第44話 空を跳ぶ

 普通なら二時間ほどかかる道のりも、跳躍の魔法を使えば、三十分で到達できた。


 俺はネムを下ろす。


 ここまで来れば、他の冒険者もいるし、奴らはネムに手出しできないだろう。


 だから俺は、意識を遠方にいるドラゴンに向け、覚悟を決めた。


「……ネム。見ててくれ。俺は、あいつをも超えるよ」


「うん。でも――」と言いかけ、ネムは惑う。


 何か言いたそうにしていた。


 しかし、最終的にはそれを飲み込んで、俺に微笑みかける。


「竜二。これだけは約束して」


「何?」


「絶対に死なないで」


「……ああ。もちろん」


 不思議な気分だ。


 この俺が、誰かに生きることを願われ、俺自身も誰かのために生きることを願っている。


「じゃあ、行ってくるよ」


「うん! 頑張れ! 竜二なら、できる!」


 ネムからの応援を背中に受け、俺は歩き出した。


 向こう側まで伸びる橋の前に移動しながら『魔力ポーション』を飲む。


 向こう側までは、距離にして百メートルくらいか。


 遠方にいるドラゴンが俺を睨んでいる気がして、思わず笑みがこぼれた。


 命を削るような死闘。


 これから、俺と奴との戦いが始まる。


「おい、君」とそばにいた冒険者が声をかけてきた。


「はい」


「もしかして、この橋に挑戦しようとしているのか」


「はい」


「馬鹿な! 一人でか? 危険すぎる」


「大丈夫です。考えがあるんで」


 俺が空になった魔力ポーションの小瓶を渡すと、冒険者は困惑しながら受け取った。


 俺は橋の前に立ち、息を整える。


 そして――膝を曲げて力を溜めると、爆発的な力で地面を蹴り、駆け出した。


 橋の上に入った瞬間、上から多くの黒い影が降ってきた。


 蛇に足と羽が生えた怪物――ワイバーンの群れである。


「ギィア! ギィア! ギィア!」


 奴らは、けたたましい鳴き声とともに、火球の雨を降らせてきた。


 しかし、それらの雨は、爆発的なスピードを手に入れた俺には当たらない。


 後ろで、火球が橋にぶつかって弾ける音が聞こえた。


 前方に目を向けると、ドラゴンの口元で炎が燃え滾っている。


 アマゾンに出現した個体は、四メートルくらいあったらしいが、目の前のそれも同じくらいある。


 そして、橋の上を焼き付く尽くすほどの炎をドラゴンは放った。


 俺は、力強く橋を蹴って、高く跳ぶ。


 五メートルくらいはジャンプできた。


 下を見ると、橋の上が炎に包まれている。


 このまま落ちれば、炎に身を投げることになるだろう。


 もちろん、そんなことはしない。


「ギィア!」


 と、ワイバーンが口を開けて、襲い掛かってきた。


 蛾を狙うコウモリみたいに。


 その攻撃は俺にとって都合がよかった。


 俺はワイバーンの脳天に杖を叩きつけ、ワイバーンの軌道を下にずらすと、その頭を踏みつけ、さらに跳ぶ。


 視線の先に、新たな敵がいた。


「ギィア!?」


 ワイバーンも驚くらしい。


 ミサイルのように突っ込んできた俺を見て、ワイバーンは宙でバタつく。


 その肩を蹴って、さらに跳ぶ。


 そして次の敵も蹴って、その次の敵も蹴る。


 天敵を足場にするその様は、因幡の白兎だ。


 空を切りながら、俺は思う。


 今、この瞬間、空を跳んでいる俺を、誰も止めることはできない!


 その勢いのまま、向かいの崖へ突っ込んだ。


 ドラゴンが目前に迫る。


 ドラゴンは俺を狙って炎を吐いた。


 その軌道上にワイバーンはいない。


 このままでは焼かれてしまう。


 だから俺は、氷魔法を発動し、氷の足場を作った。


 その足場を強く蹴った瞬間、ドラゴンの炎が氷の足場を飲み込む。


 熱を感じたのも一瞬のこと。


 俺は蹴った勢いのままドラゴンがいる崖の上に降り立つ。


 そばで見るドラゴンは、動く山だった。


 が、圧倒されている場合ではない。


 俺の着地を狙っていたかのように、ドラゴンの太い尻尾が迫ってくる。


 俺はその攻撃も跳び上がって避けると、そのまま下の階へ続く階段に向かって駆け出し、地下11階へ転がるように降り立った。


 地下10階から、ドラゴンの悔しそうな咆哮が聞こえる。


 悔しがる声を聞くのは心地よい。


 しかし、上から炎を吐いてくる可能性もあるので、俺は素早くその場から離れる。


 それから俺は――とにかく走り続けた。


 あのドラゴンを超えることが、このダンジョンのゴールではない。


 だから、俺はゴールを目指して走り続ける。


 今の俺にとって、それは不可能なことではなかった。


 肺が焼けるように痛くなったら『ポーション』を飲み、怪我をしたときも『ポーション』を飲む。


 『魔力ポーション』は意識が薄くなり始めたときに飲んだ。


 敵を見つけたらとにかく殴り、宝箱を見つけたらとにかく開けた。


 肉体的にも、精神的にもしんどかった。


 でも、俺は止まらなかった。


 何というか、全力でダンジョンに挑むその瞬間、最高に『生きてる』って感じがした。


 走り続けていると、俺の前に大きな黒いドラゴンが現れた。


 ブラックドラゴン。


 どこの国かは忘れたが、上位ランカーが力を合わせ、ようやく倒せたというモンスター。


 そんな強敵に、俺はこれから一人で挑むことになる。


 絶望的な状況だ。


 しかし俺は、心から楽しんでいた。


 最強の敵に一人で挑む。


 この状況は、最高に『ファンタジー』だ。


 だからこそ、やりがいがある。


 氷の杖は失っていた。


 もともと、打撃武器ではないから、殴打に耐えられる強度が無かった。


 でも、心配はいらない。


 俺には攻略の途中で手に入れた多くの武器があった。


 背負っていたそれらの武器を地面に置き、俺はその中から剣を手に取って、ブラックドラゴンと対峙する。


「行くぜ、怪物。覚悟はできたか?」


 そんな主人公みたいなセリフを吐いて、駆け出した。


 ブラックドラゴンの暴風めいた咆哮に痺れながら、俺はブラックドラゴンに斬りかかる――。

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