亡者の呼ぶ声(後編)
「あたしは確かに、あたしの父、ワイドバグを試合で殺した
「そりゃあ、
「そうだ。だから、あたしの父の仇ってのはジャック・リーだけじゃねえ。興行師もまた、あたしにとっては殺すべき仇だ」
「……待てよ? ニュースでも見たが、興行師を殺したのはもしかして」
デッドスロープの疑問にあたしはイエスと頷いた。
「そうだ。あたしが殺した。でも、あたしはそれまで、
「そりゃ君が
「違う!」
思わず声を荒げた。
結果だけ見れば、あたしは父を直接手にかけた男も、父を死に追いやった男もどちらも殺し、復讐を果たした。それは事実だ。
だけど、あたしが許せないのは、それに至るまでの自分だ。
「あたしが本当に復讐のことだけ考えてるんなら、もっと早くに
あたしは座ったまま、自分の中にある衝動に我慢しきれずに両脚で地団駄を踏んだ。みっともない。これではまるで、自制の効かない赤子だ。
「ワイドバグJr」
「んだよ!」
「だがそれは、ものの見方というものじゃないかね?」
そんなあたしに、デッドスロープは子供を言い聞かせるような声音で話し掛けた。
「ものの見方だと?」
「ああ。君が、自分の命など惜しくはない! と、そう思って、身体に爆弾がしかけられたままに
「そうだな」
「にも関わらず、君がもしも
「
「君は臆病風に吹かれて、死を恐れて仇討ちを先延ばしにしたわけではないということだ。そして遂にはその
あたしは
デッドスロープの言葉を、心の中で反芻する。それは慰めでしかない。
あたしが死を恐れて、復讐という目的から目を背けた事実には変わりがない。だから、それを正当化する言葉は自分への言い訳でしかないが、それでも他人からそう声をかけられることは、何だか嫌な気はしなかった。
「それに先代のワイドバグも、君には生きていてほしかったはずだ。父親なんだからね、娘の死を願うなんてことはないさ。僕も、息子がもしも生きていたら、と何度も考える。後悔し続ける。君のお父さんに、死んでまでそんな思いをさせるわけにはいかないだろう。それに、ここにいれば君は父親が、君には本当はどうして欲しかったのかが聞ける」
「はあ?」
「言っただろう。僕は死者との交信の時間、真夜中を待ってここにいる。君もそれに付き合ってくれるんだろう」
「ああ。そのつもりだ」
あたしはいつの間にか流れていた涙を手で拭った。
「は! 情けねえ。大の大人が二人して泣き喚きやがる」
「それもこの場所の力なのかもしれないな。訪れる生者の、死者に関する気持ちを掘り起こす。そんな効果が、この場所にあってもおかしくない」
「知るかよ。だが、まあおかげでちょっとスッキリしたと思うよ。あたしの中にある、あたしを許せねえって後悔は、きっと消えねえけど」
「それは僕もそうだ。僕もきっと、何があったって、妻子を失った時の後悔と懺悔の気持ちは消えたりなんかしないだろう」
あたしとデッドスロープはお互いの顔を見合わせる。そしてお互いに噴き出し、大声で笑った。
あたし達がそうこうしているうちに。
ふ、と──。
「来た!」
デッドスロープは、左腕に巻いた腕時計で時間を確認して、静かに、力強く、そう呟いた。
「真夜中か!?」
「ああ。
デッドスロープが、星空を指差す。
雲一つないその空の真ん中に、大きな満月が座しているのが、確かに見えた。
「あ、あああ!」
隣でデッドスロープが、膝から崩れ落ちた。
口を大きく開け、その目から大粒の涙をポツポツと落としている。
あたしは目の前に広がる光景を信じられなかった。
デッドスロープの前に、さっきまでは形さえなかったというのに、二人の人間が立っていた。
一人は若く、少しだけ華奢な女性で、その傍らには、まだ五歳くらいだろうか、小さな男の子がその女性にしがみつくようにしている。
さっき話に聞いた、デッドスロープの妻と子供なのだと、あたしは確信した。
「ああ。すまない。二人とも本当にすまなかった。僕がもっと二人のことを見ていてやれれば! 仕事ばかりでなく、家庭のことにも目を向けていられれば、もしかしたら、お前達は……」
涙を流し続けるデッドスロープに、妻と子供の二人は手を差し伸べた。
「……良いのかい?」
デッドスロープは、二人が差し伸べる手を迷わずに取った。
──いけない。
そう口にしようとした時には既に、デッドスロープの姿は粒子のように散逸し、彼を追うように、彼の妻と子供の姿も消えた。
「あれは……」
「亡者に導かれ、亡者の国に行ったんだ」
誰かがあたしの言葉に応えた。
あたしは慌てて、顔をあげる。
そこには男が立っていた。
その男は二本の刀を両手に携え、虚な目であたしを見つめている──。
「お前……
そこにいたのは、あたしがかつて憧れ、あたし自身がその手にかけた
ジャック・リーはその虚か目であたしを捉えると、ニヤリと口元を歪めた。
「この時を心待ちにしていたが、思っていたよりも早く時が訪れたな」
「何で。何であんたが!」
「さあ、僕が知るかよ。お前が望んだんだろ」
あたしが望んだ?
死者の国との交信。それで望んだのは、父親との会話ではなく、ジャック・リーとの?
「お前、僕のファンだったんだろ。だったらわかってたはずだよな。お前の父親が死んだあれは、ただの試合の結果でしかない。お前が復讐だの何だの言うのはお門違いだろ」
「闘技場の上での闘いを、闘技場の上でリベンジを果たしたいって願いは、そんなにお門違い?」
ジャック・リーは何か言おうと口を開けて、それから何も言うことはない、とでも言うように頭を横に振った。
「そうだな。そりゃあそうだ。ワイドバグJr、あんたは正しい。今のは僕の方がどうかしてたね。いやいや悪い悪い。何せ、自分を殺した女が目の前にいるもんだからさあ。ついカッとなっちゃったよ」
ジャック・リーはそう言って、おかしそうに笑った。
あたしは何もおかしくはない。
この男の言う通り、あたしはこの男のことが好きだった。憧れ続けていた。
だけど、父の復讐が終わった今、その気持ちもあたしの中からは、どこかに消えている。
「あたしは、どうなるの」
「さっきのくたびれたおっさんと同じだ。一緒に行こう。だから僕を呼んだんだろう、あんたは。死ぬなら僕に手を取って、それで行きたかったわけだ。向こう側に。死者の世界へさ」
死者の世界。
何故だか、さっきまで冗談めいていたその言葉が、さっきまでとは違って、とても甘美なもののように、頭に響いた。
あたしは、いつ死ぬかどうかもわからないまま
でも、それからは
──死ぬのは怖くなかった。
──死ぬのは怖かった。
だけど今、その死が、まるで愛すべき隣人のように感じられる──。
「僕から君へ、もう一度言おう。さあ」
一緒に行こう──。
ジャック・リーの口にするその言葉にあたしは応えようとして、ゆっくりと、ジャック・リーが伸ばす手を握ろうとした──。
「待て」
誰かの声が、あたしの頭の中に響いた。
あたしはビクリと肩を震わせた。そしてジャック・リーの手を今にも取ろうとした自分の手を引っ込める。
あたしの頭の中に響いたあの声は、産まれてからずっと、何度も聞いた。
その声を聞いて嫌になることだって数えきれないくらいあったけど、だからってその全てを嫌になることはなかった。
「あたしは……行けない!」
あたしは意を決して、地面を蹴った。
「おい待て! 待てってば!」
決して振り返ることなんてせず、決して後悔なんて思い出そうとなんてせず、あたしは走った。
「待てってば! よく考えろ! あんたは解放されるんだ! 親父さんも待ってる! 何も怖くなんてない!」
そんな間も、あたしの耳元に聞こえるジャック・リーの声は遠ざかることがないことにゾクリと身を震わせたが、それも気にしないようにして、あたしは走り続けた。
どれだけ走り続けたのだろう──。
そして遂には耳元から聞こえてくるジャック・リーの声も顰め、目の前に、慣れ親しんだあの街の入り口が見えてきた。
「アウトホールシティ……」
あたしの街。あたし達の街。
この街で、多くの後悔もしてきた。だけど、自分が今までしてきたことを、なかったことになんてしたくない。
ましてや、後悔の残るまま、自分から死者の誘いを受けるなんてのは、真っ平だった。
あたしはようやく後ろを振り向く。
ここから見える
……the end.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます