暴風雨に見舞われる
「さぁ、今日も元気に漕ぎまくるぞ‼」
気合いを入れ直した伊吹は、ロードバイクに跨がりペダルに足を掛けた。
天気も良く海風も気持ちいい。この風が追い風になって、今日は稚内近くまで行けるかもしれない。そしてその次の日は、『日本最北端の地』と書かれたあの有名三角形のモニュメントの前で写真を撮る。
目標を見つけると、心なしか足取りが軽くなる……と思ったけれど、筋肉痛は続いていて一漕ぎ一漕ぎが重い。出発する前に少しでも筋肉をつけておくべきだった。いまさら思ったところで、後の祭りだが。
気を取り直して、少しでもテンションを上げるべく周りに誰もいないのをいいことに大声で歌いながらペダルを漕ぎ始めた。少し音程が外れた歌は、時折通る車の音と風の音でかき消されていく。
(大声で歌うの気持ちいいー!)
久々に周りのことを考えず歌えることに嬉しくなり、漕ぐ力が充分に発揮できなかった足がアップテンポの曲に合わせるようによく動く。友達と以前カラオケに行ったときに伊吹の微妙にズレる音程に腹を抱えて笑われて以来、声を気にせず歌えていたカラオケにすら行っていない。
料理を作るときにノッてくると歌い始める癖があるのだが、それも隣の住人に気を遣い小声で歌うのみにとどめていた。今、大声で歌ったところでこの大自然の中では、伊吹の少し外れた音程に笑う人もいなければ、誰にも迷惑をかけていないのだ。
気持ちよく漕いでいると、先の空に灰色の雲が見えた。今いるところよりだいぶ先のような気がするが、これから天気が悪くなるのかもしれない。もう少ししたら合羽を取り出して着込む必要があるかもな、と思った。
案の定、1時間ほど漕ぐとあたり一面真っ黒な雲に覆われ雨が激しくなってきた。少し前から合羽を着ていた伊吹の体に打ち付ける雨粒は、体の中には通さず跳ね返る。けれど、顔は別だ。合羽で頭は守られてはいるが、顔は無防備。容赦なく雨が打ち付けてくる。雨が目に入らないように目を細め少し俯きながら漕いでいるが、視界不良でこのまま漕ぎ続けるのは辛い。
テント泊もこの雨だと無理だろう。出費は痛いが、安い民宿に素泊まりかライダーハウスか。もしくは、24時間OKなスーパー銭湯が近くにあればいいのだが。出がけは晴れていたのに途中で土砂降りになると思っていなかったから色々調べていなかったのが悔やまれる。とりあえず前に進むしかないか、と伊吹はペダルを漕ぐ。
雨に濡れながら漕いでいると、木の立て看板が見えてきた。
『バイクパーク・ヒメマス』
(バイクパーク……。バイクの駐車場?)
看板に誘われるように左へ曲がる。すると古めかしい小屋が見えてきた。小屋の前でロードバイクを止めた伊吹は、ガラス戸から中を見る。
(……誰もいない?)
無断で入っていいものなのかと躊躇していると、『バイカーの方の休憩所です。ご自由にお使いください』という張り紙を見つけた。
ありがたいと思い、急いでロードバイクを解体してガラス戸を開け小屋の中に入る。中はかろうじて雨風がしのげる程度のテーブルも椅子も何もない簡素な作りだった。床もフローリングと言えば聞こえが良いが、年季の入っている木の板が敷き詰められているだけで、ところどころにささくれやトゲがあり補修されていないのがわかる。
(雨風がしのげるだけでありがたいのに贅沢言えねぇよな)
とりあえず、ビショ濡れになった合羽を戸の前で脱ぎ外に向かって水気を切る。荷物から携帯ハンガーを出し、合羽を窓の桟に掛けて干した。そして、タオルも取り出し濡れた顔や髪の毛を拭く。
「はぁー……。酷い目に合った。出発の時にあんなに天気が良かったのに、なんで崩れるかな……」
テント泊するにも雨だと難しいし、もう少し走れば町があるらしいけど、この雨でこの先に進むのは危険だよな、と考える。しかたがない。ご自由に使ってくださいという張り紙もあって無料みたいだし、今日はここにお世話になるか、と思った伊吹は、濡れた靴下や洋服を脱ぎ、着替えた。そして、解体した自転車が錆びないように水分や汚れを取り除いて、必要な箇所に注油をする。
簡素な小屋だから調理場も水場もなく、今日の夜ごはんを早々に諦めた伊吹は、しかたがなく寝袋の準備を始めた。他に自分と同じ境遇の人が来ないとも限らないと思い、伊吹は小屋の端を陣取った。寝袋のファスナーを開け入った伊吹は、体温が逃げないように首のギリギリまでファスナーを上げる。深く長い息を吐き、天井を見上げた。
「昨日のように金縛りに合うとかねぇよな?」
いやぁー、2日連続とかないない、と自分でフラグを立てるような考えを否定する。
それに、もう一回寝たら金縛りは解けるって書いてあったし、対処方法がわからなくて困った昨夜と違うから平気だ。でも、小樽の定食屋のおばあちゃんに教えて貰った新聞に載るくらい騒がせている怪奇現象の方に出逢ったり……。
いやいや、町から少し離れているし、金もない男を襲うなんて割が合わないことしねぇよな、それにさっきガラス戸を開けてこの小屋に入ってきたとき、立て付けが悪いのかギィーとすごい音がしたから戸を開けられたら物音で気づくはずだ。
「とりあえず、寝て起きたら朝だ。朝は、どこかでうまい朝食を食べるのもいいかもしれない」
そうと決まれば、北海道の日本海側の旨い朝食。やっぱり海の幸食べないと始まらないし、朝なら焼き魚なんかいいな、と明日の朝食を考えジュルッとよだれが出そうになったのをすんでのところで止める。
「朝を迎えるために早く寝るに限るな」
そう言った伊吹が目を閉じると、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
すーすーっと寝息を立てている伊吹の枕元に黒い影が忍び寄る。顔を覗き込み、にたーっと口の端をあげた。そして一気に伊吹の首元へ腕が伸びると、ギュウギュウと力強く首を締め上げていく。息苦しさを覚えた伊吹は、目を見開き驚愕する。
(え? うそだろ……)
どうにか藻掻こうとするも、昨夜と同様に金縛りに遭っているようで体が動かない。伊吹に馬乗りになり、ボロボロになった渦巻き柄の半纏を着た髪の毛がゴワゴワしている小汚い女。
昨日の女と同じなのかはっきり覚えていないので断定は出来ないが、服装は同じだった。金縛りを解こうと目をつぶって眠ろうとするも、脳が覚醒をして眠ることが出来ない。苦しいのと焦りと恐怖で脂汗が流れる。
(俺は、このままこの小屋で死ぬのか?)
意識が飛びそうになったその時、ガラス戸が開き小屋の中に雨風が吹き荒れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます