02-002:お前のポテトは私のもの。
言いつけ通り、札幌駅最寄りのマックに行き、二人してダブルチーズバーガーセットを頼んだ。そして会計は俺の財布から。常時財政難な俺には、これしきの出費でも痛い。
「食うのに一時間かけて良いぞ」
ソファ席に陣取りつつ、メグ姐さんは言った。クライアントとの「打ち合わせ」という名のつるし上げまであと一時間半。移動時間を考えても確かに一時間食事に費やすことが可能だ。もっとも、マックで昼時の一時間を潰せるほど、俺のハートは強くない。メグ姐さんなら半日だって可能だろうが、残念なことに俺はそこまでタフではないのだ。というより、俺の感覚が普通なんだと信じている。……信じたい。
そんなことで悶々としていると、メグ姐さんがぽつりと意外なことを言う。
「ま、私でも十五分が限界だな」
「え?」
「え、とはなんだ」
「課長の場合は、じっとしてられる時間がそのくらいってことでしょう?」
「子どもじゃないんだぞ、私は」
メグ姐さんはダブルチーズバーガーの包装を開けながら頬を膨らませた。怒ったチンチラみたいだなと一瞬思った。
「そもそもだ、墨川。十五分もじっとしていたら退屈だろうが。だから、私を退屈させなければ良いだけの話だ、違うか?」
「どうして俺が課長のお守りをしなきゃならないんですか」
「墨川だからだ」
「わけがわかりません」
ポテトを一本取りながら、俺はパンツスーツ姿のメグ姐さんを改めて見た。メグ姐さんはダブルチーズバーガーを豪快に頬張っている。
「課長って、長女で、弟いるでしょ」
「うん?」
俺の質問の意味を理解しかねたのか、メグ姐さんはもぐもぐと口を動かしながら首を傾げた。ポニーテールが少し揺れた。
「ふぉれふぁふまり」
「喋るのは飲み込んでから」
「むぅ」
ごくんと喉を動かしてから、メグ姐さんは剣呑な——蛇が蛙を睨むが如き——視線で俺を見た。
「それはつまり、私が男のようにガサツだとでも言いたいというのか」
「その発言アウトですよ、昨今。男はガサツとかツイートしたらたちまち炎上ですよ」
「お前はツイッターなのか」
「いえ、違いますけど」
「だろ。ならいいじゃないか」
なぜか得意げに胸を張るメグ姐さん。ここまで敢えて説明してこなかったが、メグ姐さんはスタイル抜群だ。出る所は出ているし、引っ込むところは本当に引っ込んでいる。だが、バストサイズなんて訊こうものならその引き締まった脚で回し蹴りを食らってしまうし、セクハラで訴えられかねない——理不尽だ。
「で、さっきの質問だが。正解だ。私は長女で、弟が二人いる。ついでに言えば三人とも父は違うし、そもそも誰も自分の親父の顔を知らない」
うわ、思ったより重たい話がきた。
「お前にだから話すんだからな。他の誰にも言うなよ」
「……わかってます」
「ついでに言えば、母も私が大学を卒業すると同時に行方不明だ」
「えっ。弟さんは?」
「一番下は高卒で働き始めた所だったし、もう一人は自立して夜間大学に通っている。私が生き方というものを教えてやったおかげだ。さすがだな、私」
うん、確かにこの姉の弟なら、逞しく育っていそうだ。俺が心配する必要なんてないだろう。だが、なんとなく「そうですね」というのは癪だったので、俺は無言でダブルチーズバーガーに食いついた。どうしてアメリカンなものってこうも旨いのだろう。毎日食えるとは思わないが、時々どうしようもなく食べたくなることがあるよな。マック(あるいはマクド)とか訊くと、きっとあのポテトの香りが記憶の中を漂い始めるはずだ。マックのポテトはパブロフの犬製造機みたいな感じもする。
「
「なんれふぁかったんれすか」
「喋るのは飲み込んでからだと、さっき誰かに説教されたぞ」
「あ、ふぁい」
すみません、という言葉をダブルチーズバーガーの欠片と共に飲み下す。
「なんでそう思ったんですか」
「女の扱いが絶妙に上手い。感じる所が分かってるように思えるな」
「なんかヤラシイ物言いやめてもらっていいですか?」
昼日中のマックである。耳目はそこら中にある。メグ姐さんは眉根を寄せる。
「妹がいてもセックスはうまくならないだろう? 何を言ってるんだ、墨川」
「だから課長、そういう話を……」
せめて小声にしていただきたい。ナチュラルにセックスとか言われるとさすがにキョドる。ていうか、俺は何もやましい話をしていないのに、何で俺が恥ずかしがらなければならないのか。全くもってこの宇宙は理不尽にできている。
「全く。私も二十八だぞ。お前は三十……」
「今年で三十二になります」
「まぁ、どうでもいい。とにかく三十代だ。ウブなことを言ってる年ではないだろう。ところでお前、童貞なのか?」
「いえ、違いますけど」
「なんだ、俗な奴だな」
デジャヴを感じるやり取りだったが、今度は俺は見事に非童貞であることを白状させられたのだった。なんかすごく悔しい。ちくしょうっ!
「なぁ、墨川」
「なんですか」
「ゼロカロリーの飲み物って言うけどな、この場合、私はいったい何を飲まされているんだ」
「それ、厳密にはゼロじゃないそうですよ」
「なんだと」
メグ姐さんの目がギラリと光る。俺はそのゼロカロリーの黒い飲料を飲み込んでから肩を竦めて言った。
「だからナチュラルに太ります」
「……それは困った」
「気にしてるんですか?」
「何を?」
「体形ってやつです、課長」
「セクハラだ、墨川。アウト」
「うわ、理不尽……」
俺はポテトを摘まみ上げつつ溜息を吐く。メグ姐さんは俺のポテトに手を伸ばしてくる。自分のは食べきったようだ。
「課長、俺の昼飯です、それ」
「私のはお前の財布で払ってもらった分。お前のはお前の財布で払ってもらった分。つまりどちらを食べてもいいではないか」
「無茶苦茶ですよ、それ」
「論理的に言え」
「あのですね、つまり、俺は俺の分としてこれを確保しておきたいのであって——」
「後で靴を舐めさせてやるから、それ一本よこせ」
「……靴は舐めたくないです」
「じゃぁ、よこせ」
「じゃぁってどこから繋がってるんですか」
「うるさいなぁ、もう」
メグ姐さんは容赦なく俺のポテトを引き抜いて口に放り込んだ。「あっ」という間もない。
「ポテトの一本や二本でギャーギャー言うなよ、墨川。彼女にも嫌われるぞ」
「俺の彼女は課長みたいなことしませんし」
「お前のポテトを食ったりしないのか」
「だからなんか変なアクセントで言うのやめてもらえません?」
「何を想像したのだ、このスケベ」
「え、いや、課長が明らかに……」
「お前のはポテト並なのか。長さの方か? 太さの方か? まさか硬さではあるまいな?」
なんかすごく失礼なことを言われている気がするが、ここでムキになっても誰も幸せにならないと思うのでぐっとこらえておく。
「ともかく、俺の彼女はおしとやかなんです!」
「へぇー」
いかにも関心のなさげな態度きた——!
俺は首を振り、残ったポテトを矢継ぎ早に胃の中に送り込んだ。
「さて、十五分しか持たなかったな。仕方ない、買い物に付き合え」
「買い物? ここで?」
ちなみにこのマック、札幌駅前にあるヨドバシカメラのビルの中に入っている。
「うん、ガンプラ見に行く」
「へ?」
「なんだ、ガンプラ見たらダメか」
「いえいえ、意外な趣味だなって」
「それを偏見というのだ、愚か者。大学の頃からガンプラやってるから、ガンプラ歴十年だぞ」
メグ姐さんの意外なプライベートに、俺はなんだか興味が湧いた。俺も男である。ガンプラの一つや二つ、組み立てた記憶はある。もっとも二十年くらい昔の話になるのだが。
「っていうかメグ姐さん。ガンプラ持ってクライアントの所には行けませんよ」
「わかってる。さすがにわかってる」
メグ姐さんは俺に片づけをするように命じ、勇躍して店舗から出て行った。そして慣れた足取りでエスカレータへと向かったのであった。
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