第三章 06 女神の落とし物

 愛の女神の落とし物ってなんだ。


「――はぁ⁉」


 信じられない気持ちが声に出てしまった。すぐさまレオネルに口もとをふさがれたが、エクリプスは聞き逃さなかった。赤銅しゃくどう色の瞳がたのしげにを描く。


「「セレーネ嬢!!」」

「ごめんなさいっ!!」


 逃げ出す三人の後ろから、エクリプスは木々を倒しながら追いかけてくる。巨体の癖になかなか足が速いではないか。


「ねぇ、黒焦げになるかもしれないけど、風雷魔法使ってもいいかしら?」

「「どうぞ、どうぞ!」」


 十分に距離は取った。振り返ると同時に、雷をまとわせた黒扇子から風魔法を押し出し、衝撃波を飛ばす。前のめりで走っていたエクリプスは大きく口をあけ、セレーネ渾身こんしんの衝撃波をざぶざぶと飲み込んだ。


「う、うそでしょう……?」

「あれ食らって平気なのかよ⁉」

「ふたりとも! 今は走れ!」


 再び走りながらもラルフが叫んだ。


「セレーネ嬢、麻痺かけられるか⁉」

「やってみるわ!」


 黒扇子にかなりの魔力を込め、振り向きざまに魔法をお見舞いする。命中はしたが、エクリプスは止まらない。かろうじて速度は遅くなった。


「あの大きさを麻痺させるのは無理みたい!」

「いや、十分だ! ふたりはこのまま走ってくれ。合図するまでは、決して僕の前に出ないように!!」


 言いながらレオネルは鞘から剣を抜き、光魔法をまとわせる。セレーネが教えたときよりも格段に強い光だ。レオネルはひとり立ち止まり、地面を揺らして迫りくるエクリプスに向かって一閃いっせんを放つ。

 光の筋は木々を斜め切りにして、エクリプスの足の付け根に食い込んだ。かしましい咆哮ほうこうが耳をつんざく。動きが止まった。すかさずレオネルは閃光をもう一度放ち、片足を切り落とす。バランスを失いつつもエクリプスは木に支えられ、残った足で踏ん張っている。


「よしっ! 腹側なら攻撃が通る。いくぞ!」

「オウ!!」


 セレーネは補助にまわる。グランリザードのときには消化液が飛んできたのだ。何が起こるかわからない。案の定、エクリプスは身をよじらせ、口から黒い炎を吐く。待ってましたとばかりに、セレーネはエクリプスの口へ黒い炎を風魔法で押し戻した。

 自らの炎で喉を焼いたエクリプスがのたうちまわる。よく動く尻尾をラルフが根元から切り上げ、レオネルが首を落とした。エクリプスはもう動かない。


 セレーネはふたりの強さに感心した。いくら魔法をまとわせているとはいえ、通常なら刃が折れるものなのに、ふたりは切り落としてみせたのだ。


「おふたりとも、戦い慣れてますわね」

「まぁ、僕たちは十歳からやってるからね」

「えっ……、十歳で実戦デビューを⁉」

「レグルス家の方針なんだ。ラルフは八歳からうちに弟子入りしてるから、道連れにした。何度か死にかけたよな?」

「ハハッ! 今となっちゃ、いい思い出だな」


 えらく軽いノリで笑っているが、それは獅子が子どもを谷へ突き落とすアレではないだろうか。シリウス家よりえげつない気がする。ゾッとして思わず腕をさすった。ラルフがくつくつと笑う。


「ああ、そうだ。セレーネ嬢にも礼を言うべきだな」

「わたくし?」

「レオに魔法を教えただろ? 俺はそれをレオから習ったんだ」


 セレーネが教えたことといえば、一番適性のある魔法を剣にまとわせて杖のように打たせる方法。それをうまく咀嚼そしゃくして、切れ味の鋭い攻撃に変えたのはレオネルの努力によるものだ。


「たいしたことではありませんわ」

「いや、剣を折らずに戦えるのは、騎士にとってありがたいことなんだよ」

「そうそう。おかげで俺も一撃で仕留められる魔獣が増えたしなっ」


 ふたりともエクリプスの後処理をしながら普通にしゃべっている。作業がはじまった途端、セレーネはひとりだけ背を向けた。少しは慣れてきたけれど、解体作業を見るにはまだ勇気がいる。せっかく買ったダガーはまだ一度も使っていない。何も言わないふたりにすっかり甘えてしまった。


「ラルフ様が得意な魔法はなんですの?」

「俺のは……、あんまり人に言えるような魔法じゃねぇな」


 堂々と言えない魔法。人からうとんじられる魔法というのも、いくつかある。そのなかでもメジャーなのは――


「闇魔法でしょうか?」

「ハハッ、速攻でバレたか!」

「でも闇魔法って便利ですわよね。隠密おんみつには最適です」

「セレーネ嬢も使えるのか? 闇魔法」

「もちろん。どんな魔法でも使えるよう、叩き込まれておりますわ」

「「…………」」


 後ろで作業している音がピタリと止まった。作業の音が再開されるまでの妙な間はなんだったのか。セレーネには知るよしもない。



 次の日、ギルドにエクリプスの素材を売りに行ったら「お金が用意できない」と言われ、買い取りを拒否されてしまった。肩を落としたセレーネをよそに、男子ふたりは当然のように頷く。


「まぁ、そうだろうな」

「ラルフ、頼めるか?」

「ああ、任せてくれ」


 セレーネが不思議そうに首をかしげると、レオネルが教えてくれた。


「ラルフの家はもともと商家でね。父君が魔力持ちだったから爵位を与えられたんだ」

「成り上がりってヤツよ。俺の代で取り消されそうだから親父は焦ってる。それでロザリンを養子にしたんだ」

「どうして取り消されそうなの?」

「魔力測定器あるだろ? あれ、闇魔法にはほとんど反応しないんだぜ?」

「ええっ⁉ 魔力だけを流せばいいのに」

「……そんな器用なことできるかよ」


 魔力を測定する際には、何かしらの魔法を発動するほうがやりやすい。セレーネのように魔力だけを流す方法は主流ではないようだ。このままでは、ラルフは世間から“低魔力”とみなされる。その扱いは平民と変わらない。


「じゃあラルフ様はどうなさるの?」

「俺は平民として生きていく。そのほうが気楽でいいさ」

「そう……」


 本人がいいと言うのなら、他人がとやかく言う問題ではないだろう。素材をラルフに預け、売り上げは三等分してくれることになった。これがとんでもない金額になることを、セレーネはまだ知らない。

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