悪役令嬢は計らずとも伝説を作る
夜高叶夜
第一章 01 感情のない美しい人形
「シリウス公爵令嬢セレーネ! このままでは婚約を破棄せざるをえない!」
十六歳になり、
すべてはセレーネのせい。感情の欠けた顔は人形のように動かない。心が何かを訴えていても、それを処理する機能が備わっていない。
「
蚊の鳴くような声は途中で切れた。意識が吸い込まれるような感覚に包まれ、気づけば知らない場所に立っていた。天井は高くドーム型で、白く大きな柱に支えられた
後ろに気配を感じて振り向くと、背丈四メートルはあるだろう金髪の女性が立っており、セレーネに優しく微笑んでいる。金冠から下がる三日月を見て、月の女神シンシアだとすぐにわかった。我がセイクリッド王国は女神信仰が強く、神殿には女神像が
女神がセレーネの横に視線を移した。その視線をたどると、自分と同じ黒髪の女性が泣きながら座り込んでいる。女神はその女性を『
***
月衣は生まれたときに石を握っていた。お腹の中から持って出たのか、あとから握らされたのかわからない。月のように
(なんで石なんか……、それより左目が見えればいいのに)
生まれつき左目が見えない。原因は不明で、治療法もない。いつも心に穴があいた気分なのは、この目が見えないせいだと思っていた。
だが人生悪いことばかりでもない。心の隙間を埋めるように、暖かな光をまとう男性に出会った。それが夫の
だから神に救いを求めることもなく、それなりに楽しく生きてきた。ところが三十二歳のとき、初めて神に祈った。左後方からやってきた自転車に気づかず、道路に押し出されてしまう。そんな月衣をかばい、夫が車にはねられてしまったのだ。
「誰か、助けて!! 神様がいるならどうか――!!」
悲鳴に近い声をあげたとき、中指に着けていたムーンストーンの指輪が光り輝く。目をあけると見たこともない場所に座り込んでいた。
手から大理石の冷たさが伝わる。顔を上げてまず目についたのは、淡い金髪の女性。その巨大さから人間ではないとわかった。
『月衣、やっと願ってくれましたね』
その声は
『私は月の女神シンシア。あなたの願いに
「私の願い……?」
『助けを求めたでしょう? こちらの少女セレーネと
手を向けられたほうを見て、高校生くらいの黒髪の少女に気づく。真っ白なドレスはまるでウェディングドレスのよう。感情は一切うかがえない。
「欠け……?」
女神の言葉に逡巡する。月衣の左目が見えないことを言っているのだろう。しかし今の月衣にとって、それはどうでもいい。もう、どうでもいいのだ。
ギュッと唇を
『もともと、あなたとセレーネはひとつの魂だったのですが、手違いで分断されてしまい、未熟な状態でそれぞれ地上に放たれたのです』
話についていけない。女神は願いに応えると言ったが。
月衣の願いは――
「ねぇ、手に入るって、目が見えるようになるということ?」
『それはもちろん。あなたは両目が見えるようになり、セレーネは感情を手にすることができます』
――違う。月衣に欠けているものは左目じゃない。大好きなあの人だ。
「私の願いは夫と幸せになることよ! 片目が見えなくても、彼がいれば幸せなの! 怜央を返して!! お願いよ……」
女神はほんの少し首を傾け、眉尻を下げる。
『私はあなたを助けることはできますが、他者には関与できません。それに彼はもう、体を離れているようです』
「それなら、私に生きる意味なんてないわ!」
ますます顔を
『ではこうしましょう! その彼をセレーネのいる世界に呼び寄せます。ですからあなたも残りの人生を、セレーネとして生きてみませんか?』
「怜央に……、会えるの?」
『ええ、運命の女神には話をつけておきましょう』
どうせ元の世界に戻っても怜央はいないのだ。そんな世界になんの未練もない。
「――でも、その子はどうなるの?」
セレーネと呼ばれた黒髪の少女は、先ほどから無表情で突っ立っている。白く整った顔立ちは精巧な人形のようだ。光のない瞳はスミレ色のきれいな
『心配はいりません。このセレーネとあなたはもともとひとつ。フュージョンして初めて完全な魂となるのです』
「フュージョンって……人差し指合わせて叫ぶの?」
『……? 手をつなげばいいのです』
「そ、そう……ちょっと残念ね」
戸惑う空気が流れ、月衣は涙を拭き、咳払いをする。
「わかったわ。セレーネちゃんだっけ? あなたはそれでいいの?」
「……ええ」
無表情を崩しもせず、しかし、わずかに迷いが乗った声でセレーネはぎこちなく答えた。
月衣とセレーネの手をつながせて、女神はふたりを交互に見る。
『ひとつになったあなたたちと、私は契約で結ばれます。困ったことがあれば、心の中で私の名を呼び、願ってください。あなた自身に関わることなら応じられます』
「はぁ……」
いまだに状況が飲み込めない。
『では参りましょう。愛し子よ。――フュージョン!!』
またもやまぶしい光に包まれるなか、女神はひとつに溶け合ったセレーネの頭にとんでもないメッセージを残した。
『セレーネの人生はハードモードですが、その瞳で乗り越えてくださいね』
「は、はあぁぁ⁉ んな――」
文句を言う時間は与えられなかった。光の渦に巻き込まれ、次に目をあけたときにはもう、別の場所――きらびやかな場所に立っていた。
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