豪快な腹の虫の正体は

「へぇ〜、すげぇな」


 抱えていた男を椅子に下ろした伊吹は、感心した声をあげる。

 トラックをベースとした所謂キャンピングカーらしい見た目の車の中は、コンパクトながらもテーブルや座席やベッドもある。小さいキッチンやシンクもあり、簡単な料理も出来そうだ。最初はキャンピングカーでの日本縦断の旅を検討していたのだが、結局はお金の問題でロードバイクになったんだよなぁ、と自然と深い溜め息が出る。


「あ、あのー」


 男が申し訳なさそうに声を掛けてきた。


「ごめん。なに?」

「えっと……、あんなことあって僕の車に乗って大丈夫なの? ……僕が言うことじゃないけどさ」


 眉毛を八の字に下げ、不安そうに伊吹の顔を見て来た。

 確かに人ならず者に襲われていたらしい伊吹を、たぶん助けてくれたコイツも人ならず者に違いないだろう。本来、関わるべきではないとは思うのだが、なぜだか恐怖という感情が湧いてこない。本当に不思議なことだが。

 再び、男の豪快な腹の虫が鳴いた。


 グォォォォォォォォーーー。


 緊張感のない男の腹の音にプッと吹き出した伊吹は「そういうとこじゃないか?」と苦笑いする。


「ご、ごめん」

「っていうか、食う物あるのか?」

「うん。ある。そこの棚開けて貰って良い?」


 指をさされた戸棚を開けた伊吹は、目を丸くする。


「うぉっ! なんだこれ」


 開けた戸棚の中にはスーパーの一角ような品揃えのカップラーメンが所狭しと並んでいた。


「えっと、上の段から北海道、東北、北陸でしょー」

「は? 上の段からってまさか、日本全国の?」

「最近のカップラーメンってすごいよね。その土地に行かなくてもいろんな地域のラーメン味わえるんだよ。僕ね、ラーメンには目がないんだ」


 顎を高く上げ誇らしげな表情で言ってきた男に、呆れた声で話し続ける。


「あんたも旅してる途中だよな? それなら、その土地土地のラーメン屋でラーメン食えばよくね?」


 伊吹の指摘に今気づきましたというような衝撃を受けたような顔をする。

「え? 気づいてなかったのか?」

「そうだよー。せっかく北海道に来たんだから北海道のラーメン屋さん入れば良かったぁー」


 悔しそうにテーブルに突っ伏して拳でドンドンと叩く。


「とりあえず、今日はどのラーメン食うんだ?」 

「あ、今日は、コッテリ気分だから青森の味噌カレー牛乳ラーメンにしようかな。えっと、上から1段目の右から3つ目」


 男の言葉にびっくりしながら、言われるがままその列を探す。男が言っていた通りの場所に味噌カレー牛乳ラーメンがあった。シンクの横に電気ポットがあり、お湯を沸かさなくても注げばすぐ作れそうだったので、言われたラーメンを手に取りパッケージを破いてお湯を入れる。

 スープは蓋の上に置き温めるようにして、箸と共に男の前に置いた。時計を見ながら時間を計っていた伊吹は、箸を持ち目をキラキラさせながらカップラーメンを凝視している男に「食べて良いぞ」と、声を掛けた。

 蓋を開け匂いを嗅いだ瞬間、まるでアラーム音のように盛大なお腹の音が聞こえてきた。


「あはははは、すげぇな」

「美味しそうな匂いだから、しかたない」


 ラーメンをはふはふと美味しそうにすすり、その度にスープが飛び散る。


「熱っ!」


 伊吹の声ではない少し高い声が聞こえてきた。眉間にしわを寄せ、おかしいなと首をかしげる。


「ビャク、もっと綺麗に食べろって何度も言ってるよね」


 自分とあの男ではない声が聞こえ、声が聞こえた方へ目を向ける。目を細めながら捕らえようとすると、男の肩に何かが乗っていてビャクと呼ばれた男の頬を押している。男に近づいた伊吹は、肩の上のものを摘まんで持ち上げ目の前に持ってきて凝視する。


「な、なんなんだよ、お前! 俺を誰だと思ってるんだ、無礼者!」

「う、うわっ!」


 ギャーギャーと喚き声が上がり驚いた伊吹は手に持っていたものを勢いよく投げると、クルッと一回転をしてテーブルに着地をした。


「貴様、俺様を投げたな。人間の分際で、不敬にも程があるだろ!」

「リ、……ス?」


 よく目をこらして見ると伊吹に憤慨しているのは、小さいリスだった。


「リスではない、俺様はナギだ」

「ナギ、お腹空いてると怒りっぽくなるよー。ほら」


 男は、ナギと名乗ったリスに箸から1本ラーメンを取り手渡した。怒りながらも渡された麺を器用にすすると頬袋が膨らんだ。


「食べ物で騙されないぞ。ビャク、コイツの気を吸って屍にしてしまえ」

「もう、滅相なこと言わないの」

「おい、リスなのにコイツ喋ってるぞ」


 口に手をあて震える指でナギを指す。ビャクは、ラーメンのスープを飲み干し手を合わせ「ごちそうさまでした」と言い、伊吹を見て微笑みながら話し出す。


「きみ、やっぱり見える人なんだ」

「見える?」

「うん。船で会った時も、僕に白い霧のようなモヤが見えるって言ったよね」

「ま、まさかあんときの……」


 ごくっと生唾を飲み込み喉が鳴った。


「擬態してたのについ気が緩んじゃって、本来の姿を見破られてヤバイって思ったんだよね」

「しかたねぇから、俺がコイツのあとをつける羽目になってよ」

「ごめん、ごめん」


 ビャクはナギの背中を一撫でする。


(つける? 船で出逢ったとき、つけられていたというのか? まったく気づかなかった……)


「君は僕の存在は気のせいって思ったみたいだったんだけど、なんとなく嫌な予感がして、船を下りる前にそれを飛ばしてんだ」


 立ち上がったビャクは、伊吹に近づき頭の上の空気を掴んだ。そのまま握った拳を伊吹の前に付き出し、手のひらを見せるとそこには小さい紙があった。


「これは式神みたいなものでね。あっ、式神って知ってる?」

「陰陽師とかの……。でもそれって迷信というか作り話じゃ……」

「迷信なんかじゃないよー。僕は、陰陽師ってわけじゃないんだけど、昔知り合った人にね、教えて貰って使ってるんだ。ナギと長時間離れるわけにいかないから、何か偵察するときとか……」

「ビャク、コイツにそこまで話す必要ねぇだろ」


 テーブルにいたナギがビャクの肩の上に乗り、短い手を組みながら言った。


「なんかツノがビリビリするから、言った方がいいかなって。それに、この人もう僕の本来の姿を見ちゃったし。ね?」


 ビャクは、苦笑いをしながらナギをいさめる。

 ビャクとナギの話を聞きながら伊吹は、ビャクの姿を思い出していた。今は気弱な感じで金髪ショートヘアの優男が、ツノが生えた時は人が変わったように横柄な態度で圧が強く近寄りがたい白い長髪の男だった。

 どちらが本当の姿なのだろうか。

 どう考えても同一人物とはほど遠い印象だ。きっと別々に出逢ったらわからなかっただろう。もし今、あのツノが生えた姿に変化してしまったら、こんどは伊吹が絞め殺される番かもしれない、と思ったら急に怖くなる。でも、ここまで踏み込んだなら確かめずにはいられなかった。


「……ツノって、あんたまさか鬼なのか?」


 震える声で問うと、一瞬考えたビャクは、ゆっくりと口を開いた。


「鬼のようで、鬼じゃない。人間じゃないようで、人間……かもしれない」


 難しいなぞなぞを出されているようで、何を言っているのかさっぱりわからなかった。


「どういうことだ?」


 伊吹の言葉にビャクは、フッと笑う。


「今はわからなくていいよ。あっ、忘れてた。自己紹介がまだだった-」

「二度と会わないかも知んねーヤツに、自己紹介なんかする必要ねぇだろ」

「もう。ナギは黙ってて。大好きな甘栗あげないよ」


 ビャクの言葉に今まで強気だったナギがスッと引き、ナギの髪の毛の中へと隠れてしまう。


「僕はビャク。もう隠れちゃったけどリスっぽく見えるのがナギ。で、僕はたまたま人助けをしただけ、今までの出来事も夢かもしれないし」

「え?」


 意味深に笑ったビャクは、手を組み腕を伸ばして伸びをする。


「さぁーて、ラーメン食べて満腹になったし、眠くなって来ちゃった。僕、燃費悪いんだよね。だから今日はおしまいね」


 ビャクは、キャンピングカーのドアを開ける。もうこの話は終わりだという意思表示に何も言えなくなる。後ろ髪引かれる思いのまま、車を降りた。


「あ、そうだ。君の名前聞くの忘れてた。名前はなに?」

「俺は、藤原伊吹」

「おやすみ伊吹。またね」


 ビャクはそう言うとキャンピングカーのドアを閉めた。そしてすぐ電気が消える。まだ助けて貰ったお礼も言っていないことに気づいた伊吹は、閉められたドアに向かって叫ぶ。


「ビャク。俺、助けて貰ったお礼してない!」


 閉められたドアは開く気配がない。けれど、伊吹は大きな声で続ける。


「明日、予定なかったらラーメンおごらせてくれな!」


 結局、二度と開くことがなかったドアに後ろ髪引かれる思いのまま薄暗い小屋へと戻るのだった。

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