第55話

 私達は言葉を失った。

 全ての視線がローレンスに向かう中、シャロンは小さく溜息をつく。

「残念だわ……。とても残念」

「待ってください!」

 気付くと私は叫んでいた。

「あ、ありえない! ローレンスがシモン・マグヌスを殺したなんて!」

「……ええ。気持ちは分かるわ。でも事実なの。シモンを城の外に出し、突き落として殺し、そして再び城の中に連れて帰る。それが可能なのは彼だけよ」

「証拠がない!」

「それもあるわ」

 私の精一杯の抵抗もシャロンは軽く受け止めた。

 ローレンスは反論もせずに俯き、ただただ黙っている。

 私は苛立ってシャロンに尋ねた。

「なら証明してみてください! でなければ私は認めません!」

 シャロンは寂しそうな顔で私を見つめた。まるでこうなることが分かっていたようだ。

 一方の私は納得できず混乱していた。ローレンスが犯人? ありえない!

 もしそうならどうして彼は事件の解決にこれほど協力したのか?

 スパイを炙り出すために手紙を書かせたり、城の中を案内したりと尽力していた。犯人が事件の解決に協力するなんて前代未聞だ。

 シャロンはローレンスを見ると伏し目がちに話し出した。

「そもそもこの事件はおかしいところだらけだったわ。魔法使いがこれだけいるのに犯行現場には魔法痕がなかった。あったのは描きかけの魔方陣だけ。この時点でわたしは魔法使いの関与は薄いと思ったの。次にトリックの存在だけど、それも見当たらなかった。唯一見つかったのは短い釣り糸のみ。グラスに氷も残っていたかも知れないけど、ヴィクトリアが部屋を出てからシモンが殺されるまでの間に溶けるはずだから除外したわ。つまりこの事件は魔法でもトリックでもない、別のなにかが働いたことになる」

「だ、だからと言ってローレンスが犯人だとは到底……」

「彼を最初に疑ったのはあの釣り糸が見つかってからよ」

「釣り糸がなんだって言うんです?」

「分からないの? あの部屋を確認したのは誰? 最初に入った警備兵が三名。それから私とあなた、そしてローレンスが部屋に入って中を探した。だけど誰もテーブルの足に巻き付けてあった釣り糸を見つけられない。そんなことがありえると思う? ただ部屋にいるだけならそれもあるかもしれない。でもわたし達は手がかりを探すためにあの部屋にいたのよ。だけど釣り糸は見つからなかった。なぜ? 理由は死体の時と同じよ。釣り糸なんて存在しなかったから」

「存在しなかった……?」

「ええ。釣り糸はあの部屋に存在しなかった。少なくともわたし達が入った一度目にはなかったのよ。だけど二度目にはたしかにあったわ。じゃあその間あの部屋に入ったのは誰?」

 私はハッとして思い出した。

 サイラスの名刺。ローレンスはあれを探しに部屋へと戻っている。

「そう。ローレンスだけがサイラスの名刺を取りに行くという名目であの部屋に入っている。釣り糸はその時に巻いたのよ」

「だ、だとしてもなんのためにそんなことを?」

「魔法が使われてなかったからよ。あの部屋に入った時、最も目を引くのはなにかしら?」

「なにってそれは……」

「魔方陣よ。あの部屋にはアーサーが描いた魔方陣があった。なら当然こう考えるはずよね。あの部屋では魔法が使われたと。あの部屋で不可解なことが起これば疑われるのは魔法使いだ。だけど実際は違った。魔方陣は描きかけで、シモンは魔法も使えない偽者だった。あの部屋では誰も魔法を使ってなかったの。ならわたし達はどうやって密室を作ったと思うかしら? 当然トリックを使ったと考えるわ。だけどトリックに使えそうなものがあの部屋にはほとんどなかった。だからローレンスは慌てて釣り糸をテーブルに巻き付けたのよ。誰かがトリックで密室を作ったと思わせるためにね。その結果今までなかった場所に釣り糸が現れた。魔法でも使ったみたいに突如として。あの瞬間からわたしはローレンスが犯人だと考え始めたの。そして次第に確信していくわ。ただ彼は一つ見落としていた。あの鍵穴は特注で釣り糸なんて使えないことを知らなかったのよ。そのせいで別のトリックが使われた可能性を示してしまったわ」

「釣り糸が出てきたからローレンスが犯人だと決めつけるのは早計ですよ。それだけではなんの証拠にもなってません!」

「そうよ。釣り糸はあくまで入り口。本当に重要なのはこれからよ。シモンがルイス少佐に変装したのは明らかだわ。マイロ少尉。あなたは言ったわね? ルイス少佐は髭を生やした老人だった。その老人を見たのは初めてだったと」

 マイロ少尉は「ええ……」と頷いた。

「誰も見たことのないルイス少佐。だけど一人だけ会って話している人がいるわ。それがローレンスよ。彼だけがルイス少佐に会い、泊まる部屋を用意するよう指示を受けている」

「でもリストには名前が書かれていたじゃないですか?」と私は抗議した。

「あれはローレンスが偽装したものよ。その話はあとでしましょう。とにかく前もってルイス少佐と会っていたのはローレンスだけだった。他の兵達がルイス少佐と会ったのは三階から降りてくる時と城から出る時だけ。給仕ですらルームサービスを無視されている。ここからもローレンスを怪しむには十分だわ」

「み、密室はどうやって作ったんですか?」

「マスターキーよ。ローレンスは前もってシモンに変装用の服と付け髭。そしてマスターキーを渡していたの。おそらく夕飯のあとにね。あなたが偽者だと分かった。捕まれば大罪だ。だがそうなると自分達も責任を取らされる。今なら指示に従えば逃がしてやるとでも言ったんでしょう。言われた通りシモンはルイス少佐に変装し、鍵をテーブルの上に置いてマスターキーを使ってドアの鍵を閉めたのよ」

「だけどマスターキーは金庫の中にあったじゃないですか!」

「ちゃんと見たの? マスターキーが金庫に入っているところをローレンス以外の誰かが」

 マイロ少尉は困惑しながら口を開いた。

「え、えっと金庫を開けて、中尉が鍵を取り出したはずです……」

「右手で鍵を使ってドア開け、左手を中に入れ、隠し持っていたマスターキーを見せれば取りだしたように見えるわ。それにあなたは焦っていた。これはあなた自身が言ったことよ。シモンの死体が見つかり、しかもドアが開かないから焦っていたと。そんな状況で金庫にマスターキーが入っているかきちんと確認できるかしら?」

「そ、それは……。ですがマスターキーを取り出すには鍵が……」

「それについてもかなり怪しいわね。あなたはマスターキーを使うのは初めてだと言ったわ。一度も使ったことのないマスターキーが入った金庫の鍵が少しの間なくなっていたとして気付けるかしら?あなたの鞄からこっそりと取り出し、それを使って金庫を開け、中のマスターキーを持ち出してから鍵を元に戻すなんて身内なら造作もないはずよ。上官なら尚更ね」

 マイロ少尉は反論できなかった。疑う目で無言を貫くローレンスを見つめる。

 シャロンは静かに続けた。

「これで密室の謎は解けたわね。シモンが作り、それをローレンスが助けた。マスターキーを使えば施錠した部屋に鍵を置いておくことなんて簡単にできるわ。そしてシモンと合流し、マスターキーを回収した。あとは次の日に騒ぎが起こるのを待つだけよ。階級は上なのだからお前の鍵を寄越せと言えば金庫を開けるのは確実にローレンスとなるわ」

「ま、まだ犯行が証明されたわけじゃありません!」と私は言った。

「そうよ。まだ密室の謎しか解けてないわ。ではルイス少佐に扮したシモンはどこで殺されたのか? 彼が駅に着いてから電車に乗ったわけじゃないわ。そのあとやってきたローレンスの車に乗ってある場所に行ったのよ」

「ある場所?」

「あなたとデートしたじゃない。あの岬よ。ローレンスはシモンをあの岬に連れて行き、突き落とした」

「なんの証拠もないのになぜそんなことが分かるんですか?」

「証拠ならあるからよ。死体には白い破片がついていたわね。あの正体は貝殻なのよ。実験を覚えている? リトマス紙はアルカリ性を示していた。貝殻を砕いたものは貝殻石灰と言って農業に使われるのよ。酸性の土壌を中和するために使うの。あの破片を見た時、わたしはぴんと来たわ。これは貝殻かもしれない。でもこのサイズでは本当にそうか分からないと。だけど実験でアルカリ性となれば貝殻の可能性がかなり高くなる。そして海で突き落とされない限り貝殻が顔に刺さるなんてことはありえないわ」

 だからあんな実験をしたのか……。あれで殺人現場を特定していたなんて……。

「シモンは岬に連れて行かれ、そこで突き落とされた」シャロンは続けた。「あそこは砂浜から磯に行けるわ。死体はそこから回収したんでしょう。頭の下に敷かれたハンドタオルは血を吸収するためよ。出血していたはずなのに血がほとんどなかったら別の現場で殺されたと言っているようなものだわ。それを防ぐために前もって盗んでおいたハンドタオルを使ったのよ。あそこにあってもおかしくない庭師のものをね」

 あんな場所にハンドタオルがあった理由はそれか……。

 私は次第に反論する気力がなくなっていた。頭に浮かぶのはなぜだという疑問だけだ。

 シャロンは更に続けた。

「死体を回収したローレンスはそれを車のトランクに入れて朝になるのを待った。もちろん死体から出る血が車内に残らないよう工夫はしたはずよ。そして朝になると同時に彼は城に戻った。その絶妙なタイミングを逃さないようにしてね」

 私はすぐにピンときた。

「…………霧……ですか……」

「そう。あの城は朝に濃い霧が出ることで有名だわ。ローレンスは車で敷地内に入り、駐車場に行くふりをしてシモンが泊まっていた部屋の下まで向かった。そこで死体を降ろし、霧に紛れて駐車場に戻って車を駐め、何食わぬ顔で守衛室に向かったの。そして部下達と共に死体が発見されるのを待ったのよ」

「む、無理ですよ。城に入る時に車内は確認してるんです。どうやって死体を隠したって言うんですか?」

「お花よ。ローレンスが言っていたでしょ? あの日の朝にお花を持ってきたって。あれを使って死体を隠したの。トランクに布で包んだ死体を入れ、その上にたくさんの花束を置けば怪しまれないわ。お花を触られそうになっても客人に渡すものだからと言えば回避できるはずよ。そもそも入り口では目視しかせず、持ち込む物はゲートで確認してたから隠すのは難しくないでしょうね。死体の臭いも花の香りで隠せるわ。大体時間もおかしいのよ。ローレンスは深夜に帰って早朝に来ている。だけどホテルに調べさせた結果、ナルンのお花屋さんで深夜の零時以降もやっていて、早朝の六時前に開店する店はなかったわ。きっと前もって用意していたのね。素人が部屋で管理していたから一部のお花は元気がなかったんだわ」

「ぜ、全部想像にすぎない。証拠なんて一つもないじゃないですか?」

 私が力を振り絞ってそう反論するとシャロンは小さな破片を取りだした。白い破片は所々赤く染まっており、私はドキッとした。

「これはわたしがローレンスの車で見つけたものよ。死体についていた破片でしょうね。血が付いているわ。鉛筆を落とした時偶然手に触れたの」

 私の体から力が抜けていくのが分かった。

「で、でもそれだけで犯人ということにはならないはずです……。どこかで紛れ込んだのかもしれないですし、犯人が車に入れた可能性もあります」

 シャロンはローレンスをチラリと見た。だがローレンスはなにも言わない。

 シャロンは私に向き直し、寂しげに微笑した。

「そうね。これだけだと犯人がローレンスに罪をなすりつけた可能性があるわ。でも、もう一つ決定的な証拠があるの。マイロ少尉。あれを」

 名前を呼ばれ、マイロ少尉はローレンスを気まずそうに一瞥した。ローレンスは黙り込み、なにも言わずに微笑みながら床を見つめている。

 マイロ少尉はシャロンにリストを渡した。シャロンは受け取り、付箋がしてあるところを開いた。

「これはあの城を訪れた者のリストよ。どんな人でもここには直筆のサインをする必要があるわ。そしてここにルイス少佐のサインが二つある。一つは城に入ってくる時のもの。もう一つは城から出る時のものよ」

 シャロンはパチンと指を鳴らした。

 すると文字が宙に浮かび上がった。一瞬辺りがどよめく。

「ここにある二つのLewisを見てなにか気付くことはないかしら?」

 この場にいるほとんどの者が浮かぶ文字を見つめた。そしてイヴリンがそれに気付く。

「あ! 違います! 筆跡が全然違いますよ!」

「言われてみればたしかにそうだ」とアーサーも同意した。

 たしかにこの二つのルイスは違う筆跡だった。シャロンは頷いた。

「そう。来た時に書いたのはローレンス。そして出る時に書いたのは偽のシモンのものよ。さらに二つの名前をここに加えるわ」

 シャロンが再び指を鳴らすとシモンが城に入る時に書いた名前が浮かび上がった。

 それに加え、ヴィクトリアが持っていたスマート本が宙に浮き、そこからあの時サインしたローレンスの文字が浮かび上がった。

 文字が浮かび、それらが重なり合うとわっと声が上がった。

「重なる! ローレンスのLとルイスのL。それとマグヌスのSとルイスのSが完全に重なっている!」

 筆跡鑑定。それは裁判でも使われる有力な証拠だった。

 ローレンスとシモンが協力してルイス少佐を偽装していたというこれ以上ない証拠を目の前に突きつけられ、私は完全に反論する気力を失った。

 シャロンはとどめを刺すように告げた。

「反論があるならどうぞ。ロバートが自白剤を飲まなかった時点でどんな嘘を言っても無駄だけど。それとも自白剤が効かないか試してみる。それこそあなたの忠誠心(ロイヤル)が試されるわね」

 最後のピースとは使われなかった自白剤だったのか……。まさかここまで読んでいたとは……。

 全ての証拠がローレンスを犯人だと指し示している。それはもう逃れようがないまでに。

 私は泣きそうになりながら苦楽を共にした友を見つめた。

「…………どうしてなんだ……?」

 ローレンスはふっと息を吐き、諦めたように笑う。

「どうして? 自分は国の為に動いたまでだ。いつだってそれは変わらない」

「国のため……?」

 シモンを殺すことがなぜ国のためになるのか。私には言っている意味が分からなかった。

 だがシャロンは違った。彼女だけが全てを見通していた。

「そう。あなたは立派だったわ。いえ、立派すぎた」

 ローレンスは苦笑した。

「お褒めにいただき光栄です」

 シャロンは小さく溜息をついた。

「今回の事件で最も分からないこと。それはあなたが犯人だとして、動機は一体なんなんかということよ。この謎を解くのに随分と苦労したわ。それこそ数年は老けるほどに」

 そうは言うがシャロンの見かけは変わらない。相変わらず華奢な少女がそこにいるだけだ。だがその底知れなさはこの会場に来た時と比べ、桁違いになっていた。

「動機というのはとても重要な要素よ」とシャロンは続けた。「なぜならそれがなければ事件は存在すらしないのだから。大きな事件の裏にはそれと同じくらい大きな動機があるはず。でも大抵の人はそれを気にしない。目の前の謎に夢中になってしまうから」

 シャロンは私をチラリと見た。たしかに私はずっと目の前のことばかり考えていた。

 最初は魔法が使われたと考え、次はトリックのことで頭がいっぱいになった。そして訳が分からなくなると考えることすら放棄してしまった。

 どうしようもない人間だ。すぐ隣にいた旧友のことすら考えられないとは。愚かにも程がある。

 その上今に至ってもローレンスがなぜこんなことをしたのか分からない。

 国のためとは言うが、王が招いた魔法使いを殺してなんになる? 偽者だったから? たしかにそれは許されないことだ。だがたったそれだけのことで人を殺すだろうか?

 シャロンは言った。大きな事件の裏には大きな動機があると。それはなんだ?

 シャロンは静かにローレンスを見つめた。

「あなたはとても真面目で曲がったことを許さない性格をしている。それと同時に優しくもあり、その上に愛国者でもある。こういった性格の人が殺人を犯すにはかなりの重いなにかが働く必要があるわ。たとえ軍人だったとしても優しいあなたには簡単に人を殺せなはず。一戦を越えるとしたら命令か使命か私怨が必要ね」

 シャロンは王を一瞥した。先ほどから王は静かになっている。

「最初はそこにいる馬鹿が命令したのかと思ったわ。あるいは軍の上層部がね。でも彼らがあのシモンが本物かどうか確かめられるのは晩餐会のあとだけ。最初から殺す気だったのであれば城になんて呼ばずに薄暗い森の中でひっそりと抹殺すればよかった。つまり上層部からの命令はない。あるとすれば魔法反対派だけど、それならシモン一人だけを殺すとは考えにくい。せっかく集めたのだから六人をまとめてポイしてしまえばいいわ。毒を盛るなり、火事を起こすなりしてね」

 それを聞いて魔法使い達は体をぶるりと震わした。

 シャロンは続けた。

「以上のことから命令はない。あるとすれば使命か私怨。だけど私怨の可能性は低い。もしそうならわざわざ自分が努めている城で殺さず、出向いた方が容疑者として挙がりにくい。計画性の高さからあの場で激高して殺したのもありえない」

 シャロンの言う動機の解明はすごく腑に落ちた。なら残るは……。

「使命。それがわたしが導き出した答えよ。あなたはなんらかの使命感でシモンを殺した。いいえ。偽者のシモン・マグヌスを突き落としたの」

 シャロンは小さく嘆息した。

「じゃあそれはなにか? ここから先が大変だった。真面目で、他人を思いやれる。なにより愛国者のあなたが殺人を犯すシチュエーションはなに? 軽いものじゃない。それだけ殺人という行動は大変だから。それも一人ならず二人まで殺すとなれば尚更ね」

「二人……?」

 一人は偽のシモン。ならもう一人は……。

 私はハッとした。同時に周囲もシャロンの言っている意味を理解する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る