅了されてしまった。

 ――こんな人と友達になれるなんて、滅多にあることじゃないわ。

 それにきっと、彼女は知的でおしゃれな人に違いない。私の知らないいろいろなことを、たくさん知っているのではないかしら。

「本当に……私でよろしいのですか?」

「私はあなたとお友達になりたいの。早速だけれど、お茶でもいかが? 私、離宮の客間にお世話になっているのよ」

 アデレイドはエレイナの手を優しく掴んだ。両手で上下から包み込む手は、背の高い彼女らしく女性とは思えないほど大きい。

 その安心感にはほだされそうになるが、今日はまだ庭園をいくらも見回っていないのだ。あとで荘園も見に行きたいし、それに離宮の中に入るのは少し気後れがする。

「アデレイド様、お誘いいただき大変光栄に存じます。ですが、今日のところは――」

「ねえ、お願いよ。あなたともっとお話がしたいの」

「でも……」

 エレイナは、やんわりと手を引っ込めようとした。しかし、逆に強く掴まれて引っ張られそうになる。

「ね? 少しだけ」

「あっ、あの、私このあと用事が――」

 すると、アデレイドが突然その場に蹲った。

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