合気道初体験
「ほらほら、八神くん。どうよ?」
借り物ながら、初めて道着と紺の袴を身に着けたつばさちゃんは、得意げに見せに来る。
実際に似合うんだけど、真正面から褒めるのも照れる。
「ま、良いんじゃない?」
なんて答えれば、お座なりだと怒るし。美辞麗句を並べてあげると、「全然気持ちが籠もってない」とムクれる。
まったく、扱いづらいったらありゃしない。
とりあえず、スマホで写真を撮って、家に送って自慢したら? との提案で満足いただけた。
袴にスニーカーというのも変だけど、ひんやりした朝の空気の中、軽くジョギングしております。
これは合気道関係なく、つばさちゃんの日課。
気持ち良さそうだから、俺も付き合って走ります。……道に迷われると迷惑だし。
軽く汗を掻いてから、道場の掃除。そして、簡単な朝食。
そして、いよいよ指導開始だ。
合気道の稽古の始めは、準備運動として、身体を解すところから始める。流派によって違うみたいだけど、爺ちゃんの黎明館合気術ではこんな感じだ。
連続跳躍から屈伸、膝回し、伸脚、深い伸脚、アキレス腱伸ばし。
腕の外回し、内回し、前後運動、前後屈、体側屈。状態旋回、首の運動。
手首の関節運動。
座位運道。開脚運動。正座して全身を叩く。上体を捻る。上体を伸ばす。交互に脚を変えての後ろ受け身。全身を使った受け身。
要するに脚を解して、上体を解して、手首を解す。股関節を解す。腰回りを解す。
それから受け身の練習というのが準備運動だ。
ただ、手首の解し方は独特で一教、二教とか種類がある。面倒くさいから説明はしないけど、それだけ手首は大事だと思ってくれれば良い。
慣れると十五分くらい。今日はつばさちゃんに教えつつ、じっくりとやったから三十分ちょっとかかってしまった。
「ううっ……股割りがキツイ。八神くんは、良くそんなに脚が開くわね」
「久々だから、全然ダメだよ。習ってた頃は百八十度いけてたのに……」
「マジで?」
「フフッ……。合気道は自分の身体を、自由に使えることが大事なんだよ。まずは、身体の錆びを落として関節の可動を良くするところから始めなさい」
「うら若き乙女なのに、身体が錆びついてるのね、私」
準備が整えば、型稽古だ。
正座や運足などの個人の型もあるけど、受け身の練習をしたばかりで慣れてる内に、組んでの合気の技を体験してもらうことにした。
ズブの素人を上手く導ける自信はないので、もちろん爺ちゃんと組んでもらう。
「きゃあ!」
「えっ?」
堪える気満々のつばさちゃんの身体が、面白いように畳に転がされる。
慣れた相手との型稽古なら、気持ち良く投げられようとすることもあるけど、爺ちゃんクラスになると、堪えてやろうと思っても、堪えきれるものではない。
ほんの僅かの手首の返しだけで、面白いように体を崩され、転がされてしまう。
基本的には、相手の呼吸を呼んで合わせ、相手がバランスを崩した運動エネルギーを円運動に変えてやるだけなのだそうな。
人の身体っていうのは、ちょっとした動きでも、かなり大きな運動エネルギーが働いているのだ。
それを嘘だと疑う奴は、部屋の中で普通に移動して、タンスの角に足の小指をぶつけてみれば良い。速足でもないのに、泣きたくなるほど痛いだろう?
ただ歩くだけで、それだけの運動エネルギーを使ってる証拠だ。
あとは、膝カックンの悪戯もそう。
立っていて支えを失うだけで、アレだけの勢いが生じるんだぜ。
そのまま手首を捻ってやれば、大の大人でも簡単に転がすことができる。
もの凄くいい加減な区切りだけと、そうやって些細な動きのエネルギーで、相手の身体のバランスを崩すのが合気道だ。
だから、相手の呼吸を読んで、それに合わせることが大事になる。
でも、さすが爺ちゃん。まだ受け身に難があるつばさちゃんを、良くもこんなに綺麗に転がせるものだ。
三十分ほど転がされ続けて、音を上げた所で小休止。
「何で、あんなに軽々と転がされるんだろう?」
「それを学びに来たんでしょ?」
「まあ、それもそうだね……」
汗みずくである。
タオルと飲み物を渡す。最初は不思議なんだよなぁ。
爺ちゃんは、夕方からの門下生の指導があるので休憩するそうな。
構えや入り身、運足に転換、受け身、膝行など、一般の人と混じっても邪魔にならないように、基本の個人の型ができるように教えておきます。
基礎をなぞり直すと、俺自身も勉強になる。
滅多にない機会だから、先輩ぶって指導したりしてね。
運動系の部活はしたことがないと言ってるけど、予想通りに運動神経は良い。いきなり完璧に、は無理だけど、ギクシャクした仕草が様になって来るまでが早い。
意識せずにできる様になれば、文句無し。頑張って、そこを目指してくれ。
俺としては、トルーパー対策に、今までやってこなかった、剣や棒などの武器を持っての型を教わりたいんだよなぁ。
接近戦での、相手のプラズマソードの扱いが、なかなか面倒なんだよ。
剣と剣、無手と剣など、ケースバイケースの型があることまでは、昔聞いてるんだ。
トルーパー歴の浅い、俺の強みなんてそこしかない。しっかり身につけておかないと。
関東地区大会での優勝は、さすがに厳しいと思うけど、何とか全国大会出場枠に残りたいと思ってる。
つばさちゃんに置いていかれることもなく、同じ舞台に立ちたい。
期待をしてもらっているなら、応えたい。心の底から、そう思う。
こんな気持ちになるのは、初めてだ。
少なくとも、努力でこの娘に負けたくはない。
「ふわぁ……。健康法みたいに言うから、舐めていたらどうしてどうして……。けっこうキツイよ、これ」
「普通はこんなに集中してやらないって。あとで門下生の練習に合流したら、脱力すると思うよ」
畳の上で大の字になってるお嬢さんに、新しいタオルを放ってやる。
だから、ティーシャツの襟ぐり引っ張って、中にタオルを突っ込んで汗を拭くのはやめなさいって……。
「うるさいなぁ。汗が凄いんだから、しょうがないでしょ。そのくらい慣れてよ」
「無茶言うな! 少しは女子の自覚を持ってくれ」
「もう……これだから、男子と一緒は面倒くさい」
お互い、小学生の頃だったら、そんなに意識せずに済んだんだろうな。股の間に、付いてるか、付いてないかの違いくらいしか無かったろうし。
人一倍発育が良いのだから、ちゃんと意識してくれないと、こっちが困ってしまう。
とりあえずは向こう向きになっていただければ、帯を解いてティーシャツを捲くり上げて汗を拭こうと、構いません。……気にはなるけど。
息が整ったら、二人で組んでの型を簡単に予習しておく。
爺ちゃんにいちいち手順まで説明させて、余計な時間をかけてしまっては、月謝を払って習っている、正規の門下生に迷惑だからね。
今日は交代せずに、俺がずっと受けに回った方が良さそうだ。
ぎこちない仕掛けにも、わざと綺麗に投げられるのも合気道の演武。試合じゃないというのは、そういう事だ。
気持ち良く投げてもらって、気持ち良く受けてあげる。
そうしている内に、投げるコツ、受けるコツが掴めてくる。それを逆の立場になった時に意識する事で、より、投げやすく、受けやすくなっていく。
極めるに連れて、無駄な力を一切使わなくなっていくんじゃないかと思ってる。
「えっと……こうやって、こうだっけ?」
「そう、その手順で正解」
いちいち考えながら動いているから、こっちも飛んだり、身体を丸めたりで大変だ。
まあ、ちょうど良い、受け身の練習にもなってるけど。
まだまだ、腕や腰の力で投げようという意識があるから、受けるのも大変だ。
適当なところで切り上げて、汗で濡れた畳の掃除をしておく。
近所の奥様方や、お年寄りの午後の部。学生や社会人中心の夕方の部。
フル回転して、夕食に漁港の町でもある勝浦ならではの海の幸に舌鼓を打って……。
「さすがに女の子とは言え、風呂が長すぎてないか?」
「だね……ちょっと、様子を見てくるか」
「馬鹿もん。男のお前が、女子の風呂の様子を見に行ってどうする! ……婆さん、ちょっと頼む」
様子を見に行った婆ちゃんが十五分くらいして、やっと戻ってきた。
くすくす笑いながら、「お風呂、空きましたよ」と告げる。
「大丈夫だった? つばさちゃんは?」
「ふふふっ。……お風呂の洗い場で、電池が切れたように眠ってましたよ。まるで、小学生の男の子みたいね」
何事もなくて良かった。
緊張がほぐれるとともに、悪いけど大笑いしてしまう。
らしいと言えばらしいけど、今日一日、あれだけ動き回っていたら、さもありなん。
初日は、そんなオチがついて終わった。
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