第40話 ファンタジーの世界

 翌朝。


 目覚めてから、準備を整え、外に出る。


 突き刺すような寒さだったから、一瞬で目が覚めた。


(寒すぎだろ)


 しかし、木々の間から見える透き通るような青空を眺めていたら、その寒さも多少は和らぐ。


 戦場ヶ原のダンジョンを経験してから、自然の美しさがわかったかもしれない。


 キッチンカーへ向かうと、すでに準備万端のネムがいた。


 ネムも寒いのだろう。マントを羽織っている。一応、屋内スペースもあるのだが、彼女は自然の中で食べることを選んだようだ。


 ネムはおにぎりと味噌汁を食べていたから、ゴスロリと和食の妙な組み合わせに笑ってしまう。


 ネムが気づいて、眉をひそめる。


「何?」


「あ、ごめん。おいしそうだなと思って。おはよう」


「……おはよう」


 ネムはまだ何か言いたそうにしていたが、俺はその視線から逃れるように、朝食を取りに行った。


 朝はおにぎりと味噌汁しかないらしく、人の良さそうなおばちゃんから、それらを受け取って、ネムの場所へ戻る。


「いただきます」


 俺はネムの隣で食事を始めた。


 注文してから海苔を巻いてくれたらしく、ぱりぱりとした触感が心地よい。味も最高だ。


 俺がおにぎりを味わっていると、ネムが言う。


「昨日は眠れた?」


「まぁまぁ」


「そっか。あの仮眠室だと、眠れない人もいるらしいからさ。ネムは平気だったけど」


「ふーん」


 確かに見知らぬ人と同じ部屋で寝る環境は、人を選びそうではある。俺はとくに気にせず眠ることができたけど。


「渋沢さんとかいたの?」


「まさか。渋沢さんはきっといいホテルに泊っているに違いないよ」


「そっか。まぁ、そうだよな」


「ねぇ、竜二。今日はどうする?」


「どうする? んーどうしようか……。このダンジョンでやることと言えば、地下10階のドラゴンを倒す方法を探すか、とにかくモンスターを倒すことだって、サイトに書いてあったけど」


「だね。アマゾンに類似したダンジョンが出現したときは、モンスターがあふれ出したせいで、災害が起きた。だから、できるだけモンスターを倒し、数を減らそうとしているんだ。まぁ、意味のない対策だとネムは思うけど」


「そうなの?」


「うん。現場にいた冒険者の情報を見るに、モンスターは急に増えだしたらしいよ。だから、今、モンスターを倒し続けても、どっかのタイミングで急に増えるんじゃないかなって思う」


「へー。そのタイミングっていつだと思う?」


「アマゾンのときは、2か月だったらしいし、そろそろじゃないかな」


「マジか。ヤバいじゃん」


「だから、渋沢さんもいろいろ試しているんじゃないかなって思う」


「なるほど」


「まぁ、いずれにせよ、ネムはダンジョンを楽しむだけだけど」


「……そうだな」


 昨日のネムの言葉が蘇る。


 俺も、ネムと同じようにダンジョンを楽しみたい。


 今日は、そのための一歩を踏み出すつもりだ。


 朝食を早めに食べ終え、装備を整える。


 今日の装備は昨日と同じ。


 黒い三角帽子とマントを羽織った魔法使いスタイルで、武器は氷の杖だ。


 そして、ネムとダンジョンに入る。


「とりあえず、各フロアを探索してみようか」


「ああ」


 俺はネムの提案に頷き、地下1階を探索しながら、地下2階へ向かう。


 その道中で、早速モンスターが現れた。


 スライムドラゴンである。形は跳竜に似ているが、体は粘着質な緑色の液体だった。コアと思しき赤い球体が2つ、目玉の位置にあって、ぎょろぎょろ動いている。


 スライムドラゴンに、あの人が重なっていく。


 だから、頭を振り、大きく息を吐いて、スライムドラゴンを見据えた。


 俺が戦う相手はあの人じゃない。モンスターだ。その意識をもって、スライムドラゴンと対峙する。


 すると、あの人の影が薄くなり、スライムドラゴンがその輪郭をはっきりさせた。


 スライムドラゴンは前に突き出た口を大きく開き、体をぶるぶると震わせた。


「あれは、スライムドラゴンの威嚇だね」とネムが解説する。


「へぇ」


 唸るような声が聞こえないのは、液体状の体が原因か。


 そこで、俺は気づく。


 俺は今、モンスターと向き合うことができていた。


 あの人でも、上司でもなく、一体のモンスターとして、スライムドラゴンと対峙している。


 そこにダンジョン外の苦しい現実は必要なかった。


「……ネム」


「何?」


「あいつは俺が倒してもいい?」


 ネムは何かを察したかのように、にやりと笑う。


「もちろん!」


 その言葉を合図に、俺は駆け出した。


 むろん、スライムドラゴンを倒すために。


 スライムドラゴンが俺に向かって、球形の液体を放った。やつの体液。当たったら溶けそうなやつ。


 俺は杖をバットのように持ち替え、魔力を注入する。


 杖先で氷の風が渦巻いた。


 液体に狙いを定め、魔法を発動しながら、バットを振る。


 このとき、氷の風を意識した。


 一局に集めるのではなく、杖先の周囲を凍らせる感じ。


 そのイメージと液体にぶつかるタイミングが重なった時、液体が一瞬で凍る。


 そして、塊となった球体をスライムドラゴンに向かって、打ち返した。


 俺の打球はスライムドラゴンの顔面の左側に当たって、コアを体外へ押し出した。


 悶えるスライムドラゴン。


 左側のコアを失ったことで、顔の左半分が溶け始める。


 スライムドラゴンは慌てて、こぼれる左半分を抑えた。


(そんなことしている場合かよ)


 スライムドラゴンが俺に気づいたときにはもう遅い。


 俺はスライムドラゴンの残ったコアを狙って、杖を振り下ろした。


 当たる瞬間に魔法を発動。


 周囲の液体ごと氷漬けにして、地面に叩きつけた。


 粉々になるスライムドラゴンのコア。


 コアを失った体はドロドロに溶け、黒い霧になって消えた。


 そこにポーションが落ちていたので、俺は拾う。


 程よい重さと振る度に揺れる液体の感触で、スライムドラゴンの撃退を実感した。


 そして、理解する。


 俺は、嫌いな奴を重ねなくともモンスターと戦えるし、モンスターを倒した達成感には、嫌いな奴を殴ったときにはない爽やかさがあった。


「竜二、やったね! 調子、戻っているように見えたよ」


「うん。ありがとう。ネムのおかげだ」


「え、ネムはべつに何も」


「昨日言ってくれたじゃん。俺がもったいないことをしているって。だから、意識を変えて、モンスターとしてのスライムドラゴンと向き合ってみた。そしたら、うまくいった。それで気づいたよ。ここに現実を持ち込まずとも俺は力を発揮できる。むしろ、現実を持ち込んだせいで無駄に苦しんでいたことに」


 ネムが「ふふっ」と笑う。


「あ、なんか変なこと言っちゃった?」


「違う。そうじゃない。竜二が良い顔をしているから。今までの竜二は、『冒険者』というよりも、『殺人鬼』とか『暗殺者』とか、そういった類の顔つきになっていた。でも、今の竜二の顔つきは、『冒険者』のそれだよ」


 ネムは右手を差し出した。


「ようこそ、『ファンタジーの世界』へ」


 俺はネムに微笑み返し、その右手を握った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る