第39話 彼女の理由
「ネムが、冒険者をやっている理由は、ダンジョンならネムが本当の自分になることができるからなんだ」とネムは語る。
「ネムのパパとママはとても厳しい人で、ネムは昔から勉強とか習い事とかいっぱいさせられてきた。
本当は嫌だったんだけど、嫌と言ったら、怒られたり、ひどいときには叩かれたりしたから、ネムは従うしかなかった。
それで、パパとママの言う通りにしてきたんだけど、大学受験に失敗してから、ネムは無視されるようになった。
ネムには、弟と妹がいて、どっちも優秀だから、パパとママはその二人に期待するようになったの。
最初は、プレッシャーが無くなったことを喜んでいたんだけど、日が経つにつれ、家での居場所を失っていくのを感じて、辛くなってきた。
本当はね。すぐに出て行こうと思ったの。
でも、ネムには家を出る勇気も知恵も無かったから、ゴキブリとして家にいさせてもらっていることを感謝しながら、生活するしかなかった。
惨めだったよ。
何とかして、自分の存在証明をしたいと思った。
それでね、冒険者をやってみることにしたの。
冒険者くらい劇的なことをやらないと、地に落ちた信頼は回復できないと思ったから。
そして、一応、学校にも通って、冒険者としてのノウハウを学んでから、冒険者になった。
ちなみに、パパとママは止めなかった。
どうせ、ビビッて何もできないと思ったんだろうね。
確かに、最初はそうだった。モンスターが怖くて逃げてばかりいたよ。
でも、冒険者を続けていくうちに、ネムは夢中になっていた。
だって、ダンジョンの中なら、ネムは勇敢に剣を振るうことができるし、魔法だって使える。ファンタジー小説のキャラクターみたいに。
それで、ネムは気づいたんだ。
もしかしたら、これこそ本当の自分なんじゃないかって。
ダンジョンの中なら、現実の煩わしい鎖から解き放たれ、ネムは本当のネムになれる。
だから、ネムは冒険者をやっているの」
ネムもいろいろ苦労しているらしい。
今なら、俺が母親の話をしたときのネムの気持ちがわかる。
こんなとき、どんな声を掛ければいいのだろうか……。
ただ、ネムの表情に迷いのようなものはない。
あのときの俺と違って、ネムは自分の気持ちが整理できているように見える。
だから、深刻な状況ではないようだ。
悩んでいると、ネムと目が合う。
ネムは俺の反応がないので、困ったように口角を上げた。
それで俺は、慌てて言葉を絞り出す。
「……そう、だったのか。ネムもいろいろ大変なんだな」
「うん。でも、今は楽しくやれているよ。
パパやママとの関係は相変わらずなんだけど、今のネムにはダンジョンがあるから、二人のこととかどうでもよく感じる。
だからさ、竜二もダンジョンに現実を持ち込むなんて、もったいないことは止めた方が良いよ。
ダンジョンは現実の嫌なことから自分を解放してくれる場所。
そんな場所に、現実なんて持ち込んじゃ駄目だよ」
「……なるほどな。そんな風に考えたことは無かった。でも、現実を持ち込まないなんてこと、俺にできるのかな? 俺はネガティブな感情に頼ることでしか、その力を――」
俺の言葉を遮るように、ネムは俺の手を握りなおした。
そして、真っすぐな瞳で俺を見据える。
ネムの瞳に映るキャンプファイヤーの炎が、彼女の意思を表しているかのように見えた。
「大丈夫。竜二ならできるよ。ネムが約束してあげる」
ネムは弾けるような笑みを浮かべて言った。
(……あぁ、そうか)
それで俺は理解した。
俺はもうすでに、ファンタジーの住人になっている。
なぜなら、俺に微笑みかけてくれる優しい女性がいるのだから。
この状況をファンタジーと呼ばずして、何と呼べばいいのだろうか。
俺は、ネムに感謝し、ネムの言葉を信じてみることした。
「……ありがとう、ネム。なんだかできそうな気がしてきた」
「うん! その調子だよ、竜二!」
「よし! じゃあ、今日はさっさと寝て、明日に備えますか!」
「そうだね!」
それから俺たちは、食べていた物を片付け、男女別の休憩エリアの前で別れた。
寝る場所、というか休憩場所は、男女で別れていて、俺は男性用のエリアへ向かう。
そこでは、シャワーを無料で浴びることができるため、シャワーを浴びてから、コンテナ型の仮眠室で横になった。
仮眠室には、他の冒険者の姿もあり、寝息が聞こえる。
俺はその寝息を聞きながら、薄暗い天井を眺め、ネムの言葉を思い返した。
『ダンジョンは現実の嫌なことから自分を解放してくれる場所』
確かにその通りかもしれない。
俺も、現実ではパッとしない凡夫に過ぎないが、ダンジョンでは強い戦士になることができる。
あれが本当の自分なんだとしたら、俺が生きるべき場所は、現実ではなくダンジョンだ。
(でも、俺はネガティブな感情を使わずして、その力を発揮できるのかな?)
改めて考えてみると、不安ではある。
しかし、右手にじんわりと広がる温もりがその不安を和らげた。
今の俺には――仲間がいる。
だから、その仲間の言葉を信じて突き進めば、道が開ける気がした。
(さっさと眠ろう)
目をつむって、体の力を抜く。
早く、ダンジョンに行きたかった。
ダンジョンに行けば、全てがわかる。
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