第9話
妹の子供を抱いたことがあるが、始めは軽く感じても徐々に重く思えてくるものだ。
歳の割には軽いシャロンも車に付く頃には随分重く感じていた。しかもそこを触るなだとか抱き方はこうしろだとか指令を出すので大変だ。
城から古城までは車で十五分ほど。街を川の方に向かって走ると郊外にそれはあった。
こうやって見ると今の城より随分と小ぶりだ。城の周りには古い建物が少しあるだけなので、高い城壁がよく目立つ。いにしえの職人達が十五年の月日を掛けて作った城は美しく、ここで残酷な殺人が行われたとは信じられなかった。
門番はローレンスの顔を見るとナンバーをチェックし、車内と車の下を覗き、トランクの中を目視で確認すると頷いた。
「トランクの中まで見るのか。業者のトラックなんかはどうしてるんだ?」と私は尋ねた。
ローレンスは車をゆっくりと走らせながら答えた。
「ここでは見るだけだが、奥のゲートで運び込まれた物資はくまなくチェックしている。その上に客が来てからは一台も外部の車両を入れていない。そもそも駐車場が狭くてそんなに車を駐められないんだ。責任者以外の兵達は近くの兵舎から徒歩で来てるよ」
「なら門からの侵入者はほぼあり得ないな」
「ああ。ここを通れても城の中に入るのが難しい。一階の窓は外から開けられないし、柵がついている。そして入り口は一つだけで、そこには常に守衛が数人滞在しているからな」
ローレンスの言う通り駐車場から城内に入ろうとするとゲートで止められた。リストに名前と住所を書き、許可証と身分証を見せ、荷物までチェックされた。
「いつもこんな感じなのか?」
「ああ。中には貴重な美術品も多いからな。二百年前に盗まれてから厳重になった。王家の財産を守る必要があるし、なによりここは国にとって重要な客が招かれる場所だ。誰であろうと持ち込む物は細かくチェックしている」
「城壁の周りも人がすごかったな」
「他からも応援を頼んでね。普段は少ないが今は百人程いる」
「なら城壁を越えるのも無理だな」
越えたとしても城の周りにも見張りがいるし、どのみち中に入るためにはゲートを越えなければならない。
部外者が中に入って誰かを殺して出ることはまずできない。ならやはり容疑者は同じ階の五人に限られる。
ゲートを越えると私はシャロンを抱っこして廊下を歩いた。中も綺麗だ。吹き抜けの廊下は三方に伸び、真ん中は柱が交互している。その両端に弧を描くような廊下が伸びていた。廊下には教科書に載る有名画家が描いた絵が並べられており、まるで美術館のようだ。
「前にも来たことがあるけど良い城ね。でも絵は随分変わったわ」
ローレンスは言いにくそうに答えた。
「喜んでもらえてなによりです。絵は五十年前に入れ替えたそうですが……」
それからはしばらく全員沈黙しながら廊下を進んだ。
魔法使い達が寝泊まりする本棟に到着するとここでも身分証明書を出すように言われた。これも客がいる時は必ず行っているらしい。
今のところセキュリティーには問題ない。むしろ厳しすぎるほどだ。それほど国は魔法使い達を重宝していたのだろう。同時に警戒しているのかもしれない。
一昔前は魔法など見向きもされなかったが、工業化に伴い効率化が優先されると魔法を用いて作られた部品や製品が注目されるようになった。
大量生産大量消費の時代だ。一時間で百個作れるより二百個作れた方が当然儲かる。
そのために魔法は再び表舞台に返り咲き、今では自由に使えるよう法改正も議論されているそうだ。
しかし、今回の事件のように魔法を使っての殺人などが起きれば警察は対処しきれない。この分だと法改正は随分先になるだろう。だがそれも仕方ない。人が解くことすらできない方法で人を殺す術など世間に溢れては大変な事になる。
ローレンスに連れられて階段を登っていた私はそう考えていた。階段にはフロアごとに二人の兵がおり、ここでもまた許可証を見せなければならなかった。
そしてようやく魔法使い達が待つ三階へと足を踏み入れた。ここも豪華だ。床には赤い絨毯が敷かれ、ドアや柱でさえも装飾が施されている。元は王家が所有していたのだから当然だが、こんな場所で人が殺されたなんて実感が湧かなかった。
私はそこでシャロンを絨毯の上に降ろした。
「ご苦労さま。悪くない乗り心地だったわ」
「それはよかった」
安心したと同時に内心溜息をついた。どうやらしばらくはこれが続きそうだ。士官になってからは鍛錬が疎かになっていた。また鍛え直さないと。
ローレンスは廊下を進んでいく。
「魔法使い達は事件があってから今までこのフロアに留まってもらっています。お話を聞きますか?」
「そうね」とシャロンは答えた。「でもその前に部屋を見たいわ。死んだ男が泊まっていたという部屋を」
「分かりました。こちらです」
ローレンスはいくつか並ぶドアの一つの前で立ち止まった。左右にも部屋があり、正面にも同じような光景が広がる。どうやらシモン・マグヌスの部屋は廊下のちょうど真ん中に位置するようだ。
鍵を取りだしたローレンスに私は尋ねた。
「それは?」
「この部屋に置いてあったものだ」ローレンスはそう言って鍵を開けた。
「同じ鍵はないのか?」
「ない。あるのは守衛室の金庫にあるマスターキーだけだ」
私は城に入る時に見た守衛室を思い出した。衛兵が何人もいてとてもじゃないが外部の者では忍び込めそうになかった。
ローレンスは十字架の装飾が施された鍵穴に鍵をさした。そう言えば全ての鍵穴に同じような装飾が施されている。意味は分からないが鍵穴の形は複雑そうに見えた。
ローレンスはドアを開け、ライトを付けた。短い廊下を通って中に入るとこちらも豪華で高級ホテルのスイートみたいだ。しかし客室ということもありそれほど物はない。
廊下の左側には浴室があり、右前にテーブルと椅子。その後方に大きなベッドが置かれている。窓はテーブルのすぐ近くにあった。
ここで人が殺された。そう思うと緊張する。しかし血の一滴も見当たらないとすぐに安心した。それはそれで不気味だが血まみれの部屋を見るよりはましだ。
「魔方陣は?」とシャロンが尋ねるとローレンスは「テーブルの上です」と答えた。
近づいてみるとテーブルの上には紙に書かれた魔方陣があった。読めない文字が円を描き、星や月の紋章と組み合わせられている。
テーブルにはグラスも置いてあり、飲みかけのウィスキーがそのままになっている。
「どうやら偽装されているわけではなさそうね」
「偽装?」
「文章を偽装する魔法があるのよ。魔法使いでなければまず見破れないわね。魔法使いでも習得した系統によって偽装方法は様々だから、知らない系統の魔法は見破るのは難しいわ」
「同じ魔法でも方法が違うんですか?」
「ええ。教えてもらった人や地域ごとにね。まあ、わたしならどんな系統でも分かるけど」
魔方陣を見つめていたシャロンはなにかに気付いたのか目を丸くし、しかしすぐに眉をひそめた。そして辺りを見回す。
「部屋の中は見たの?」
「はい。でも短い時間だけです。なるべく手を付けない方がいいと思ったので」
「そうね。でもそれならまたなにか出てくるかもしれないわ。魔法使い達は魔方陣を見たの?」
「いえ。部屋の奥に入ったのは自分と仲間だけです。状況は説明しましたが」
「そう」
シャロンはそう答えるとしばらくなにかを考えるように黙って部屋を眺めた。
私とローレンスは互いに顔を見合わせる。ローレンスはシャロンに尋ねる。
「えっと、どうでしょうか?」
「どうって?」
「魔法痕です」
「ああ。そっちね」
シャロンは思い出したと言わんばかりに再び部屋を見つめた。かと思うと目が微かに赤く光って見える。おそらくこれが魔法痕を見るための魔法なのだろう。
初めて見たシャロンの魔法は率直に言うとすごく地味だった。だが逆にそれが私を安心させた。
シャロンは赤い瞳でベッドやテーブル。窓、バスルーム。そして廊下やドアノブを見つめた。そして戻ってきたシャロンは小さなお尻をベッドに乗せて一息ついた。
瞳から赤い光が消えるとシャロンは答えた。
「ないわ」
「え? 魔法痕がですか?」
ローレンスは驚き、私も目を丸くする。
シャロンは頷いた。
「ええ。魔法痕は最長で数年残る場合もあるの。大きな魔法ほど深く残るわ。でもどこにもない」
「……それはつまり」
「この部屋では誰も魔法を使ってないということね」
私達は想定もしてなかった展開にしばらく言葉を失った。
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