第36話 地下10階

 俺はあの人のことが嫌いだった。


 それこそ、彼女を殺したいと思ったこともある。


 しかし、嫌いと言う感情は殺意とは別の感情であることを知ってしまった。


 俺は彼女を殺すことができない。


 そして、そのことに気づいてから、上司ですら殴ることに躊躇いが生じる。


「竜二!」


 ネムの声で我に返る。


 あの人ではなく、上司が俺に迫っていた。


 しかし、俺の中に躊躇いが生じてしまう。


 あんなに嫌いな相手だったはずなのに、殴ろうとすると、体が強張った。


 だから、目を瞑って乱暴に杖を振る。


 杖が当たった感触で魔法を発動し、あとは流れで杖を振り抜いた。


 鈍い音がして、「ぎ、ぎぃあ」と虫の鳴くような声が聞こえる。


 薄目を開けると、顔の半分がえぐれてしまっている上司がうずくまっていた。


 いつものような爽快感は無く、嫌悪感と罪悪感に苛まれる。


(早く、消えろよ!)


 俺は祈るように目を瞑り、再び目を開けたときには、上司が消えていた。


 ほっと胸を撫でおろす。


(くそっ、何でこんなことに)


 すべてはあの人に再会してしまったせいだ。


 本当に、あの人は俺の邪魔しかしない……。


 そのとき、そばに立つネムに気づき、焦ってしまう。


 彼女にカッコ悪いところを見せてしまった。


 だから、取り繕うように笑う。


「倒せたな」


 しかし、ネムは笑わなかった。


 じっと俺を見据えたまま何事か考えている。


「ネム?」


「やっぱり、今日の竜二はどこか変だよ」


「そうかな? そんなことないと思うけど」


「うんうん。そんなことある。ネムでもわかるくらい変だもん。もしかして、ネムのせいで……」


「それは違う。絶対に違う。ただ、何と言うか、うまく気分が乗らなくてさ。でも、大丈夫。そのうち、気分も乗るから」


「ふーん」


 沈黙。やばいくらい気まずい。ネムは俺の言葉に納得していないようだった。


「……ねぇ、竜二」とネムは沈黙を破るように微笑みかける。


「地下10階に行ってみない?」


「地下10階? 何で?」


「ほら、そこに行く手を阻むドラゴンがいるらしいじゃん。それがどんなものか見てみたいと思ってね。もしかしたら、そのドラゴンを見て、竜二の気分が上がるかもしれないし」


「……あぁ、そういえば、そんなドラゴンがいるって話だったな」


 サイトの情報によれば、このダンジョンは階層になっていて、現在、地下10階までの攻略が済んでいる。


 しかし、地下10階にいるドラゴンが倒せず、苦戦している状況だ。


「わかった。見に行こう。でも、地下10階まで行くとなると、結構、時間が掛かるんじゃ?」


「大丈夫。地下10階までは転移魔法での移動方法が確立されているから」


「そういえば、そんな情報を見た気がする。じゃあ、それで行こう」


 俺たちは一度入口のところへ戻る。


 奥へ続く通路から、少しそれたところに転移魔法を使用する部屋のような空間があって、中央に魔方陣が描かれていた。


 部屋で待機しているギルド職員に転移したい旨を伝え、魔方陣に乗る。


 数秒で魔方陣が輝きだし、視界が光に包まれる。


 そして、再び視界に色が戻ったとき、俺たちは地下10階にいた。


 地下10階に対する印象は、『開放的な空間』だった。


 少し進むと崖になっていて、向こう岸まで石橋が一本だけある。


 橋の下は闇に包まれて底が見えず、上も闇が広がり天井が見えない。


 橋の先に、赤いドラゴンがいて、じっと俺たちを睨んでいた。遠目にもデカいのがわかる。


 橋のそばには冒険者が何人かいて、ドラゴンを指さしながら、ああでもない、こうでもないと議論していた。


 俺たちも崖のそばに立って、ドラゴンを観察する。


「あいつが行く手を阻むドラゴン?」


「うん。近づこうとしたら、炎を吐くんだって」


「なるほど」


 向こう側へ渡る方法は、橋しかないように見えるので、障害物で炎を防ぎながら近づくのは難しそうだ。


 盾も考えたが、炎自体は防げても、熱で焼かれてしまうだろう。


(なら、橋の下に隠れて――って、確かワイバーンがいたような……)


 ギルドのサイトに、ワイバーンの群れがいるとの情報があった気がする。橋から外れたルートを進もうとすると、そいつらが襲ってくるとか。


 しかし、そのワイバーンが見当たらない。


「どうしたの?」


「あ、いや、ワイバーンがいないと思って。確か、いるんだよね?」


「そういえば。でも、見当たらないね」


「奴らは――」と近くにいた冒険者が教えてくれる。


「橋を渡ろうとすると、上からたくさん現れて、邪魔するんだ。さっき、渋沢さんが仲間と一緒に挑戦しようたんだけど、数が多すぎるから、途中で断念して引き返してきたよ」


「渋沢さんって、ランキング3位の?」とネムが驚く。


「ああ、そうだ」


「そうなんだ。会いたかったな……」


 その意見には俺も同意する。ランキング3位の実力を見てみたかった。


「それにしても」とその冒険者は悩ましそうに頭を掻く。


「渋沢さんでも対処が難しいとなると、どうしたもんかねぇ。アマゾンにこのタイプのダンジョンが出現したときは、人海戦術でごり押したらしいが、そのときはワイバーンがいなかったらしい。だから、ワイバーンがいる今、どんな方法が最適か、皆頭を悩ませているんだ」


「そうなんですね」


「もしも、良いアイデアが浮かんだら、共有してくれよ」


「はい」


 冒険者が俺たちから離れていく。その背中を見送ってから、俺はネムに話しかける。


「かなり厄介そうなことになっているみたいだな」


「そうだね。でも、それは喜ぶべきことだと思うよ。だって、難しいほど、挑戦し甲斐があるじゃん」


「かもしれないけど、攻略が遅れれば遅れるほど、災害の危険性が高まるから、簡単な方がいいんじゃね?」


「まぁね。でも、ネムは人助けのためにダンジョン攻略しているわけじゃないし、難しい方が燃えるね」


「……なるほど」


 俺はネムの言葉で安心する。


 やはり、ネムは俺と同じような考えの持ち主だ。


 もしも俺が、あの人に再会していなかったら、俺はその言葉を素直に喜んだだろう。

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