第35話 異変

 軽井沢ダンジョンは天井が高い洞窟型のダンジョンだった。ごつごつとした岩肌がむき出しで、ひんやりと肌寒く、薄暗い。


 俺たちは互いに目配せすると、ともに歩き出した。


 二人の間に会話はなく、服のこすれる音と足音が、嫌なほど大きく聞こえた。


 そこで俺は思う。


(……前もこんな感じだったっけ?)


 前回の攻略を思い返してみた。


 そうだった気もするし、もっと和やかだった気もする。


(ああ、くそ。変に意識をするなよ)


 沈黙が気まずいわけではないが、沈黙を不安に思いつつあった。


 ネムが大人の対応をしてくれているのだから、自分も気持ちを切り替えようと思っているのに、それができない自分に腹が立つ。


 自分に嫌気がさしそうになったとき、俺たちの前に、体は小さいが、脚部が丸太のように太い二足歩行のトカゲが現れた。


 目がギョロギョロしていて、赤い鱗に覆われている。


 俺は警戒すると同時に感謝した。


 やはり、ダンジョンは最高の場所だと思う。


 これで、余計なことを考えずに済むからだ。


「あれは『跳竜』ね」


 ネムが魔法剣を抜いて、構える。


 俺も杖を構え、改めて跳竜を観察する。


 俺の記憶が正しければ、目の前のモンスターは高い跳躍力を有するドラゴン型のモンスターだ。


「最初はネムに任せて!」


 ネムが駆け出した。俺はネムをサポートするため、その場に留まり、跳竜に上司の姿を重ねることで、集中しようとする。


 ――が、跳竜に上司ではなく、あの人が重なってしまう。


 瞬間。俺は喉の渇きを覚え、手が震えた。おかしい。今まで、ダンジョンでは感じたことのない感覚だった。


 すぐにネムへ事情を話そうかと思った。


 しかし、空気を読めないあの人が跳躍する。


 あの人は、五メートル近く跳び上がると、落下の力を利用し、その脚でネムを踏み潰そうとした。


 俺は落下点を狙い、魔法の発動を試みる。


 杖先で氷の風が渦巻き、氷の塊ができた。


 あとは、それを放つだけなのに、なぜか撃てない。


 嫌な汗が、額に滲む感覚だけは、はっきりとわかるのに。


 俺が魔法を撃てずにいると、ネムは剣の刃を撫でた。


 ネムの撫でたところから火が上がり、剣が炎に包まれる。


 ネムはあの人の攻撃を避けながら剣を振り上げ、あの人の左足にダメージを与えた。


(ナイスだ、ネム!)


 あの人は短い悲鳴を上げて、悶える。


 ネムが追撃を与えようとするも、あの人は高く跳んでその攻撃を避けた。


(くそっ、俺も早く! あいつは上司なんだ!!!)


 自分に言い聞かせ、記憶の中にある上司をあの人に無理やり重ねる。


 そして、あの人と上司の姿が重なった。


 その瞬間、俺は氷の塊を放つ。


 空を裂く氷の塊。


 それが上司の体にぶつかった――かに思えたが、上司は足を曲げて氷の塊の直撃を避け、真下を通過する氷の塊を足場にすることで、もう一度跳び上がった。


「なっ!?」


 そして、天井にすると、上司は膝を深く曲げ、力強く天井を蹴り、俺に向かって飛んできた。その勢いはミサイルのようである。


 俺は杖をバットのように持ち替え、上司を迎え撃つ。


 このまま上司を殴ってやろうと思った――が、上司の顔がブレて、あの人の顔になった。


 その瞬間――全身が強張った。


 杖を振れない。


「竜二!」


 ――が、ネムの声で、我に返る。


 俺は目を瞑り、感覚を頼りに杖を振る。


 手に重い衝撃。


 魔法を発動しながら振り抜いた。


 何かが地面にぶつかる鈍い音がして、俺は目を開ける。


 えぐれた腹を抑え、俺を恨めしそうに見つめるあの人と目が合った。


 しかしその姿はすぐに跳竜となって、霧散する。


 あの人は消えた。


 それなのに、あの人の視線だけは俺の脳内に突き刺さったままだった。


 心臓がバクバクして、息苦しい。


「竜二、大丈夫?」


 ネムが心配そうに駆け寄ってきた。


 俺は、ネムに余計な心配を掛けまいと努めて明るく振舞う。


「大丈夫。というか、ネムは今日も調子が良さそうだね」


「う、うん。ネムは良いんだけど、竜二は、ちょっと調子が悪い? なんかそんな風に見えたけど」


「ああ、うん……」


 やばい。どうしよう。事情を話した方が良いだろうか。


 でも、事情を話したら、彼女に余計な心配を掛けてしまうかもしれないし、失望されるかもしれない。


 前回のことがあるから、これ以上の粗相は避けたいのだが……。


「竜二?」


 ネムの表情で俺は気づく。


 彼女は前回のことがあっても、俺に大人の対応をしていた。


 なら、俺がすべきことも決まっているだろう。


 俺も大人として振舞うしかない。


「……うん。ちょっと調子が悪いかも。昨日、楽しみで眠れなくてさ。でも、そのうち調子を取り戻すさ」


「なら、いいけど……」


「よし、じゃあ、奥へ行こうか」


「うん……」


 俺はネムを心配させまいと微笑むが、うまく笑えている気がしなかった。

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