第54話

 辺りが静まりかえった。

 ついさっきまで終わったと思っていた事件が更に複雑さを増して立ちはだかる。

 ロバート・ジョンソンはスパイだが殺人犯ではない?

 なら誰が殺したんだ?

 いや、そもそも本当にロバートは犯人じゃないのか?

 もし彼が犯人なら自白剤を飲まずにスパイだと宣言したことに別の意味がもたらされる。殺人犯だと見破られないようにスパイであることだけ言えばいいからだ。

 そしてそのことはレナード大尉も分かっていたらしい。

「犯人が別にいると言いますけど、彼が殺人犯でそれを隠すためにも自白剤を飲まなかった可能性もありますよね?」

「ないわ」

「おお。言い切りますか。それはどうして?」

「多少の頭脳と行動力があれば真犯人を見つけ出すのは簡単だから」

 さらりとそう述べるシャロンを見てレナード大尉は少し驚いていた。

「……つまり、真犯人の目星はついていると?」

「そうよ。今さっき、全てのピースが埋まったわ」

「今? 今ですか?」

 レナード大尉がポカンとするのも無理はない。私にはなんのことかさっぱり分からなかった。

 さっき? さっきなにがあった? ロバートがスパイだと分かったことか?

 誰もが周囲を見回した。だがシャロンと同じ領域に立つ者は誰もいない。彼女だけが人とは違う景色を見ていた。そのことが少し寂しかった。

 なによりずっとシャロンと行動を共にしてきた私は情けなくなる。

 ロバートは心底助かったとホッとした。一方で王は不満そうだ。

「では説明願いますか? 生憎僕には多少の頭脳もないみたいですから」

「そうみたいね。所詮は愛するママのために動くのが精一杯な坊やなのだから」

 シャロンは全てを見透かしたように微笑んだ。王の顔からさっきまでの余裕が消える。

「……なんのことだか」

「ああそう。まあいいわ。契約になかったスパイ捜しはただの慈善事業。欲しいものを手に入れるためにも本題に入りましょう。つまり、シモン殺しは誰なのか」

 ついに真実が分かる。そう思うと私は緊張して喉が渇いた。

 会場に静寂が広がり、その中心に小さなシャロンが立っていた。だがその小柄な体からは想像もつかないほどの存在感を放っている。

 大人達の視線を一身に受け止めながらも十分すぎるほど余裕が残っていた。

「話を戻しましょう」とシャロンは言った。「殺されたシモン・マグヌスは偽者で、だけど本物の設計図を持っていた。そしてその設計図はスパイであるロバートに盗まれ、写しを取って燃やされた。ここまではいいわね?」

 私は「ええ」と頷く。

「じゃあ今回の事件で最も不可思議な点はなに?」

「え? それはやっぱり密室なんじゃないですか?」

「そうね。だけど最もとは言えないわ。あの密室はそれほど手が掛かっているとは思えないから。いい? 今回の事件でも最も重要な点はシモン・マグヌスがいつ殺されたのかよ」

「いつ?」

「そうよ」

 シャロンは頷くが周りは話についていけてない。殺された時間がそれほど大事なのだろうか? そんなことより密室が如何にして作られたかの方が大事な気がするが……。

「いつ殺されたか……。ええと、アーサーが最後に会ったのが十二時前だから、彼が殺してない限りはそれ以降になりますね」

 アーサーは「だから僕は殺してないって」と抗議する。

 シャロンは私に同意した。

「そうね。彼が殺されたのは十二時以降よ。そもそもあの医者も言っていたでしょう? 死亡推定時刻は一時頃だと」

「そう言えばそうですね。でも気温などで多少上下するとも言っていました」

「気温で上下する可能性は極めて低いわ。あの城には熱くしたり冷たくしたりする施設は調理場や地下室しかないし、そもそも死体を見て死亡推定時刻が分かるなんてのは新しい技術で、そのことを知っている人はほとんどいないから」

「たしかに私も初めて聞きました」

「ではここで現在行方不明のルイス少佐について考えてみましょう。彼は有力な犯人候補だわ」

「そうです。と言うか犯人じゃないんですか?」

「わたしも最初はそう思ったわ。城から出ているなんて怪しすぎるから。だけど後にその考えは覆った」

「どうしてですか?」

「時間が合わないのよ。ルイス少佐が城を出たのは十二時二十分。なのにシモンが殺されたのは一時頃よ」

「あ……。……いや、でも」

「共犯の可能性もある? 残念ながらそれはほとんどないわね。犯行現場にいない上、アリバイを確保してくれるわけでもない存在にどんな手助けができると思う? 精々証拠隠滅くらいよ。でも証拠隠滅なら犯行後にその証拠を持ち出すはずよ。主犯はもっとあり得ないわ。城から出て四十分後に城の中の人間を突き飛ばすなんてことは不可能よ。魔法や大がかりな仕掛けを使えば可能かもしれないけどその形跡もなかったのだから」

「え? じゃあルイス少佐は犯人でもその仲間でもないということですか?」

「そうよ。それどころか彼は被害者だわ」

 被害者? ルイス少佐が? どういうことだ?

 私が混乱する中、レナード大尉が質問した。

「いや、ちょっと待ってください。死亡推定時刻というのは死んだ時間なんですよね? ならルイス少佐がシモンを突き落とし、密室を作って逃げた。だけどシモンはすぐには死なず、部屋の下で気を失っていたということは考えられませんか?」

「可能性はあるわね。だけどあそこは一定間隔で見張りが来るのよ。誰かが落ちてくれば音で気付くだろうし、そうでなくてもすぐに見つかるはずよ」

「ええ。でも真っ暗なせいもあり見つけられなかった」

「いいえ。見つけること自体が不可能なのよ」

 見つけること自体できない? 不思議に思いレナード大尉は首を傾げた。

「つまり見落としじゃないと?」

「ええ。考えてもみて。あの城は最大限とも言えるセキュリティーを用意していたわ。なのに少し暗かったからと言って死体が見つけられないなんてことがありえる?」

「でも実際はあったんでしょう?」

「死体からは血が流れていた。だけど誰もその臭いに気付かなかった。その上あなたの案ではシモンが殺されてから最低でも四十分は生きてあそこにいたことになる。普通なら助けを求めるはずよ。あるいは動いたかもしれない。そうでなくても落ちた時に音がするわ。だけど見張りは全く気付かない。それがどれだけ低い可能性かは分かるわね?」

「……たしかにそう言われるとありえないと思えてきました。仮に自分が突き落とされたら助けを求めて叫ぶはずですから。少なくとも光が見えたら手を振ります」

「そう。でも誰もシモンを見つけられなかった。死ぬまでならともかく朝になるまでね。でも無理ないわ。なぜならシモン・マグヌスはあそこにいなかったのだから」

 その衝撃的な発言に誰もが言葉を失った。レナード大尉はハッとする。

「いやちょっと待ってください。シモン・マグヌスは落下死したんですよね?」

「そうよ」

「でもそれだと矛盾が生じます。落下死したのにそこにいないなんて」

「その通り。もし頭を殴られていたり、ナイフで刺されて死ねばある仮説が立つわ。つまりシモン・マグヌスは致命傷を与えられ、死んでから落とされたという仮説がね。その場合は殺した人と死体を落とした人で分かれればいいからルイス少佐は容疑者から外れない。だけど今回の事件ではシモンが高いところから落とされている。この場合に限ってはルイス少佐は城にいなければ突き落とせないし、細工を回収することも不可能なのよ」

「それだけじゃない。死体が落下死したにもかかわらずあそこにいなかったとすれば……ああ! そうか! なんで気付かなかったんだ!?」

 レナード大尉は何かに気付き興奮した。シャロンは頷く。

「その通り。シモン・マグヌスはあの部屋から突き落とされてはいないの。別の場所から突き落とされて殺されたのよ」

 どういうことだか分からず私はくらくらしてきた。あの部屋から突き落とされていないにもかかわらずどこからか突き落とされた? そして死体が見つからなかったのはあそこになかったから。だけど死体はあそこにあって、見つかっている。

 まったくもってなにを言っているか分からない。

「じゃ、じゃあ死体はどこから?」

「運んだんだよ。犯人が殺してからね」

「いや、だからどうやって? あれだけ警備がいたんですよ?」

 シャロンは私を見て小さく溜息をついた。私はなぜかドキリとした。

「死因は転落死。頭からは血を流していたわ。この状況で死体を隠せる場所は限られている。被害者の部屋も魔法使いの部屋にも血痕はなかった。血を拭き取ったものも見つからないし、なにより転落死させてから部屋に死体を戻すのはかなり大変よ。魔法か大がかりな仕掛けが必要だけどその痕跡はまったくなかったわ。ドアからも難しいわね。あの鍵穴は特注だから」

「じゃあどうやって?」

「その話をする前にシモンが殺されたと思う時間を振り返ってみましょう。アーサーが最後に会ってからルイス少佐が城を出るまでの二十分間。この間に可能なことはなに?」

「可能なこと? 二十分でですか……」

「そうよ。シモンは落下死していた。仮にルイス少佐が犯人だとすると二十分で突き落とし、しかも翌朝まで死体を隠さないといけない。その上に完璧な密室を作り脱出する。そんなことが二十分でできると思う?」

「……いえ、時間に不可能かと」

「そう。共犯がいたとしても二十分で全てを行うのは不可能に近いわ。いくらなんでも時間が足りなすぎる。被害者を突き落とし、その死体の隠蔽した上、密室の構築までしなければいけない。たとえ完璧な計画を立てて実行したとしてもなにか少しでも予定と外れれば破綻する。あまりにもリスキーだわ。だけどどれか一つなら十分可能でもある」

「一つですか……。えっと突き落として持ち上げるのも時間がかかるし、朝までバレないようにするのはもっと大変だから……」

「密室の構築。ある一人だけ簡単に密室が作れるわ」

「ある人……それってまさか……」

「そう」シャロンは頷いた。「偽のシモン・マグヌス。彼だけが短時間で密室を作れる唯一の存在よ。窓を閉め、鍵をテーブルの上に置いて部屋から出ればいいだけだから」

 被害者が密室を作った? なぜ?

「いや、でもそれだとドアが閉められません」

「閉められるのよ。協力者がいればね」

「協力者?」

「ええ」

 シャロンは俯き、小さく溜息をついた。

「ずっと考えていたわ。密室を作ったのがシモン・マグヌスだとして彼は死ぬまでの時間どこにいたのか? 魔法使いの部屋? 密室を作ってからどうして魔法使いの部屋に行く必要があるの? 軍人の部屋? シモンが二階に降りたところを見張りは確認してないわ。ならどこに? そう考えた時、彼が偽者であることを思い出したの。彼は自分が偽者だとバレるわけにはいかなかった。だけどもし誰かにバレてしまったとしたら? 彼はどうするかしら? それもたった二十分の間に。わたしならすることは一つよ。変装をして古城から逃げるわ。なら誰に変装すれば時間を稼げるかしら? 城にいる人間だとすぐに分かってしまう可能性がある。だけど城にいない人間なら話は別よ。それこそが誰も見たことがないのにあの城にいたとされる存在、ルイス少佐なら尚更ね」

 ルイス少佐とシモン・マグヌスは同一人物だった。たしかにそう考えると筋が通る。

「ルイス少佐は変装したシモン・マグヌスだった……。二人は同時に消えていたんだ……」

 シャロンは頷いた。

「そう考えるのが自然でしょうね。協力者が彼に変装させ、密室を作るのを手伝い、城から脱出させた」

「そして殺した……。いや待ってください。じゃあ犯人はどうやってあそこに死体を置いたんですか? 城から逃げたシモンを再びここに戻すなんてこと……」

 私はそこでハッとした。あることに気づき、青ざめると同時に全身から汗が噴き出す。

「それができる人間が一人だけいるわ」

 シャロンは静かな瞳で彼を見つめた。

「シモンを殺したのはローレンス。あなたよ」

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