第48話 腐ったミカン
「その質問に何の意味があるのですか?」
杭打は苛立ちを隠せない様子で言った。
「それが、杭打さんにとってのダンジョンですか?」
「……違います」と杭打は煩わしそうにするも、真面目な顔で答える。
「あれは忌むべき存在です。あれがある限り、多くの国民が危険と隣り合わせで生活することになる。だから我々には、素早くあれを攻略する使命があります」
この男とはやはりわかり合えないと思った。
ダンジョンが忌むべき存在? そんなわけがない。
「なるほど。宿須君はどうかな?」
「俺にとってのダンジョンは――愛すべき存在です。ダンジョンには、このくだらない世界にはないファンタジーがある。だから、この世界では失格の烙印を押された俺みたいな人間でも、何者かにはなれる。そんな夢と希望にあふれた場所を、俺は愛さずにはいられません」
「なるほどね」と渋沢さんは微笑んだ。
「ふん」と杭打が隣で鼻を鳴らす。
「ダンジョンを愛するだと? 馬鹿じゃないのか。あそこはそんなキラキラしたものじゃないぞ」
相変わらずの憎まれ口。
反論しようとしたが、渋沢さんが先に言った。
「ダンジョンの価値は人それぞれですよ。杭打さんの考えが全てじゃない」
杭打はバツが悪そうに口を閉ざす。渋沢さんは話がわかるようだ。
「さてさて、どうしたものかな……」
渋沢さんが思案顔になる。
沈黙。
皆、渋沢さんの次の言葉を待った。
そして数分後、「決めました」と彼女は言う。
「規律違反の件ですが、こちらは不問にします」
「なっ」
「そして、宿須君をランキング10位として、トップ会議に迎えたいと思います」
「なななっ!」と杭打の顔が赤くなる。
「正気か!?」
「正気ですよ」
「なぜ、規律違反の件が不問なんだ!? それに、こいつがランキング10位だと!?」
「まぁまぁ、落ち着いてください。一つずつ説明します。まず、規律違反の件ですが、杭打さんは、自分が被害者みたいな言い方をされていましたが、最初に剣をちらかせ、宿須君たちを脅したとの証言もあります。だから、宿須君の行為は正当防衛かなって思います」
「お、俺が先に剣をちらつかせただと、そんな話」
「私に嘘を吐くつもりですか?」
渋沢さんが冷めた視線を向けると、杭打は言葉に詰まった。
そんな杭打を見て、渋沢さんは微笑む。
「そして、彼をランキング10位にする件ですが、彼は、我々が二か月くらいかけても攻略できなかったダンジョンをわずか数日で、しかも一人で攻略した。その功績は、トップ会議に参加するにふさわしいものだと思います。ただ、冒険者としての日が浅いので、ランキング10位から始めてもらいます」
「で、でも、ランキング10位は俺だ」
「はい。なので、今からあなたはランキング11位です。また、トップになれるよう頑張ってください」
杭打がわなわなと震える。
ダンジョンであれだけ偉そうに振舞っていた男の恥辱に染まる顔を見るのは、最高に気持ちいい。
「お、お前らはそれでいいのか!?」
杭打は渋沢さん以外のトップに訴えかける。
その場にいた赤髪ツンツン男が、「渋沢さんの意見に一票」と笑いながら手を挙げた。
「くっ、貴様っ!?」
「ありがとう
誰も発言しなかった。
「決定ですね」と渋沢さん。
「ふ、ふざけるな!?」と杭打が声を荒げる。
「俺が、い、今まで、どれだけギルドに貢献してきたのかと思っているんだ! それを、こ、こんなぽっとでの『腐ったミカン』みたいなやつに!」
――腐ったミカン。
懐かしい響きだ。
昔の上司によく言われた。
あのときは、その言葉が死刑宣告のように聞こえ、自分の存在価値について問いかける日々が続いた。
でも、今の俺は違う。
ダンジョンを通して、学んだ。
俺にも存在価値はあるし、輝ける場所は存在する。
だから、自分を卑下することはない。
むしろ、この『腐ったミカン』に教えてあげる必要がある。
「あの、杭打さん。一つ良いですか?」
「何だ!? 誰がお前の話など」
「あなたは俺を『腐ったミカン』と言いました。でも、それは本当に正しいのでしょうか?」
「な、なんだと!?」
「『熟した果実』は、適度な刺激で周囲に成熟を促す。一方で、『腐った果実』は、過度な刺激で周囲を腐らせる。お前はどっち側の人間だ? 杭打」
「杭打『さん』だろうがっ!」
杭打の顔が赤くなるが、赤くなりすぎて黒ずんでいるように見える。
まさに腐った果実だ。
「そういうところだぞ、杭打。言葉遣いなんてものは、コミュニケーションをとるための手段でしかない。しかしお前は、手段にこだわり、大事なものを見失っている。それは、今に限ったことじゃない。俺は、お前との攻略で何度も見てきた。そうやって、独りよがりな腐臭をばらまき、周囲を腐らせるお前こそ――『腐ったミカン』だ」
ようやく言えた。
上司に苦しめられていた時に、ずっと考えていたこと。
この言葉は、杭打だけに向けた言葉ではない。
その背後にいるであろう上司や、上司を生み出した社会に対する言葉だ。
むろん、この言葉が多くの人に届くことはないことは知っている。
ただ、杭打には知っておいて欲しかった。
杭打みたいな存在が害悪であることを。
「俺がい、いつ、腐臭をばらまいた!?」
「そんなの自分で考えろよ。好きだろ? 自分で考えるの。まぁ、でも、その腐った脳みそじゃ、思いつかないか」
「て、てめぇ! 好き勝手に言わせておけば!」
杭打が殴りかかってきた。
しかし、ギルドの職員が「落ち着いてください!」と間に割って入る。
哀れな男だと思う。
困ったら、暴力かよ。
「そのまま追い出しちゃってください」と渋沢さん。
「そろそろトップ会議を始めたいので」
「ふざけるな、放せ! お、俺が今まで、どれだけ――」
会議室の扉は閉められた。
廊下でまだまだギャーギャー言っているのが聞こえる。
往生際の悪い男だ。
「宿須君」と声が掛かる。
渋沢さんと目が合う。
優しく微笑む彼女は女神に見えた。
「ようこそトップ会議へ。今日からあなたはランキング10位の冒険者です」
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