亡者の呼ぶ声(後編)

「あたしは確かに、あたしの父、ワイドバグを試合で殺した剣闘士ファイター、二刀流のジャック・リーをこの手で殺した。だけど、あんたもわかってるだろ。そもそもあの試合を組んだのは誰だ?」

「そりゃあ、地下闘技場ドゥオモのオーナー、興行師ショーマンだ」

「そうだ。だから、あたしの父の仇ってのはジャック・リーだけじゃねえ。興行師もまた、あたしにとっては殺すべき仇だ」

「……待てよ? ニュースでも見たが、興行師を殺したのはもしかして」


 デッドスロープの疑問にあたしはイエスと頷いた。


「そうだ。あたしが殺した。でも、あたしはそれまで、興行師ショーマンの下で働いていた」

「そりゃ君が剣闘士ファイターだから……」

「違う!」


 思わず声を荒げた。

 結果だけ見れば、あたしは父を直接手にかけた男も、父を死に追いやった男もどちらも殺し、復讐を果たした。それは事実だ。


 だけど、あたしが許せないのは、自分だ。


「あたしが本当に復讐のことだけ考えてるんなら、もっと早くに興行師ショーマンの糞野郎に刃を向けて良かったんだ。だけど、あたしは剣闘士ファイターになった自分が怖くなった。自分の命が惜しくなったんだ。あんたもデッドスロープなら知ってるだろ。そういう記事も確か書いてたもんな。興行師ショーマンは、自分の地下闘技場ドゥオモの試合に参加する剣闘士ファイターには例外なく、枷をはめた。剣闘士ファイターに爆弾を仕掛けて、自分に逆らう剣闘士ファイターがいれば、その頭を吹き飛ばすんだ。あたしはそれを知っていたから、興行師ファイターに手が出せなかった。怖かったから! 復讐に手を染めたら、代わりに自分の命が確実に失われる。それが怖くて、興行師ショーマンへの復讐を先延ばしにしたんだ!」


 あたしは座ったまま、自分の中にある衝動に我慢しきれずに両脚で地団駄を踏んだ。みっともない。これではまるで、自制の効かない赤子だ。


「ワイドバグJr」

「んだよ!」

「だがそれは、ものの見方というものじゃないかね?」


 そんなあたしに、デッドスロープは子供を言い聞かせるような声音で話し掛けた。


「ものの見方だと?」

「ああ。君が、自分の命など惜しくはない! と、そう思って、身体に爆弾がしかけられたままに興行師ショーマンに攻撃をしたならば、まず間違いなく、興行師ショーマンの爆弾は、彼を傷つけるよりも前に君の頭を吹き飛ばしただろう。僕もそうやって死んでいった剣闘士ファイターのことは何人も知っている。記者だからね」

「そうだな」

「にも関わらず、君がもしも興行師ショーマンに刃を突き立てたなら、それでは万に一つも復讐を果たすことはできない。だから君は耐え忍び、待ったんだ。君が仇をうつことができる、絶好の好機チャンスを」

好機チャンスを……」

「君は臆病風に吹かれて、死を恐れて仇討ちを先延ばしにしたわけではないということだ。そして遂にはその好機チャンスがやってきた。だろう? だから君は、興行師ショーマンの命を奪うことができたのだから」


 あたしは好機チャンスを、耐え忍んだ。

 デッドスロープの言葉を、心の中で反芻する。それは慰めでしかない。

 あたしが死を恐れて、復讐という目的から目を背けた事実には変わりがない。だから、それを正当化する言葉は自分への言い訳でしかないが、それでも他人からそう声をかけられることは、何だか嫌な気はしなかった。


「それに先代のワイドバグも、君には生きていてほしかったはずだ。父親なんだからね、娘の死を願うなんてことはないさ。僕も、息子がもしも生きていたら、と何度も考える。後悔し続ける。君のお父さんに、死んでまでそんな思いをさせるわけにはいかないだろう。それに、ここにいれば君は父親が、君には本当はどうして欲しかったのかが聞ける」

「はあ?」

「言っただろう。僕は死者との交信の時間、真夜中を待ってここにいる。君もそれに付き合ってくれるんだろう」

「ああ。そのつもりだ」


 あたしはいつの間にか流れていた涙を手で拭った。


「は! 情けねえ。大の大人が二人して泣き喚きやがる」

「それもこの場所の力なのかもしれないな。訪れる生者の、死者に関する気持ちを掘り起こす。そんな効果が、この場所にあってもおかしくない」

「知るかよ。だが、まあおかげでちょっとスッキリしたと思うよ。あたしの中にある、あたしを許せねえって後悔は、きっと消えねえけど」

「それは僕もそうだ。僕もきっと、何があったって、妻子を失った時の後悔と懺悔の気持ちは消えたりなんかしないだろう」


 あたしとデッドスロープはお互いの顔を見合わせる。そしてお互いに噴き出し、大声で笑った。


 あたし達がそうこうしているうちに。

 ふ、と──。


 ホールの中から、光が漏れ出すのを見た。


「来た!」


 デッドスロープは、左腕に巻いた腕時計で時間を確認して、静かに、力強く、そう呟いた。


「真夜中か!?」

「ああ。死者の国アストラルワールドとの交信が最も活発になる時間。見ろ! 満月ももう登り切っている!」


 デッドスロープが、星空を指差す。

 雲一つないその空の真ん中に、大きな満月が座しているのが、確かに見えた。


 ホールから漏れ出てくる光は、だんだんとその眩さを強める。そして遂には、ホール全体が光り輝いた。


「あ、あああ!」


 隣でデッドスロープが、膝から崩れ落ちた。

 口を大きく開け、その目から大粒の涙をポツポツと落としている。


 あたしは目の前に広がる光景を信じられなかった。


 デッドスロープの前に、さっきまでは形さえなかったというのに、二人の人間が立っていた。

 一人は若く、少しだけ華奢な女性で、その傍らには、まだ五歳くらいだろうか、小さな男の子がその女性にしがみつくようにしている。


 さっき話に聞いた、デッドスロープの妻と子供なのだと、あたしは確信した。


「ああ。すまない。二人とも本当にすまなかった。僕がもっと二人のことを見ていてやれれば! 仕事ばかりでなく、家庭のことにも目を向けていられれば、もしかしたら、お前達は……」


 涙を流し続けるデッドスロープに、妻と子供の二人は手を差し伸べた。


「……良いのかい?」


 デッドスロープは、二人が差し伸べる手を迷わずに取った。


 ──いけない。


 そう口にしようとした時には既に、デッドスロープの姿は粒子のように散逸し、彼を追うように、彼の妻と子供の姿も消えた。


「あれは……」

「亡者に導かれ、亡者の国に行ったんだ」


 誰かがあたしの言葉に応えた。

 あたしは慌てて、顔をあげる。


 そこには男が立っていた。

 その男は二本の刀を両手に携え、虚な目であたしを見つめている──。


「お前……二刀流トゥーウェイ!」


 そこにいたのは、あたしがかつて憧れ、あたし自身がその手にかけた剣闘士ファイター、ジャック・リーだった。


 ジャック・リーはその虚か目であたしを捉えると、ニヤリと口元を歪めた。


「この時を心待ちにしていたが、思っていたよりも早く時が訪れたな」

「何で。何であんたが!」

「さあ、僕が知るかよ。お前が望んだんだろ」


 あたしが望んだ?

 死者の国との交信。それで望んだのは、父親との会話ではなく、ジャック・リーとの?


「お前、僕のファンだったんだろ。だったらわかってたはずだよな。お前の父親が死んだあれは、ただの試合の結果でしかない。お前が復讐だの何だの言うのはお門違いだろ」

「闘技場の上での闘いを、闘技場の上でリベンジを果たしたいって願いは、そんなにお門違い?」


 ジャック・リーは何か言おうと口を開けて、それから何も言うことはない、とでも言うように頭を横に振った。


「そうだな。そりゃあそうだ。ワイドバグJr、あんたは正しい。今のは僕の方がどうかしてたね。いやいや悪い悪い。何せ、自分を殺した女が目の前にいるもんだからさあ。ついカッとなっちゃったよ」


 ジャック・リーはそう言って、おかしそうに笑った。

 あたしは何もおかしくはない。


 この男の言う通り、あたしはこの男のことが好きだった。憧れ続けていた。


 だけど、父の復讐が終わった今、その気持ちもあたしの中からは、どこかに消えている。


「あたしは、どうなるの」

「さっきのくたびれたおっさんと同じだ。一緒に行こう。だから僕を呼んだんだろう、あんたは。死ぬなら僕に手を取って、それで行きたかったわけだ。向こう側に。死者の世界へさ」


 死者の世界。

 何故だか、さっきまで冗談めいていたその言葉が、さっきまでとは違って、とても甘美なもののように、頭に響いた。


 あたしは、いつ死ぬかどうかもわからないまま剣闘士ファイターになるための特訓を続け、そしてジャック・リーを殺すために念願の剣闘士ファイターになった。

 でも、それからは剣闘士ファイターとして、雇い主に逆らってしまえば死んでしまう恐怖と戦って、ついこの間その恐怖から解放されたばかりだ。


 ──死ぬのは怖くなかった。

 ──死ぬのは怖かった。


 だけど今、その死が、まるで愛すべき隣人のように感じられる──。


「僕から君へ、もう一度言おう。さあ」


 一緒に行こう──。


 死者ゴーストからの、強い誘いの言葉。

 ジャック・リーの口にするその言葉にあたしは応えようとして、ゆっくりと、ジャック・リーが伸ばす手を握ろうとした──。


「待て」


 誰かの声が、あたしの頭の中に響いた。


 あたしはビクリと肩を震わせた。そしてジャック・リーの手を今にも取ろうとした自分の手を引っ込める。


 あたしの頭の中に響いたあの声は、産まれてからずっと、何度も聞いた。

 その声を聞いて嫌になることだって数えきれないくらいあったけど、だからってその全てを嫌になることはなかった。


「あたしは……行けない!」


 あたしは意を決して、地面を蹴った。


「おい待て! 待てってば!」


 ホールからより遠くへ! 街まで走れ!!


 決して振り返ることなんてせず、決して後悔なんて思い出そうとなんてせず、あたしは走った。


「待てってば! よく考えろ! あんたは解放されるんだ! 親父さんも待ってる! 何も怖くなんてない!」


 そんな間も、あたしの耳元に聞こえるジャック・リーの声は遠ざかることがないことにゾクリと身を震わせたが、それも気にしないようにして、あたしは走り続けた。


 どれだけ走り続けたのだろう──。


 そして遂には耳元から聞こえてくるジャック・リーの声も顰め、目の前に、慣れ親しんだあの街の入り口が見えてきた。


「アウトホールシティ……」


 あたしの街。あたし達の街。

 この街で、多くの後悔もしてきた。だけど、自分が今までしてきたことを、なかったことになんてしたくない。

 ましてや、後悔の残るまま、自分から死者の誘いを受けるなんてのは、真っ平だった。


 あたしはようやく後ろを振り向く。


 ホールが、もう小さな鉛筆の先っぽくらいに見える。

 ここから見えるホールはいつも通り矮小で、それでも何故だか強い存在感があって、そして何よりも、静かだった。





……the end.

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