第4話 魔法使いは教え子を泥沼に落とす
翌朝、アメリアの涎がぼたぼたと顔に落ちてきて目を覚ました。
…………。
俺は無言でマントの中から脱出すると、泉で顔を洗ってからアメリアに声をかける。アメリアはまだ寝ていたいと言わんばかりの態度でさらに深くマントを被った。
「うーん、あと五時間……」
「寝てるだけで一日を終える気か!?」
イヤイヤと駄々をこねるアメリアを起こして、魔石で火を点けてもらったあと、泉で顔を洗わせている間に朝食を用意する。アメリアが持っていた獣の肉を簡単に焼いたものだ。腹が空いていたのか、アメリアは端正な顔に似合わず豪快に肉を噛み切りながら咀嚼する。そうしているうちに、ようやく目が覚めたようだった。
「ユツドーさんは泉に入ると魔法が手に入るんでしたよね? この近くに二箇所ほど水源があるので行ってみましょうか?」
「助かる」
アメリアと別れたあとは一人で冒険するとして、手持ちの魔法が翻訳魔法だけでは心もとない。何か良い魔法が手に入れば嬉しいのだが。
剣と魔法の世界だし、やっぱり攻撃魔法とか欲しいよなあ。色々と想像しながら、森の中を歩く。たまに遠くから獣の声が聞こえてくるが、アメリアがいるおかげなのか、全く襲われる気配はない。
数十分で目的地に着く。アメリアに案内された水源は、率直に言って入りたくない代物だった。
「……これは、本当に水場か?」
泉というよりは泥水と言ったほうが近い。人間が座れそうなギリギリのサイズの水たまりに泥水が貯まっている感じだ。流石にこれには入りたくない……入りたくないが。
「これに入って魔法が手に入るならお得だと思いますよ。ユツドーさんなら分かりますよね?」
アメリアの言う通り、泥だから入りたくないといった感情で魔法の獲得機会を逃すのは非合理的だ。泉や温泉の他、こういった水源でも魔法が手に入るのかはどこかで検証する必要がある。
俺は渋々ながら服を脱ぐと、泥沼の前に立った。まだ入る勇気が持てずに、深呼吸を繰り返す。
「えいっ」
「ぐわあああああぁぁっっ」
何度か呼吸しているうちに後ろから押された。二歩、三歩と泥水の中を歩いてからそこで体勢を崩し、尻もちをつく。泥水がバチャンと跳ねた。
「何しやがるっ!」
「うふふ、驚くかなと思いまして」
「驚いたよ満足かっ!?」
俺のツッコミにアメリアがケタケタと笑う。衝動に任せて動くとんでもない女だった。
それにしても、俺の下半身は泥沼に浸かっているが、翻訳魔法を獲得した時のようなメッセージが出る気配は無い。これは……外れか? 魔法が手に入る水源と手に入らない水源、何が違うのだろう? 俺の疑問は、アメリアの言葉で氷解した。
「おそらく、魔力溜まりですね。泉や温泉、川などは周囲の魔力を吸い上げてその土地独自の魔力溜まりを作ります。温泉魔法は、泉に溜まった魔力を女神スパクアの権能によって魔法に作り替えているのでしょう」
「この泥水にはその魔力溜まりが無いってことか。それは見れば分かるのか?」
「ええ、魔力を視る訓練をすれば、誰にでも分かります」
助かるな。魔法が得られる泉かどうかが見て分かるのなら、今後はこうやって試す必要が無くなる。もしかしてこの泥水に入る必要も無かったのでは? と思ったが、まあ実際に入ってみないと魔法が獲得できないことも分からなかったしな……。そんなことを考えていると、先ほどよりも俺の身体が沈んでいることに気付いた。尻もちをついた時は尻がちょっと沈んだ程度だったのに、今は腰のところまで泥に埋まっている。
…………うん?
「おいアメリア、これってまさか」
「底なし沼ですね」
「うおおおおおおおっっ!?」
慌てて立ち上がろうとするが、泥にハマって上手く立ち上がれない。暴れれば暴れるほど、どんどん身体が沈んでいく。俺はアメリアに助けを求めた。
「あわわわわわ、助けてくれアメリアッ」
「魔法使いが魔力を込めた物質は頑丈になり、多少の力では壊れなくなります。知ってましたか?」
「その情報、今いるっ!?」
「ええ、必要です」
アメリアは微笑を崩さない。アメリアはその辺に落ちていた小枝を拾うと、俺に差し出した。
「これに掴まってください。折れたら見捨てます」
「……冗談だよな?」
「うふふ、冗談に見えますか?」
目がマジだった。アメリアが握っているのは、命綱にするにはあまりにも頼りない小枝だ。普通に掴まれば即座に折れて、俺は泥沼に沈むだろう。小枝に魔力を込めて、折れないようにしろ、とアメリアは言っているのだ。
え? 失敗したらマジで死ぬのか?
「うふふ。慌てていますね。おもしろ」
「お前あとで覚えておけよっ!?」
アメリアに怒鳴りながらも、意識を切り替えて集中する。自分の身体の中を、魔力が巡っている。今は好き勝手に流れている魔力を、一方向に集めていく。
数秒、数十秒と過ぎていく。少しずつ、少しずつ、泥沼に身体が沈んでいく。
頭が冴え渡ってきた。そもそも俺は一度死んでいるのだ。この異世界にも、最高級温泉に入った後は死ぬつもりでやってきた。だから、泥沼に沈んで死ぬ程度の状況は。
「大した危機じゃあないな」
俺は小枝を掴むと、思いっきり魔力を込めた。アメリアが華奢な身体に似合わない怪力で、小枝ごと俺を引き上げる。俺の魔力によって強化された小枝は、折れることはない。無事に泥沼から引き上げられた俺は、アメリアに礼を言う。
「助かったぜ。俺に魔力の使い方を教えるために、わざと追い込んだのか。俺が失敗しても助けるつもりだったんだろ?」
「…………うふふ、ええ、もちろん、失敗しても助けるつもりでしたよ? 本当ですよ?」
「その妙な間はなに? 怖いんだが?」
え? 失敗しても助けてくれるつもりだったんだよな? 俺は何度もアメリアに問いかけたが、銀髪の魔法使いは微笑を返すだけだった。
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