第14話 日常

 目の前に上司がいた。


 俺に何か言っている。


 周りにいる社員は、ニヤニヤ笑っているだけで何もしようとしない。


 ムカついた。何とかしたい。


 しかし、俺は何もできず、理不尽に耐えることしかできなかった。


 それでいいのか? ――そんな声が聞こえた気がした。


 いいわけが無い。


 手元を見ると、ペンが一つ。丸みを帯びたペン先が鋭い光を放った。


 俺はそのペンを握って立ち上がり、上司にそのペン先を――。


(違う。これは俺じゃない)


 これは、夢だ。


 そのことに気づいたとき、俺は目覚めた。


 視線の先には、見知った天井があって、黒ずんだ木目がじっと俺を見つめている。


「……朝か」


 いつもなら、起きてしまったことを後悔し、生きていることに絶望する瞬間だが、今日は、いつもより、カーテンの隙間から差し込む朝の陽ざしが心地よく思えた。


 理由を考えてみる。


 昨日のダンジョンのことが頭を過り、納得する。


 俺の死に場所は布団の上ではない。


 それに、まだ死にたくないとも思う。


 生きたいと思える場所、生きる目的を見つけたばかりなのだから。


 昨日までの自分では、到底思いつかないようなポジティブな考えに、思わず吹いてしまう。


 人生って思ったよりも単純だ。


 ただ、喜んでばかりもいられない。


 寝返りを打とうとして、痛みが走る。筋肉痛だ。全身に針でも刺されているんじゃないかと思うほど痛い。


(ポーションを飲んでも、筋肉痛はでちゃうのね)


 俺は寝返りを諦め、天井を眺めた。


 天井の木目を眺めていると、昨日の冒険を思い出す。目を閉じれば、上司を殴った爽快感が蘇った。


 ――そして、いつの間にか眠っていたらしく、次に目覚めたときは昼になっていた。


 痛みで悲鳴を上げる体を無理やり動かして、立ち上がった。


 カーテンを開けると、光が差し込む。今日は快晴だった。


(……出かけますか)


 外に出て、空が青いと思ったのは久しぶりのことだった。まだ12月だから、寒いものの、歩きたいと思えるほどには活力が湧いてくる。


 駅まで歩いていると、意外と若い人の姿があることに気づく。平日の昼間だったから、老人ばかりかと思ったが、そうではないらしい。


 また、行列ができているラーメン屋があって、家の近くに人気店があることを知った。


 いつもの道であるはずなのに、今日は新たな発見が多い。俺が知るべきはダンジョンだけはないようだ。


(今度、あのラーメン屋によってみるか)


 電車に乗って、ギルド指定の病院に向かう。


 ダンジョン攻略後に健診を受けないと、次のダンジョンには挑戦できない。


 正直、病院は好きではないが、次のダンジョンにも挑戦したいので健診を受ける。


 健診は1時間くらいで終わった。とくに異常はなかったが、結果が確定するまではダンジョン攻略に参加しないよう命じられる。結果が出るまで、だいたい2週間は掛かるらしい。


 病院の近くにあるカフェで軽いランチを食べながら、今後について考える。


(二週間もダンジョンに行けないのは、ヤバいな)


 このままでは貯金が尽きてしまう。


(どうしようかな……)


 窓の外に目を向けると、フードデリバリーに勤しむ人の姿があった。今では珍しくもない光景だ。


(俺もあれをやろうかな)


 あのバイトも、数を稼げば、それなりの額になることを何かの記事で読んだが気する。体を動かすので、体力強化にも良さそうだし、時間の調整もできるから、空いている時間にダンジョン攻略に向けた勉強もできそうだ。


(勉強と言えば、この近くにギルドがあるんだよな。そこに冒険者向けの資料室とかがあるみたいだし、行ってみるか)


 善は急げではないが、やる気があるうちに行動したい。


 俺は残っていたコーヒーを流し込んで、カフェを後にした。


 ギルドに向かうため、先ほどの病院の前を過ぎようとして、あることに気づく。


 穏やかな気持ちで病院を受診できたのは、今日が初めてかもしれない。

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