第三章 05 この災難は誰のせい?

 セレーネはなかなか寝つけず、夜風にでもあたろうと、ガウンを羽織はおって裏庭に出た。灯りも何もなく、夜空の星だけが輝いて見える。軒下のきしたから離れて数歩進むと、雲のあいだから月が顔を出した。まるで女神シンシアがセレーネを見つめているかのようだ。


「セレーネ嬢」


 名前を呼ばれて振り返れば、同じようにガウンを羽織ったレオネルが心配そうな顔つきで立っていた。


「神殿の庭とはいえ、夜更よふけにご令嬢が出歩くものではないよ」

「眠れなくて……」

「フッ、……しょうがないな。少しだけ散歩しようか」


 吹き出したのは、子どもっぽいとでも思われたのだろう。それでも手を差し出されたら、むくれる気も失せてしまう。手を預けてゆっくりと歩き出す。レオネルと他愛のない話を楽しんだ。それを月がうれしそうに見ている。


「君とは初めて会ったような気がしないんだ。もちろん、二度目なんだけど」

「ふふ、わかりますわ。わたくしも同じ気持ちです」


 レオネルが元夫の怜央だとセレーネは知っているが、レオネルも何か感じるものがあるらしい。ふと『女たらしの常套句じょうとうく』という警告が頭をよぎったが、恋する乙女の脳は都合の悪いことなど蹴散らしてしまうもの。セレーネの期待は高まった。


(もし、前世の記憶が少しでもあるなら……)


 ――あったとしても、レオネルには好きな人がいる。

 嫌なことを思い出してしまい、聞く勇気が溶けていく。話が途切れ、ザワリと木々の揺れる音がふたりを包む。

 向かい風からセレーネを守るように立ち、レオネルが瞳を揺らした。


「セレーネ嬢。洞窟の中で……顔の前で手を合わせただろう? あれは、意味があったりする?」

「え? ああ……」


 崖の上で嘆き鳥を麻痺させてしまい、申し訳なくて手を合わせたあれか。こちらの世界に染まりつつあるが、前世日本人の癖は抜けない。


(意味を聞くってことは、知らないってことよね)


 レオネルには前世の記憶がないようだ。なんと答えるべきか迷っていると――突如、轟音ごうおんが耳をつんざき、大地がわずかに揺れた。


「なんだ⁉」

「地鳴り?」


 嘆き鳥は退治したはずだ。まさか仲間がいたのだろうか。急いで神殿へ戻ると、ラルフが二階から飛び降りてきた。


「オイ、向こうの雑木林で木が倒れるのを見た。ありゃぁ大型の魔獣だな。どうする?」

「もちろん行くさ。セレーネ嬢はここに――」

「――わたくしも参ります」

「だが……」

「魔術を使える者も必要でしょう?」


 議論している時間はなさそうだ。またも地響きが聞こえ、レオネルは頷く。


「準備してくれ、裏庭に集合だ」



 神官には結界を強めるように言い、三人は森の中へ駆け出した。山のふもとはひらけており、そんなに深い森ではない。大型の魔獣がひそむとすれば、もっと山奥のはず。なのになぜ麓へ降りてきたのだろうか。

 魔獣の存在を近くに感じて三人は足を止めた。月が隠れて辺りは薄暗い。腰を低くするよう、レオネルが手で指示をだす。ラルフは月を探すかのように空を見上げた。

 セレーネは女神に願う。


(シンシア、魔獣を月の光に晒してちょうだい)


 願いはすぐに聞き届けられ、雲が月を避けるように散っていく。まばゆい月の光が巨大な体躯たいくを照らし出す。岩のようなうろこで全身を武装した魔獣は、月明かりのもと黒光りしている。その姿はまさに恐竜。以前、レオネルと一緒に倒したグランリザードよりも大きい。五メートルはある木々と同じくらいの背丈だ。全長はその倍以上ある。


「オイオイオイ……」

「これは――」

「――なんですの?」

「「エクリプス」」

「えくりぷす? どこかで……、あっ」


 そういえば、授業で聞いたことがある。めったに姿を見せないといわれているブラック・グランリザード――通称エクリプス。この魔獣に出会った者は皆、一瞬で姿をくらますと言われている。たしかに一口で食べられてしまいそうなほど大きな口に、なんでもかみ砕きそうな立派な顎がある。

 レオネルが腰に下げた剣に目を落とす。


「噂によれば、あの鱗にはどんな剣も歯が立たないらしい」

「剣がなきゃ戦えないってのに、剣は使えねぇのかよ。魔法は苦手なんだよなぁ」

「切り込むとしたら、腹側だな」

「魔法は効くかしら?」

「どうかな? 情報が少なすぎてなんとも……、まずは観察しよう」


 エクリプスが暴れたと思われる場所は木々が倒れ、焼け焦げた臭いが充満している。見るも無残なものだ。それにしてもだ。辺りは木々に囲まれており、やって来た方向がわからない。まるで降って湧いたかのような――と考えて、ふいに女神シンシアが言っていた言葉が頭をよぎる。


『セレーネの人生はハードモードですが、その瞳で乗り越えてくださいね』


 もしかして、こんな魔獣が降ってきたのはセレーネのせいなのか。女神の言葉を甘く見ていたらしい。レオネルたちには心の中でそっと謝っておく。

 少しずつ近づいて、やっとセレーネの鑑定眼が使える射程に入った。


(さて、わたくしの瞳には何が見えるのかしら?)


 木々の間から顔をのぞかせ、エクリプスをジッと見つめる。人間はもちろん、動植物からは球体が浮かんで見える。魔獣であっても同様だ。

 有益な情報はないか、目を皿にして見ていると、エクリプスの名前の下に、目を疑う記述を見つけた。


『愛の女神の落とし物』

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