第27話
廊下ではなにも話さず、シャロンはその足でヴィクトリアの部屋に向かった。
下着姿で我々を迎えたヴィクトリアはシャロンの顔を見るとなにかを察した。バスローブを羽織って椅子に座ると対面するシャロンを静かに見つめた。
「また来たってことはなにか分かったってことだね。その確認をしに来たわけだ」
「ええ」とシャロンは答えた。「あなた、嘘をついたわね?」
「ああ。ついたよ」
ヴィクトリアはあっさりと認めた。そして近くにあったブランデーのグラスを手に取り一口舐めた。
「そりゃあそうだろ? こっちはただでさえ弱い立場なんだ。相手が知ってなくてこちらが不利になるならわざわざ言いやしないさ」
「ならあなたもシモン・マグヌスに会ったのね?」
「それが分かったからわざわざ来たんだろう? そうさ。会ったよ。でも誤解はしないでほしいね。あたしはあいつを殺してない。その理由も言える」
「スパイだから、かしら」
シャロンがそう言うと私とローレンスは目を見開いた。
ヴィクトリアがスパイ?
身構えるローレンスを見てヴィクトリアは忍び笑いをした。
「さすがは師匠の師匠。なにもかもお見通しってわけだ。そうだよ。あたしはハムスのスパイとしてここに来た」
それを聞いてローレンスは大きく瞬きする。
「ハムス? イガヌではなく?」
「雇い主の名前なんて間違えるわけないだろ。あたしはハムスの依頼を受けてた。イガヌからだったら断ってるよ。危険すぎるからね」
たしかに敵国のイガヌと友好国のハムスじゃ捕まった時の危険度がまるで違う。自分から言い出しているということは確認する手段があるということ。ならやはりハムスのスパイというのは本当なのだろう。
ヴィクトリアはブランデーをゴクリと飲んだ。
「その反応。あんたらもイガヌのスパイがここに来ていることを知ってるんだね。それともさっき知ったのかい? だから確認しに来た。だとするとネルコの情報網は知れてるね」
馬鹿にするヴィクトリアにローレンスは「なんだと!?」と不快感を露わにする。
「言葉の通りさ。あんたらは情報の価値をまるで分かってない。事実を知ったり、あるいはそれを事実だと思わせたりすることで互いの行動は随分制限できる。ネルコやイガヌって大国だとその差を兵力で埋められるが、ハムスのような小国だとそうはいかない。力なき者が力ある者を制するにはいつの時代も情報という鎖が必要なのさ。そしてあの国は情報が持つ価値をしっかりと理解している」
「なるほど」とシャロンは呆れ、納得した。「随分カネを積まれたみたいね」
「保険だよ。国が払ってくれるならそちらを使うし、そうじゃないならハムスに情報を売ればいい。どう転んでもいいように立ち回るのは基本中の基本だ。そうだろう?」
「その通りね」
同意するシャロンにローレンスはムッとした。
「母国を裏切るなど言語道断です!」
シャロンはつまらなそうにフッと笑った。
「その国がわたし達になにをしてくれたの? 魔法使いが重宝されるようになったのなんてここ数十年の話よ。それまでは迫害の対象ですらあった。再びそうならないとも限らないわ。迫害から逃れるためにはありとあらゆる手段を講じなければならない。そう考える魔法使いは多いのよ」
ヴィクトリアは歯を見せて笑った。
「話が分かるねえ。でもそういうことだよ。あたしらは国なんて信用してない。だけど利用はしたいと思っている。それは国も同じはずだ。一方だけが尽くすなんてことはただの歪みであって健全な関係じゃあないんだよ」
ローレンスはヴィクトリアを睨んだが、これ以上は無駄だと言わんばかり顔を背けた。
私はどちらかと言うと彼女達の言っていることに共感した。たしかにそうだ。一方的に尽くしても捨てられる。それが組織と個人の関係だった。
この事件に関わるまでは分かっていなかったが、所詮私なんていくらでも補充が聞く駒に過ぎないのだ。悲しいがそれは現実だ。
もしそうじゃなければ王は私をいらないなどと言わなかっただろう。
シャロンは余裕を見せるヴィクトリアに冷たく告げた。
「でもあなたがハムスのスパイだからと言ってシモン・マグヌスを殺してないとは限らないわ」
「なに言ってるんだい?」とヴィクトリアは訝しがる。「王の客なんて殺したら宣戦布告だと思われる。ハムスがそんなことするわけないだろう?」
その通りだ。ネルコが本気を出せばハムスはすぐさま攻め滅ばされるだろう。そうしないのは周辺国とのバランスを鑑みているからで、誰の目にも明らかな口実を手に入れれば喜んで取りに行くだろう。
しかしシャロンはそのことを分かった上で言っていた。
「そうね。でもあなたがイガヌやゴリガリに身売りするつもりなら話は別よ。敵国の重要な戦力を削り、且つネルコとハムス両国の情報を手土産にすれば亡命は簡単でしょうね」
「そんなこと思いつきもしないよ。大体それだと保険の意味がないだろ?」
「その保険に意味はなくても新たな保険を買うことはできるわ。ネルコだっていつまでも力を保てるか分からない。落ち目の国は総じてお金が回らなくなるもの。それを見越して次の宿主に取り入るための保険を買ってもおかしくないわ」
「それは長期的に見てだろ? あたしの見立てじゃこの国はあと十年は安泰だね」
「ならその時になって使える保険かもしれないわね。シモンから兵器のことを聞き出しておけば十分使えるわ。そうね。あのスマート本を使えば外部に漏らすのも容易いはずよ」
ヴィクトリアはムッとした。
「それなら証拠が残るだろ? 破って燃やせばそのページだけ不自然になる」
「あなたが作った物だもの。そんなことどうにでもできるわ。疑いを完全に晴らしたかったらハムスのスパイであることとイガヌのスパイでないこと。その両方を証明する必要がある。それくらい分かるでしょ?」
「……両方は無理だね」
小さく嘆息するヴィクトリアにシャロンは「でしょうね」と言った。
疑いすぎな気もするがたしかに可能性はある。しかしおそらくシャロンの目的は別にある。こうやって話ながら情報が出てくるのを待っているんだ。
いや。もしかしたらもう有益な情報を得ているのかもしれない。それとも疑っていると思わせることに意味があるのだろうか?
シャロンは次の質問をした。
「シモンとはなにを話したの?」
「なにって世間話さ。いきなり探りを入れれば怪しまれる。まずは仲良くなってそれから信用によって情報の濃さを上げていくんだ。だから兵器については聞いてないよ。互いの生い立ちや地元の話くらいだね。あっちもこんな綺麗なレディと話せて嬉しそうだったよ」
ヴィクトリアはわざとらしく胸を張った。それを見てシャロンは珍しく悔しがる。たしかにそこだけは雲泥の差だ。
「お酒を飲んだのはあなたね?」
「そうだよ。もしかした酔わせてどうにかするつもりだったのかもしれないね。だけど生憎あたしほど酒に強い女は存在しないのさ」
そう言いながらもヴィクトリアはブランデーを飲み干した。中々強そうな酒だ。私ならもう酔っ払っているだろう。
「魔方陣はなんのために置いたの?」
「魔方陣? なんだいそれ?」
私とローレンスは顔を見合わせた。
ヴィクトリアも知らなければ置いたのはアーサーで決まりだ。
まさか四人とも嘘をついていたとは。一体魔法使いはどうなってるんだ!?
シャロンは小さく嘆息した。
「なんでもないわ。あなたがハムスのスパイって分かった時に置いてないだろうとは思っていたから」
「反応を見たってわけかい? いやらしい女だねえ」
「はしたない女よりマシよ。まあ、多少の効果はあったみたいだけど」
シャロンは私とローレンスをギロリと睨んだ。そう言われても仕方がない。これほどの美人が無防備でいたらあれこれと見てしまうのが男という生き物なのだから。
シャロンはやれやれと立ち上がった。
「嘘をついた罰よ。あなたも他の連中もしばらく外には出さないからそのつもりでいて」
「……それは困ったね」
ヴィクトリアは大きな溜息をついた。
それを見てシャロンは呆れていた。
「それはこっちの台詞よ」
そしてこっちの台詞でもあった。
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