第一章 03 聖女候補アイリス

 王立貴族学園は全寮制でみんな相部屋。侍女も侍従もつけられない。

 貴族の屋敷とは比べものにならないほど狭い部屋に共同生活をいられるわけで、相性が悪ければ地獄だ。勉強机は並んでいるし、お茶用のローテーブルを挟んでふたつの長椅子は向かい合っている。カーテンで仕切られたベッドルームだけがプライベート空間だ。


 最初にセレーネと同室だった女子生徒は、感情をあらわさないセレーネを気味悪がって寮長に泣きつき、代わりに来たのがカペラ侯爵令嬢アイリスだった。体が弱かったのは過去のこと。物怖じしない性格で、セレーネが無反応でも気にしない。はがねメンタルの持ち主になっていた。


 寮に戻って部屋着に着替えたのち、セレーネより遅れて帰ってきたアイリスにさっそく絡まれた。まわりの色を映す鏡のような銀髪をなびかせて、好奇心旺盛な水色の瞳を潤ませる。


「セレーネ様! 微笑みを解禁なさったのですか⁉ あまりの美しさに背筋が凍りつきましたわ!!」


 美しいものを見て背筋が凍るのか。“微笑みを解禁”とどちらから突っ込もうかと考えて、やるべきことを思い出す。


「それよりアイリス様、宰相の息子ダルシャン様はあなたの婚約者でしたわね?」

「え? ええ……そう、ですわね……」


 答えながら沈んでいくアイリスを見て、「おや」と首をかしげる。鋼メンタルの持ち主でも色恋には弱いのか。ダルシャンはカノープス公爵家の長男で、勉強もできるうえに魔力も高く、眉目秀麗びもくしゅうれいの優良物件だ。そんなダルシャンもあのロザリンに骨抜きにされている。

 俯いたアイリスは今にも泣き出しそうだ。セレーネはなんとか励まそうと試みる。


「ごめんなさい、不躾だったわ」

「う、うぅ……もし、このまま婚約が解消になったら……」

「アイリス様。ダルシャン様のこと、慕ってらっしゃ――」

「――パトロンがっ、おじ様から援助が受けられなくなってしまいますわ!!」

「ん? どういうことですの?」


 アイリスが言うには、ダルシャンの父カノープス公爵はアイリスが作る魔道具をいたく気に入っており、何かにつけて資金援助してくれるという。礼を言うたびに返ってくる言葉が、「息子と結婚してくれたらお釣りがくるよ」とのことだった。


「じゃあ、アイリス様は……ダルシャン様に恋慕を抱いてらっしゃらないの?」

「ここだけのお話ですが、わたくし線の細い方は苦手で……」

「ああ……、わかります。わたくしもですわ」


 王太子アーサーのようなヒョロッと背が高いタイプより、筋肉質でガッシリしたほうが好みである。とはいえ、ブレイズのような脳筋は論外だが。


「まぁ! セレーネ様も⁉ 初めて好みを教えていただきましたわ!」


 うれしい、とにこやかに笑うアイリスに、セレーネもつられて笑う。やはり、アイリスは疑惑リストからはずして問題ないだろう。

 自然に笑うようになったセレーネを見て、アイリスの瞳が鋭く光った。


「セレーネ様、本当にお変わりになりましたね。まるで女神と契約したかのように別人ですわ」

「そっ、そうかしら?」

「それに以前は、パーティー以外、指輪など着けてらっしゃらなかったのに……」

「――え? 指輪?」


 アイリスの視線を追って自分の指を見る。左手の中指にムーンストーンの指輪がはまっていた。それも月衣が持っていたものとまったく同じもの。着けているのが当たり前だったから、言われて初めて気がついた。


「あら、本当ね」

「これは月の石ですわね。でも、生まれたときに持っていれば、もっと騒がれているはずだし……」


 前世とは違い、こちらの世界では『石を持って生まれた子ども』は女神の愛し子だと周知されている。なぜか女児だけにみられる現象で、女神の力が使える『聖女』として一目置かれるのだ。セレーネの場合は『月の聖女』と名乗ることになる。


(でも今はまだ、知られたくないわ)


 セレーネに濡れ衣を着せた令嬢たちにお仕置きするまでは、手札カードは隠しておきたい。だが、聖女候補であるアイリスをあざむくことなどできるだろうか。


「アイリス様は、虹の石をお持ちなのですよね?」

「ええ。契約は……まだなのですが、このままいけば聖女にならなくてすみますわ」


 聖女は神殿に勤めるか、王族に嫁ぐことが決まっている。女神の力を持つ者を監視下に置くためだから、本人の意思などおかまいなしだ。世間的には名誉なことではある。

 神殿勤めになると『大聖女』と呼ばれ、神殿のトップに立つ。やることといえば女神と人間の橋渡し。そして脅威的な魔獣が出てきたときに戦うため、日々、魔術師たちに混ざって鍛錬を積むと聞いている。


「お嫌なのですか?」

「わたくしは……魔道具師になりたいのです。学園の研究室へ入って、たくさんの魔道具を作るのが夢なのですわ」

「なるほど……」


 これは、ますます名乗るわけにはいかない。もし知られたらすぐにでも売り飛ばされそうだ。それほどにアイリスの魔道具熱はすごい。相部屋に並んでいる机の領域をおかしてくるほどに。


(あのガラクタの山、崩れる前に片づけてほしいわ)


 セレーネは石を持って生まれなかった。代わりに月衣が持って生まれ、本来なら月衣の人生にセレーネが吸収されるはずだった。


(だから、わたくしが聖女だとは気づかれないはず)


 いつか名乗り出るからと心の中でアイリスに詫び、セレーネは首を振る。


「わたくしが生まれたときには、石など持っておりませんでしたわ」

「そう……ですわよね。持って生まれたらお祭り騒ぎですものね」

「でも、アイリス様の夢は応援いたしますわ!」

「ありがとうございます。……ふふ、セレーネ様とこんなにお話できるようになるなんて、それこそ夢みたいですわ」

「っ……今までは、その……猫を被っていたのよ。でも婚約は破棄されそうだから、もういいかなって」


 苦しい言い訳だが、意外なことにアイリスは納得した。何かを思い出すかのように遠い目をする。


「王妃教育では感情を出さないよう徹底的に叩き込まれますものね。わたくし何度も泣かされましたわ」

「そ、そうなのよ! 感情を押し殺してきたことで、まわりに勘違いさせてしまったわ」

「勘違い、ですか?」

「何をしてもわたくしが怒らないと思っているのよ。いい機会だから、わたくしに濡れ衣を着せた者たちに、思い知らせて差し上げるわ」


 不敵な笑みを浮かべたセレーネを見て、アイリスは膝から崩れ落ちた。


「ああ、セレーネ様……今流行はやりのようですわ!!」

「あ……悪役? 流行っているの?」

「ええ!! こちらをご覧になって!」


 アイリスは本棚から一冊抜き出し、セレーネに手渡す。何度も読み込まれたあとが見られる。相当好きな物語なのだろう。タイトルは――


「――愛の軌跡きせき?」

「孤児院育ちの平民少女が貴族の養子に迎えられ、王子様に見初められる王道ラブストーリーですわ」

「それの何がいいのかしら?」

「話題になったのは、この学園が舞台で、同じ背景を持つ人たちが集まっているせいですわね。ほら、主人公のロマリンはロザリン様に出自が似ているでしょう? その恋路を邪魔する黒髪の公爵令嬢など、セレーネ様をモデルにしているとしか思えませんわ!」


 頬を染めてもだえるアイリスを尻目に、パラパラとページをめくってみる。たしかに登場人物たちの出自が一致していた。ただ、この話に出てくる悪役令嬢は、嫉妬の感情をあらわにしている。主人公へのイジメも、自分の手は汚さず取り巻きの令嬢たちを使った陰湿なもので――


「――この内容、デビュタントでブレイズ様が読みあげたのと同じ?」

「言われてみればそうですわね。でも、学生のイジメなんて、どれも似たようなものでは?」

「まぁ、そうね」


 ふと本の発行日を見てみれば、セレーネたちが学園に入る前日に出版されている。まるで預言書のようではないか。


「アイリス様、この本をしばらくお借りしてもよろしいかしら?」

「もちろんですわ」


 本によれば、悪役令嬢が婚約破棄されるのは三年生の卒業パーティーだ。二年生で迎えるデビュタントでは吊し上げられるものの、証拠不十分でお咎めなしになっている。


(そんなところまで同じなの⁉ なんだか気持ち悪い……ん? これ、最後に悪役令嬢は処刑されるの⁉)


 思わず本を閉じそうになったが、ちゃんと読んでおくべきだ。それに悪役令嬢のかたわらで暗躍する令嬢たちの説明もある。金髪の縦ドリル、おでこ全開にカチューシャ、前髪の長いソバカス顔。

 意外なことに、いかにも根暗そうなソバカス顔の令嬢が、裏で手を引く描写が多い。これらの特徴に合致する令嬢たちを探してみる価値はあるだろう。

 どうせ明日は休日だ。セレーネは夜を徹して読み込み、ターゲットを絞り込んだ。

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