第一章 04 魔改造された左目

 翌日、寝不足のボーッとした頭で、勉強机にあるアイリスのガラクタを見て安堵のため息をつく。山が崩れ落ちていないか、確認するのが日課だ。どうやら今日も無事らしい。ところが、セレーネの目に映し出されたのはそれだけではなかった。


 魔石に込められた情報が浮かんで見える。魔道具の機能や、使われている材質までもが文字やグラフであらわされたのだ。


「なにこれ……」


 そういえば、とセレーネは思い出す。

 女神に左目を触れられたとき、見えるように治してもらったのだと思っていた。

 けれどこれは――


(――魔改造、とでもいうべきかしら?)


 意識をほかへ持っていくと、目の前の情報は消えてしまった。意識が散漫さんまんなときには見えないようで、集中すればまた見える。まるで鑑定魔法のようだ。それが呪文を唱えることも、魔力を消費することもなく使える。


(あら便利)


 女神は『その瞳で乗り越えて』と言っていた。逆に考えれば、この鑑定眼が必要になるほどセレーネの人生はハードだということか。ゾッとして体を抱きしめる。そこへ緊張感のない声が聞こえてきた。


「おふぁようございます」

「おはよう、アイリス様。起こしてしまったかしら?」

「いえ……、物語はどうでしたか?」

「わたくしの琴線きんせんには響かなかったわ。……アイリス様には申し訳ないけれど」

「ふふ、かまいませんわ。感じ方は人それぞれですもの」


 違うのよ、とセレーネは首を振る。


「申し訳ないのはここからよ」

「――え?」

「わたくし、この物語を全力で潰すと決めましたわ」

「つ、つぶす?」

「だって、この物語のとおりに現実が進んでいるのですもの。そんなこと許せないでしょう? わたくしの人生は、わたくしのものよ!!」


 せせら笑っても損なわれない美貌に目を奪われ、アイリスはベッドから転げ落ちた。


「わ、わたくし! 悪役令嬢の……セレーネ様の物語を応援いたしますわ!!」

「ええ、特等席でご覧にいれるわ。悪役令嬢……上等よ! おーっほほほ!!」

「はわわ……、これぞ悪役令嬢ですわぁ」



 ***


 貴重な休日をのんびりと過ごすなどもったいない。セレーネは私服に着替え、シリウス公爵家の自室へ転移した。転移魔法陣を刻んでおけば、少ない魔力で移動できる。

 セレーネがどんな魔法を使おうとも、聖女だとは思われない。それだけの鍛錬を積んできた。たとえ上級魔術師の域であるで魔法を使ったとしても、「魔術の名門、シリウス家なら当たり前」ですまされる。


 厳しい教育を課されて育つシリウス家のなかでも、特にセレーネはリミッターが外れていた。神経に問題はないので肉体的な痛みは感じるが、それによって恐怖を感じることがないから、体の限界まで己を追い込んだ。


 そんなセレーネに一番目をかけたのは、祖母のオリヴィアだ。隣の帝国から嫁いできた女傑じょけつで、シリウス家のやりすぎ教育にも異を唱えない。セレーネに魔法を叩き込んだのもオリヴィアだ。

 思ったとおり、今日もシリウス家の修練場で睨みをきかせている。


「お祖母ばあ様、ただいま戻りました」

「おかえりセレーネ。珍しいわね……あら?」


 これまでのように無表情を装って近づいたのに、オリヴィアは目を白黒させてセレーネを見る。


「雰囲気が違うわね。お化粧でも変えた? いえ、もっと……」


 さすがはセレーネの師匠だ。彼女に隠し事をするのはむずかしいかもしれない。下手へたに取り繕うよりも、計画を話して協力をうほうが得策かもしれない。セレーネはデビュタントで自身に起きたことを話した。

 魂の片割れが持っていた石に引き寄せられ、女神と契約したこと。いわれなき罪状で吊し上げられ、王太子から婚約破棄を告げられたことも。


「――そういうわけで、わたくしは反撃に出ることにしたのです」

「なるほど、感情の欠落にはそんな理由があったのね。それで、わたくしに何を求めるの?」

「この“愛の軌跡”を書いた著者、ケイシー・ケイデンスを探したいの。レイヴンを貸していただけないかしら?」


 オリヴィアの弟子には騎士や魔術師、それに使用人たちもいる。その使用人の中でも執事のレイヴンは情報収集にけている。頷きながら聞いていたオリヴィアは、しばらくして首をかしげた。


「……それだけ?」

「ええ。わたくしが学園に通っているあいだに動いてほしいの」


 途端にオリヴィアは脱力して息を吐く。


「ハァァ……つまらないわ。王家にケンカでも売るのかと思ったのに……」

「お、お祖母様⁉ 冗談ですわよね⁉」

「だって、あの色ボケ王子、わたくしのセレーネに婚約破棄を突きつけたのでしょう? ステファンとコレットは何をしていたのかしら」


 ステファンとはセレーネの父、コレットは母のことだ。ふたりは典型的な政略結婚で、事務的なやり取りしか見たことがない。母はセレーネに感情がないのを知ってすぐによそよそしくなった。その代わり、ふたつ下の弟をかわいがっている。


「断罪されたのはパーティーの終盤でしたから……。明日には噂がまわって、お父様の耳にも入るでしょうね」

「――もう入ったぞ!」


 横から割り込んできた声は、父ステファン。眉根を寄せて唇を噛み、見るからに機嫌が悪そうだ。


「しかもあのロザリンという娘、魔力計測でお前を上まわったそうだな?」

「そうなのですか?」

「先ほど陛下に呼び出されて、婚約解消を打診された」

「まぁ! 喜んで同意しますわ」


 思わず頬を緩ませてしまい、父は瞠目どうもくして口をパクパクさせた。婚約解消を喜んだことではなく、セレーネが笑ったことにおどろいたのだろう。「わ、わわわら、わ」と、さっきからほとんど「わ」しか言えていない。

 ――説明するのも、ごまかすのも面倒だ。

 父がパニックにおちいっている隙をついて、セレーネはスカートの裾をつまんだ。


「ではお祖母様、例の件お願いいたしますわ」

「ええ、任せてちょうだい」

「お父様、ごきげんよう」


 父の返事を待たずして、セレーネは学園寮へ転移した。

 アイリスは不在のようだ。少しだけあいていた窓を閉め、誰もいない部屋でベッドに倒れ込む。父の言葉がやけに引っかかった。


『あのロザリンという娘、魔力計測でお前を上まわったそうだな?』


 魔力計測は十歳になったら国民全員が行う。平民から魔力持ちを拾い上げるためでもある。次に行われるのは王立貴族学園に入ってすぐだ。ロザリンが養子に迎えられたのは十三歳だったはず。十歳のときには魔力なしで、いきなり魔力が湧いたことになる。


(おかしな話ね)


 月衣とフュージョンした今のセレーネは、入学時より魔力が増している。それでも、入学時だってほかを寄せつけないほどの魔力量であったはずだ。それを上まわるなど、伝統ある家柄の令嬢ならいざ知らず、平民ではありえない。


(貴族の落胤らくいんなのかしら?)


 しかしローズピンクの髪を持つ家系など、貴族名鑑には載っていない。赤毛が薄まったのだろうか。この世界では魔力の性質が髪や瞳の色にあらわれるから、一概いちがいに家系から判断するのもむずかしい。


「……この瞳なら、わかるかしら?」


 セレーネの鑑定眼で見れば、何かしらの情報はつかめるかもしれない。ただし、ある程度近づく必要がある。不用意に近づけば、やってもないイジメが加算されそうでこわい。


「まずは不安要素を取り除いてからね」


 セレーネに濡れ衣を着せた者たちを排除しなければ、後ろの狼を放置したまま虎を相手にしなければならない。


 真剣な顔でセレーネが思い悩んでいたときだった。部屋の窓をコツコツと叩く音がする。起き上がって窓をあけると、銀色の何かが部屋の中に飛び込んできた。

 アイリスのベッドに着地したソレは、トカゲのような姿にコウモリのような骨張った翼を持っている。大きさは成猫くらいか。


「ド、ドラゴン⁉」


 セレーネの持つ知識を総動員しても、この世界に空を飛ぶドラゴンはいないはず。伝説なら存在しているが、前世と同じで架空の生き物だ。

 ドラゴンは犬がをするようにペタンと前屈みになり、首にかけられたペンダントの上に顎を乗せる。それから数秒で膨張ぼうちょうし、見る間に人間の姿に変わっていく。


「アイリス様⁉ ……あなた、ドラゴンでしたの⁉」

「ふふ、違いますわ。わたくしがドラゴンに変身していたのです」

「まぁ……、そんなことができるの?」

「ええ。この魔道具を使えば」


 アイリスは首もとのペンダントを手に取る。ペンダントトップの石は、七色を閉じ込めたオパールのような“虹の石”だ。ジッと見つめれば、虹の石の情報として『女神イリーゼの石』と表示された。その石をペンダントに加工する段階で魔道具にしたのだろう。


「その魔道具、どこで作ってもらえるのかしら?」

「これはわたくしが作ったものですわ」

「アイリス様が⁉」


 魔道具師を目指すだけはある。この道具は隠密行動にもってこいだ。セレーネはさっそく交渉に入った。手から指輪を引き抜いて、アイリスに握らせる。


「いくらかかってもかまいませんわ! わたくしにも同じものを作ってくださいませ! ああでも、ドラゴンは目立つので、ほかの動物でお願いしますわ」

「い、いくらでも?」

「ええ! ドンと来いですわっ!!」

「わたくし、がんばります!! あ、土台のデザインは変えてもよろしいかしら? 伸縮性のある魔合金を使いたいのです」

「もちろんよ、好きにやってちょうだい!」


 アイリスの魔道具熱は筋金入りで、その日から毎日、セレーネは食事時にアイリスを引っ張り出し、睡眠を取らせるのにも苦心するはめになるのだった。

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