伊吹、金縛りにあう
体が鉛のように重い。身をよじろうとしても動かせない。なんだこれ、と声に出そうとしても口も動かず、言葉を紡げない。自分の置かれている状況がよくわからなくて不安に襲われる中、かろうじて目を開けることが出来たのだが、姿勢正しく仰向けに寝ていた伊吹は天井しか見ることが出来ない。
どうしてこんな目にあっているのだろうか。
いわゆる金縛りってやつだろうか?
金縛りってどういう原理だ?
金縛りってどうやったら解けるんだ?
色々考えてみたけれど、自分がまさか金縛りにかかると思っていなかったのだから一切情報がない。
クソッ、と心の中で悪態を吐いた。しかし、悪態をついたところで事態は好転はしそうにない。気力で金縛りを解くことを諦め、次に起きたときに金縛りが解けてるかもしれないと思い、しかたがなく目を閉じた。
静かに寝息を立てていた伊吹に変化が訪れたのは、それから30分後だった。
「……っぐ」
苦しそうな呻き声を上げ、目を大きく見開いた。
目を見開いた先に見えたのは、ボロボロになった渦巻き模様の半纏を身に纏い、ボサボサの長い髪の女が伊吹を睨みつけながら怖い形相で首を絞めている姿だった。
(は? な、なんだこれ)
一瞬ボーッと女を眺めた伊吹だったが、力を入れられた首の苦しさに現実に引き戻される。苦しげに眉間にしわを寄せ、締め付けられている首からどうにか女の手を緩めようと手を伸ばそうとするも、やはり体は動かない。
(クソクソクソクソッ!!)
まだ金縛りが続いていたのか、と腹立たしい気持ちになる。しかし、伊吹のか細い呻き声では同じように近くにテントを張ってキャンプしてる人たちには伝わらない。
金縛りにさえあっていなければ。こんなところで死にたくはない。これからいろんな出会いがあって楽しいことや嬉しいこと、時には辛いこともあるかもしれないが、生きているだけで幸せを感じられる未来があったはずなのにかもしれないのに。
首を絞めている女の手の力がどんどん強くなっていく。それに反比例するように伊吹の呻き声が途切れ途切れになっていった。声が完全に途切れたと同時に伊吹はガクッと力が抜け意識を手放すのだった。
しばらく動かなかった伊吹がゴボッと、咳き込んだ。
一回咳き込むと、続けて何度もゴホゴホと咳き込む。咳をすることが辛くて、少しでも辛さを和らげるために寝袋のまま回転しながら動く。しばらくたって咳も落ち着いてきた伊吹は、目を開けた。
さっきまで鬼の形相をしていた女は、もうすでにいなかった。消えていたことにホッと胸をなで下ろす。そして、寝袋のファスナーを下げ、少し動きやすくした伊吹は、近くにあったペットボトルを手に取りキャップを開けて勢いよく水を飲んだ。ゴクゴクと喉を鳴らし飲み込み、口の端に垂れた水を手の甲で拭う。
「はぁー…。生き返った」
水を飲んで少し落ち着いた伊吹は、テントの中をキョロキョロと見渡す。テントの中の荷物の置いている位置が変わっていなく、また出入り口のファスナーも閉まっており伊吹が最後に見た光景のままだった。
あれはなんだったんだろう、と狐につままれたような気分になった伊吹は、スマートフォンで金縛りについて調べた。金縛りについて書いていた部分を読むと、金縛りは睡眠不足やストレス、そして疲労の蓄積が原因らしい。
怪奇現象的な要素は皆無だった。そりゃあ、自転車ですでに200キロ近く漕いでいるのだから、疲労はかなり蓄積されているのは間違いない。疲労回復に効果がある温泉だとはいえ、少し浸かっただけでは疲労を完全回復なんて出来るはずもない。
結局は、疲れが招いたことなんだな、と妙に納得する。
読み進めていくと、しかも伊吹と同じような現象にあう人もいるということが書いてあった。伊吹のように幻聴や幻覚を見る人もいて、心霊現象と錯覚するがそれはただの睡眠障害とのことだった。
あの女に首を絞められた時は、まじで死ぬかと思ったし、本当に金縛りってやつは人騒がせだな、と苦笑いをする。
ついでに金縛りの解き方も調べてみると、もう一回寝るが適切らしいということを知った。諦めて眠るということになってしまったが、自分の行動は間違ってなかったということが照明され、次回も同じ目にあったら目を閉じて深呼吸して眠ろうと心に誓った。伊吹はその後、金縛りの幻覚に絞められて息苦しさを感じた首をさすって再び目を閉じた。
結局あの後眠れずに、ゴロゴロしながらテントの中で過ごした。朝日が昇り、テントの中にも日の光が入ってきた。疲れが完全に取れていない重い体を起こして、顔を洗ってさっぱりしようと、タオルと石鹸や歯磨きセットを持ち洗面台がある場所へ移動する。そして、顔を洗いタオルで拭いた後、鏡を見る。すると首筋にミミズ腫れのような痕が見えた。
「この痕、なんだ?」
鏡に映った首筋の痕をなぞりながら、怪訝な顔でまじまじと見つめる。ポコポコと腫れている痕は、なぜだかあの首を絞められたときの女の細い指先の痕のように思えて背筋に冷たいものが走る。何を非科学的なことを考えているのだ、と自分の考えを断ち切るように首を振った。
先ほど怪奇現象ではなかったと結論づけた伊吹は、息苦しかったときに自分で首を掻いたからかもしれない、と独りごちたあと、洗面道具を持ってテントへと戻ったのだった。
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