第53話

 私がそう言った瞬間、リカルド大尉は口に入っていたマフィンをかみ砕き、ロバートに襲いかかった。

「天誅ッ!」

「うるさい」

 シャロンがそう言うとリカルド大尉の大きな体が宙に浮いた。どうやら魔法を使ったらしく、リカルド大尉は空中でバタバタと暴れている。

 その間にも王の護衛達がやってきてロバートを囲んだ。ロバートは焦りながら言った。

「ちょ、ちょっと待ってください。なんで僕がスパイなんて……。それに今彼女が言ったことを本当だと証明できるんですか?」

「たしかにね」と納得したのはヴィクトリアだった。「あんたにしか分からない方法で暗号を解いてもそれは証拠にはならない。嘘かもしれないし、間違っている可能性もある」

「そうですよ」とロバートは同意した。

 たしかにそうかもしれない。私はシャロンを信頼しているが、いくら王の信認を受けたからと言って彼女だけが分かる方法が正しいことを誰も証明はできない。

 だがこの問題もシャロンにとっては想定内でしかないようだった。

「言ったでしょう? これは一つ目の方法だと。すぐに本当かどうかなんて簡単に証明できるわ。決して言い逃れできない方法でね」

「……どうやってですか?」

 ロバートの焦りが濃くなる。明らかに警戒していた。

 その一方でシャロンは余裕があった。だがこのこと自体に興味はなさそうだ。

「二つ目。この暗号から察するに何十通もの手紙が必要になるわ。それだけ複雑なものをこの短期間で覚えるのはほぼ不可能。新兵器だし、なによりあなたにはそちらの知識は少ないでしょうからね。だとすると設計図かその写しがあるはず。先ほどローレンスに部屋を調べさせたけど紙のようなものは一枚も出てこなかった。そうね?」

 ローレンスは「はい。なにもありませんでした」と頷く。

「それなら考えられるのは一つだけ。今も身に付けているのよ。あなたの部屋に入った時、鞄から魔法痕が見えたわ。きっとその中に入っているんでしょう」

 ローレンスはロバートの元に行き、手を伸ばした。

「確認させてもらいます」

 ロバートは渋々鞄を渡した。ローレンスがそれをシャロンの元に運ぶ。シャロンが目をうっすら赤くして中を探ると面白そうにあるものを取り出し、中身を確認した。

「どうやらこれみたいね。なるほど。よく考えたわ。まさか招待状の中身が兵器の設計図だとは誰も考えないでしょう。王家の紋章が飾られているから心理的に詳しくは調べないでしょうし」

 まさか招待状に隠していたとは。たしかに紹介状なら最初に入念にチェックされたはずだ。一度調べたものを再び調べ直すとは考えづらい。

 シャロンは招待状を眺めて続ける。

「しかも使用魔法は東北系。首都の魔法使いではまず見破れないようになっているわ。これなら時間は稼げるでしょうね」

「時間?」私は尋ねた。「なんの時間ですか?」

「決まってるでしょ。設計図を暗記するまでの時間よ。そしたら設計図や写しは燃やしてしまえばいい。そうなれば証拠は残らないわ」

 たしかにそうだ。逆に言えば彼が覚える前に探し出さなければ危なかった。

 ほとんど決まりだが、まだロバートは食い下がる。

「ま、待ってください。その紹介状には誰宛か書いていません。それが書いてあったのは紹介状が入っていた封筒だけ。なら中身を他の人が入れ替えた可能性もある。現にその紹介状を触った兵士もいるんです。その人がスパイなら私を陥れるために仕込んでもおかしくない。大体手紙一枚だけで私をスパイだと判断するのは横暴ですよ。たしかに暗号を仕込みましたが、それは仲の良い魔法使いにメッセージを送っただけです」

 かなり苦しい言い訳だが、その可能性はある。

 シャロンは呆れていた。

「たしかにこの暗号の内容はそうとも取れるわ。『拝啓、愛する人へ。あなたが求めるものを見つけました』としか書いていないからね。きっとバレる可能性を考慮して見破られてもいいような文言を選らんだんでしょう。それにわたしが言わせた条件から次の手紙はいつになるか分からないわ。きっとこの文言自体が助けを求めるためのものなのね。時間が経って警備が緩くなれば仲間が侵入して設計図を回収する算段かしら?」

「……なんのことやら」

「なるほど。まだ認めないわけ」

「もちろんです。私はスパイではありませんから」

「なら三つ目の方法を取らざる得ないわ」

「……どうやって?」

 ロバートは緊張していた。シャロンは不敵に笑う。

「どうやってって、そんなのあなたが一番分かってるじゃない」

「だからそれを聞いて――――」

 ロバートはハッとして言葉を切った。そしてこれでもかと青ざめ、汗を流した。自分の敗北を悟ったのか手が震え、この数秒で数年老けたようにすら見える。

 ロバートは青息吐息でシャロンを見た。

「……あなたは悪魔だ」

「失礼ね」とシャロンは呆れた。「あなたが作ったものじゃない」

「そうか!」

 私は二人の会話がようやく理解できた。続いてローレンスも頷く。

「自白剤だ! ロバートは自白剤を作って持ってきている! あれをここで使う気か!」

 自白剤。その言葉を聞いて辺りがどよめいた。

 サイラスは頬を引きつらせて「えげつねえ……」と呟き、アーサーとイヴリンは「うわー……」と声を合わせた。

 あのヴィクトリアも「人の心ってのがまるでないね……」と恐れていた。

 自分で作った自白剤で自白させられる。これほどの屈辱はないだろう。だがここは王の御前で、しかもその王に持ってきたものの効果を見せなければならない。

 王はニコリと笑った。

「ちょうどいいじゃないか。今ここで使ってみてよ。どうせ本物かどうか試さないといけないし、テストするとすればこれ以上ないシチュエーションだ」

 相変わらず我が王には慈悲がない。だがもしロバートが無実でそれを証明するには自白剤を飲むしかなかった。

 シャロンがクスリと笑う。

「如何にもスパイらしい裏をかく性格があだとなったわね。まずは医者であることを利用してシモンに近づき、次に王からの紹介状なら細かく調べる必要はないだろうという信頼を利用して設計図を偽装した。そしてまさかスパイが自白剤を持ってくることはないだろうという思い込みを利用しようとし、しかもそれを飲めると言って身の潔白を信じさせた。持ってきたのが一つだけなら確実に嘘をついている囚人にでも使って証明するつもりだったんでしょうけど、残念ね」

 ここには誰も味方はいない。もし自分がロバートの立場だとすれば泣いているかもしれなかった。

 ロバートは苦悶の表情に変わった。おそらく今、自白剤を飲んでも真実を言うかどうかを考えている。

 この王ならロバートを囮にしてイガヌのスパイを誘き出し、捕らえて尋問するくらい躊躇なくするだろう。その時にロバートがスパイだと分かれば自白剤は欠陥品だということになる。

 自白剤を飲んで真実を言えばスパイ確定。自白剤を飲んでも白状せず、後に新たな証拠が出てくれば自白剤が使い物にならなかった責任を取らされる。

 どちらの道も険しく、あまりにも暗い未来しか待っていない。

 だが一方の道にはまだ希望が残っていた。そのことに気付いたのだろう。ロバートは観念したように大きく息を吐いた。

「…………自白剤は飲めません。……私がスパイです」

「イガヌの犬めッ!」とリカルド大尉は叫ぶが未だに浮いたままだ。

 シャロンはまた「うるさい」と言って今度は大尉の口に特大の骨付き肉を放り込む。

 リカルド大尉が「もがもが」言っている間、シャロンは神妙な面持ちで小さく頷いた。

「そうね。残念だけどそれが正解でしょうね」

 王は怖さのある笑顔を浮かべて両手を広げた。

「イエス。賢明な人間は大好きだ。少なくとも手土産はあるわけだからね。自白剤。いいね。素晴らしい品だ。でもこれで浮気はできなくなる。妻の手が届かないところにおかないと大変だ」

 王は楽しげに笑うが、やはり目は笑ってなかった。選択を間違えばロバートがどんな目に遭ったかは想像に難くない。

 ロバートがスパイでもネルコに利益をもたらす物を献上すればその罪は軽くなる。実力を評価する王ならそうするだろうと私も思っていた。

 王が最も嫌うのは使えない人物。使えるなら敵でも味方でも利用する。合理的で、だからこそ恐ろしい性格だ。自白剤が使えなかった場合のことは考えたくもない。だが飲めないと言うのならやはり効果はあるのだろう。

 他の魔法使いは動揺していた。その中でも同じスパイであるヴィクトリアは腕を組んでロバートを見つめる。

「理由はなんだい? やっぱりカネかい?」

「とんでもない、と言いたいですがそれもあります。ですけど私欲ではありません」

 ロバートは恨みを込めた瞳で王や我々軍人を見た。

「東北の医療がどういう状態か。それを本当に理解できている中央の人間はいません。ありふれた薬が手に入らない。衛生面が確保できない場所で治療する必要がある。そんなことの繰り返しで中央なら簡単に救える命が失われる。医療だけでなく教育も遅れています。魔法についても我々の系統は枝葉で、別系統である中央の主流な研究についていけない。誰からも見捨てられた土地、それが東北です。私は愛国者ですが、愛しているのは国というよりは国民です。国民の命を守るためならイガヌから得たカネでも構いません。それで少しでも状況がよくなるなら情報くらい売りますよ。なによりあんな兵器を持てば他国の民が一方的に殺される。植民地での惨状をご存じですか? 医者としてあの状況が更に酷くなるなんて許せない。強力な兵器なんてない方がいいに決まってますよ」

 ばつが悪いとはこのことだろう。我々中央の人間が今一番気にしているのは植民地だ。国内の問題より植民地問題を優先した挙げ句、予算が貧しい地域に行き渡らない。

 その隙をイガヌは狙ったのだろう。だからロバートに近づいた。そしてこの優しい男を殺人犯に仕立て上げたのだ。

 王は打って変わって大人しくなり、二度ほど頷いた。

「なるほど……。余の実力不足というわけだ」

「そんなことはありません」とレイブンが庇うように言った。しかし王はかぶりを振る。

「事実は事実だ。それを受け入れられない人間はいつまでも妄想の中に生きなければならない。権力者の妄想ほど害があることもないよ。東北のインフラは古いまま。これは変えられない事実なんだから」

 王は肩をすくめ、軍人達は俯いた。王は苦笑する。

「でもそのために人を殺すなんて。君は中々の過激派だね」

「え? なんのことですか?」

「なにって、偽者のシモン・マグヌスを殺したのは君だろ?」

 ロバートは目を丸くした。

「ちょ、ちょっと待ってください! たしかに私はイガヌのスパイでシモンさんから設計図も盗みました。それは認めます。だけど殺人なんてやってません! これは天に誓って本当です! 疑うなら自白剤でもなんでも飲ませてください!」

 シモン・マグヌスを殺したのはロバートじゃない? どういうことだ?

 周囲がざわつく中、王は面倒そうに首を傾げた。

「ええ~。でも君が設計図を盗んだわけでしょ?」

「それはそうですが……」

「どこにあるの?」

「……本物は燃やし、灰はトイレに流しました。あんなものが存在すること自体が忌々しいですから」

「どうやって盗ったの?」

「施術をすると言って目隠しをして、その間に鞄から抜き取りました……」

「なるほど。けどそこまでやって殺してないって無茶があると僕は思うなあ」

 王は目を見開いてロバートの顔を覗き込んだ。

 ロバートはたじろぐがそれでも主張は曲げなかった。

「本当です! 私は殺してない! さっきの説明だと私が部屋を出てから彼に会った人がいるじゃないですか!」

「もう一度会いに行ったとか?」

「そんなことしてません!」

 ロバートはそう言うがその発言を信じる者はいなかった。

 彼はスパイで嘘をついていた。今更彼の言うことを本当だと思うより、苦し紛れに殺人の罪から逃れようとしていると考える方が合理的だった。

 ロバートは自分が殺人犯として処罰されると分かり、青ざめた。スパイだけでなく人も殺したとなれば重い刑は免れないだろう。

 ロバートは俯き、呟いた。

「本当だ……。私はやってない…………」

「ええ。そうでしょうね。もし殺していれば取り調べの時に自白剤を飲めますとは言えないでしょうし。あれは一つの質問にしか使えない。だからあなたは飲めると言った。あの状況でされる質問はまず間違いなくシモン・マグヌスを殺したかどうかだから。この時点で私はあなたをシモン殺しの犯人から除外したわ」

 シャロンがさも当たり前のように同意するので我々は驚いた。

「え? どういうことですか? 彼はスパイですよね?」

「そう言ってたじゃない」

「じゃあ……」

「彼が認めたのはスパイであることだけ。そしてわたしが言わせたのもそれだけよ。殺人を犯した証拠はないわ」

 周りが再びざわついた。私はゴクリとつばを飲む。

「……なら」

「そう。シモン・マグヌスを殺した者は別にいるの」

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