第一章 02 婚約破棄……失敗
まるでおとぎ話の舞踏会を思わせる会場で、美しく装った人々の視線が集まる。控えめな音楽に、床を鳴らすヒールの音。いつもより見える範囲が広い。
(目が……、左の斜め後ろまで見えるわ。それに、セレーネとしての経験も記憶もある。不思議な感じね)
思い出したセレーネの過去は壮絶だった。課された試練は子どもに対するものではない。それを貪欲にこなし、何ひとつ取りこぼすまいと必死に食らいついた。
――すべては足りない何かを
セレーネは無意識に、自分に足りない何かを
魂がひとつになった今は、とても気分がいい。それは月衣としての自分も同じで、本当の意味で欠けから解放され、気力も魔力も充実している。
(女神の言っていた『欠け』って……、こういうことだったのね)
混乱したのはほんの一瞬だった。自身が着ている白いドレスが目に入り、ここが王宮で、今日は成人の儀――デビュタントの日であることを思い出す。
「聞いているのか⁉ シリウス公爵令嬢セレーネ!」
名前を呼ばれて前を向く。わざとらしく家名を連呼するのは、周囲に聞かせるためだろう。
目の前に立つひと組の男女のうち、男性が手の平を上に向けて差し出した。片方だけ長い金髪がキザに揺れる。青い瞳に、金色の筋――金冠が浮かぶ瞳は王族の証だ。
「さぁ、答えてくれ。先ほどブレイズが読み上げた罪状に
そう問うたのはこの国の王太子アーサーで、セレーネの婚約者だ。横にくっついている女性はアーサーのお気に入り、アルドラ男爵令嬢ロザリン。アーサーの斜め後ろに控えている男性がブレイズ、騎士団長の息子だ。
(セレーネはやってない。それを私が証明しなくては……そう、このわたくしが!)
セレーネは口角を上げ、光を宿した瞳でふわりと微笑んだ。その瞬間――まわりからどよめきが起こる。今まで感情をあらわすことがなかったセレーネが、初めて笑ったのだ。傍観していた男性たちは色めき立ち、女性たちをも釘づけにした。
婚約者の笑顔を初めて見たアーサーは、面食らったように目を丸くする。
「なっ⁉ わ、わらった? セレーネが……」
微笑んだだけで
声だって、今までの
「王太子殿下」
「っ……な、なんだ⁉」
「わたくしはそのようなこと、いっさい致しておりませんわ」
「……それをどうやって証明する?」
「証明するのは、あなたがたのほうです」
セレーネとフュージョンした今、すべてを覚えている。罪状を読み上げたブレイズを横目で見やる。それだけでブレイズは後ずさった。
「ブレイズ様、日時が特定できるものに絞りましょう。まず入学式の直前、わたくしがロザリン様を噴水に突き落としたとのことですが、わたくしは首席で入学しており、新入生代表の挨拶を行うため、ずっと学園長のおそばにおりましたの」
「――は?」
「わたくしがロザリン様を突き落としたとおっしゃるなら、証明してくださいませ」
「ろ、ロザリン嬢! 彼女に突き落とされたのだろう?」
慌てたブレイズがロザリンに言い寄るも、ロザリンはかわいらしく首を横に振る。肩口でくるんと巻いたローズピンク色の髪が、可憐に揺れた。
「誰が押したのかは、わからないんですっ」
「し、しかし……声が聞こえたのだろう?」
「はい。『平民が貴族学園に通うなど、汚らわしい』と……」
ロザリンは孤児院で育った平民で、十三歳のときに魔法が使えることがわかり、領主のアルドラ男爵に引き取られた。我が国では魔力は女神から与えられた神聖な力とされている。ゆえに魔力至上主義だ。
ロザリンの言葉に、ブレイズは胸を張ってセレーネを指差した。
「そのようなことを平然と言えるのは、公爵家の威光を笠に着たセレーネ嬢しかいないではないか!」
――頭沸いてんの⁉
喉もとまで出かけた言葉を飲み込んで、セレーネは頬にかかる髪をゆっくりと耳にかける。
「あら、証拠もなく決めつけるだなんて、騎士団長の息子とは思えませんわね。その
「濁っ⁉ ――ならば! ロザリン嬢のロッカーに魔獣の死骸を置いたのはどうだ⁉ 一年生で魔獣を倒せる者など、ほかにいないだろう!!」
学園新聞にも載った昨年の事件は、セレーネの記憶にもある。魔獣はカプチューという小さなネズミで、食いしん坊というほかに害はない。知能も低く、家庭用ネズミ取りにも引っかかる。
「カプチューなら誰でも捕まえられますわ。先ほどからあなたは、わたくしがやったという証拠をまったく出しておりません。これではお話にならないわ」
「ぐっ、往生際の悪い……」
その言葉はそっくりお返ししたい。けれど今は、小物にかまっている場合ではない。セレーネはずっと黙っているアーサーに向きなおった。
「さて王太子殿下、婚約を破棄なさるのでしたわね? 喜んで応じますわ」
「そなたは……、ロザリンに嫉妬していたのではないのか?」
「まさか! よく思い出してくださいませ。わたくしと殿下の婚約は、魔力保有量で決められたものです。そこになんの感情もございませんわ」
セレーネは生まれつき感情が欠落していた。外界からもたらされる情報に対して、うれしいとも悲しいとも感じない。
(だから、嫉妬なんて湧かないし、恋する感情さえ持てなかったのよ)
言外に惚れていないと宣言されたアーサーは、朱に染まる顔で言い捨てる。
「婚約の件は一旦棚上げだ! おかしな行動を取れば次はないぞ」
「……肝に銘じておきますわ」
行儀悪くも鼻を鳴らしたアーサーは、ロザリンを連れて人垣の向こうへ消えていく。そのあとを追うようにブレイズが続き、宰相の息子や魔術師団師長の息子、大臣の息子たちがゾロゾロと移動する。すべてロザリンに好意を寄せている者たちだ。
(ロザリン様の敵は多い。女子生徒全員と言っても過言ではないわ)
めずらしいローズピンクの髪もさることながら、表情豊かで愛らしいロザリンに言い寄る男子生徒は星の数。それらを拒絶することなくロザリンは受け入れている。
感情を手に入れた今、セレーネは気持ちが悪くなって会場をあとにした。パーティーは終盤で、両親も先に帰っているから問題ない。
それにしても、いきなりこんな修羅場に落とすとは女神も
目を閉じると浮かぶのは、月衣をかばって倒れた夫のことだ。
(怜央もこの世界に……いるのよね?)
先ほどの会場にはいたのだろうか。いや、もしかしたら生まれたばかりかもしれない。会えるようにするとは約束してくれたが、結婚できるとは言われなかった。それでも、どんな形でも、また会えるならそれでいい。
「怜央を探したいけれど、……ハァァ。まずはお掃除から始めましょうか」
セレーネは誰かに害をもたらすようなことはしていない。感情を揺さぶられることがないのだから、合理的な行動しか取らない。つまり、セレーネに罪をなすりつけた者たちがいる。
(人形のようにセレーネを利用したこと、後悔させてあげるわ)
感情がなくとも心がないわけではない。セレーネは心の中に蓄積されていく
「まずは婚約者を取られた令嬢たちを調べるべきね」
誰にも興味を持たなかったセレーネの交友関係は無に等しい。手始めに取りかかるべきは足もとからだ。
一番に思い浮かんだのは、学園寮でセレーネと同室のアイリス。彼女はもともと、王太子の婚約者だった。理由は石を持って生まれたから。
女神の愛し子に違いないと祭り上げられ、生まれてすぐアーサーの婚約者になった。ところがなかなか女神と契約できないことに王家が焦り、魔力の高いセレーネに乗り換えた。
(でもあのとき、ものすごく感謝されたのよね)
アイリスは体が弱いせいで、心も弱っていたのかもしれない。涙ながらに感謝の言葉をセレーネに
(ただ、元気になった今ではどうかしら? 後悔して、婚約者の地位を取り戻したいと思うかもしれないわ)
しかも不運なことに、次に婚約者となった公爵令息はロザリンに入れ込んでいる。立て続けに婚約者を失えば、
「でも彼女、ちょっと変わってるから……」
アイリスが嫉妬から何かをするような人物には思えない。馬車が学園寮に着くまでずっと、セレーネはこめかみを揉みながら唸っていた。
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