02: ウォーミングアップ
02-001: イグアナと同じ程度には好きだぞ、童貞。
翌日、俺たちは無事に羽田から新千歳空港まで移動した。直前まで台風でも来てくれないものかと祈っていたが、令和になりたての五月のGW明けの今日この頃、本日ハ晴天ナリ、である。新千歳空港から札幌駅まではJRで一本である。この辺は本当に便利だと思う。
JRは空いていた。俺とメグ姐さんは向かい合って座り、ぼんやりとお互いを見つめ合っている。はっきり言って、メグ姐さんは美人である。何時間でも眺めていられるほどの、まず間違いなく美人なのだが、ここまでで十分お分かりの通りの性格である。口調はガサツだし、行動は突飛だ。そしてまずチャラい男は寄り付けない。寄り付いた時にはすでに(男として)死んでいる。
「どうした、私の美貌に、これ以上何か注文でもあるのか、墨川」
「いいえ、ありません」
「なんだその英文和訳みたいな回答は」
「特に課長の顔に関してどうこうなんて考えてませんでしたよ」
「お前、童貞か?」
「いやいやいや、セクハラっすよ、その発言」
「童貞かどうかと訊いている。セクハラはその後だ」
よくわからない論理であるが、これ以上の抵抗が無駄なことは分かりきっている。メグ姐さんが訊きたいと仰せになったのならば、答えねばならないのだ。だが俺はちょっとは抵抗するぞ。それはなんていうか、お約束じみているとも言える。
「俺、彼女いるんですけど」
「彼女がいるイコール童貞ではない、は、論理的に成り立たない」
「いや、今時プラトニックラヴなんてのは——」
「なんだ、俗な奴だな、墨川」
足と腕を組んだメグ姐さんは目を細めて、こともあろうにそう言い放った。さすがに俺もなんだか無性に言い返したくなる。
「あの課長。前から言おうと思ってたんですけど」
「なんだ?」
「俺にだけ、アタリきつくありません?」
「うむ、そうだな!」
認めた。認めちゃったよ、この人。
「お前だけは言い返してくるからな」
「う……それはそうかも」
「だろう? 言い返しても来ない相手に食って掛かったってつまらないし、それはパワハラというんだ、覚えておけ」
「パワハラっすか」
「そうだ」
いや、あなたの口から「パワハラ」って言葉が出てくること自体にビックリだよ、こっちは。てっきりその言葉を知らないものだと思っていた。
そんな俺の心の抗議をよそに、メグ姐さんは時計を見る。確かカルティエの時計だ。
「着いたらちょうど昼か。札幌駅あたりで何か食べるか」
「そうですねぇ」
クライアントの社屋も札幌駅のすぐそばだ。特段移動する必要もないだろう。
「ホテルもすぐ近くを取れた。GW明けのこの時期は予約が取り易くていいな!」
「俺としては、あのクライアントとは物理的距離を取っておきたいんですけどね」
「そう言うな。東京の通勤から解放されるのもたまにはいいぞ」
それもそうかもしれない。俺は毎日一時間半かけて通勤している。例によって例のごとく、日々満員電車で押し寿司にされている。あの毎日のストレスがなければ、日本人の平均寿命はさらに五年は伸びるだろう。本当に悪しき文化だと思う。ていうかさ、なんでシステム業界でのフレックスタイム制は普及しないのか。在宅ワークはイマイチ支持されないのか。その手の施策がもっとも普及しやすい業種だと思っていたのだが。
あれ、そういえば――。
「思ったんですけど課長。課長ってどこ出身ですか?」
「ん、札幌だ」
「そうなんですか! 里帰りですね!」
「里帰り、か」
メグ姐さんは幾分思案顔で窓の外を見た。
「うちは家庭環境がちょっとな」
「そ、そうなんですか」
「で、いろいろあって大学出てすぐ東京に行って今に至っている」
でな——と、メグ姐さんは続けた。
「私、この案件が無事に片付いたら、札幌に戻ろうと思っているんだ」
「死亡フラグみたいで縁起悪いからやめてください」
「はは、ついてくるか?」
「だから俺には彼女が」
そんな彼女に今朝送ったLINEは、未だ既読になっていない。彼女はいつもスマホのチェックが遅いから、別に気にはなっていない。うん、いつものことだ。いつもの。
「彼女に捨てられたら私がもらってやってもいいぞ」
「あの課長、
「うむ。好きだ」
冗談のつもりで訊いたのに、メグ姐さんは至極あっさりと頷いた。
「好きって、え? ど、どういうことですか」
「好きなものは好きだ。例えばイグアナとか、かわいいだろう?」
「イグアナ……」
「たとえ奴らが醜悪なコオロギを食うとしても、奴らはかわいい。野菜を食う奴はもっとかわいいが」
「いや、イグアナの話はいいんですけど」
熱心に語り始めたメグ姐さんを止めて、俺は軽く腕を組んだ。
「……うん? 課長、イグアナ好きなんですか?」
「大学で爬虫類の研究をしていたからな」
「どういう経歴っすか」
その後の話を総合すると、メグ姐さんが理系という事はわかった。北海道大学出身のエリートリケジョという奴だ。俺も四大は出ているが、北海道大学ほどの高偏差値ではない。いわばごく普通の大卒である。ちなみに文学部を出ているのだが、なぜか今はシステムエンジニアをやっている。まぁ、よくもまぁこの業界を選んだものだとは思うが、一意専心、業界歴はかれこれ十年近くなる。いっぱしの中堅どころ――と思っていたのだが、業界では後輩にあたるメグ姐さんのあまりの鬼畜な能力値を目にした俺は、あっさりと降参したわけだ。ライバルにすらなり得ない。一言で言えば、メグ姐さんは自他ともに認める天才技術者なのだ。
「で、俺はイグアナと同じくらいってことで?」
「なんだ、ガッカリしたのか?」
「いーえ。むしろ安心しました」
俺が胸を張って言うと、メグ姐さんはなぜか目を険しくして顔を
「ところで課長。そろそろ着きますよ」
札幌駅まであと少し。数分以内に俺は札幌の大地に立つことになるだろう。
「私を不機嫌にした罰として、マックをおごれ」
「え、経費じゃないんですか」
「当たり前だ」
メグ姐さんは不機嫌そうに言い放つと、バッグを持って立ち上がった。
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