ChapterEX:Call of the Ghost

亡者の呼ぶ声(前編)

 目を覚ましたあたしの前に広がるのは、満点の星空だった。

 街の中では見たことがない、眩い星空の光に目を覆う。


 それからもう一度手を除けて、星空を見た。


 美しい。こんな星空を見れる場所があったのか。そう思うと、自然と感嘆の息が口からこぼれた。

 しかし、そこで私は辺りを見渡して、立ち上がる。


「どこだよ、ここ」


 空は見渡す限りの星空。建物や飛行物が近くにある様子もない。

 そしてあたしの寝ていた場所の近くには、大きな谷があった。谷底からは幾つもの金属管パイプが伸びていて、地平線の向こうのどこかへ繋がっているようだが、その先もここからでは見えない。


「おーい、目ぇ覚ましたか」


 遠くから、あたしを呼びかける声がした。

 あたしはくるりと声がする方向を向く。


 くたびれたスーツを着た、くたびれた姿の男が、あたしの方に走り寄ってくるところだった。

 男はぜえはあと息を吐き、呼吸を整えると、手に持っていた水筒の口を開け、口にした。ごくごくという、水を飲み込む音があたしからも聞こえた。


「ずっと眠ったまんまだから、てっきしあんたも死者なのかと」

「あたしもって……」


 あたしは改めて、周りを見渡す。人の気配はしない。ただただ、風の音が耳に届くばかりだ。


「そもそもここどこだよ」

「もしかしてあんた、ここに来るまでの記憶ねえのか?」

「ない。というか、あんたも誰だ。あんたがあたしをここに連れてきたのか?」


 あたしはくたびれた男を詰め寄った。男はたじたじと後ずさりをして、勘弁してくれよとため息をついた。


「違う違う。僕がここに来た時には、既にあんたはここで横になって眠ってたんだよ。どうするもんかと首を傾げたけど、もしかしたら死者かもしれないし、手を出そうにもどうするべきかあぐねてて、ただここから離れるわけにもいかねえし、とそうこう悩んでいる間にも水筒の中身がぐんぐん減ってきて、仕方がないから近くの川まで用を足しに行って、ついで水を汲んで、そんで戻ってきたらあんたが目を覚ましていたんだ。本当にそれだけだよ」

「そうか……」


 びくびくとした様子からも、男がわざわざ嘘を言っているようにも見えない。

 ただ、やはり一つ引っかかる言葉がある。


「あたし死者かもしれねえってのはなんだよ。ここにはあたしとあんた、二人しかいねえだろ。なのに、なんでそんな風に思うんだ」

「あー、どっから説明したものか。いや、説明していいものか……そうだなあ。まあこんなとこにいたんだからなんか訳ありなのは違いないんだろ。しょうがねえ。あんたも運命共同体だと思って、教えるけど、ここはホールだよ」

ホール?」


 聞き覚えのある言葉だが、何のことを言っているのかすぐに理解できない。脳みそから記憶を引っ張り出そうとする前に、男がその疑問に答えてくれた。


ホール。聞いたことあんだろ。アウトホールシティの外側。大戦争ザ・ウォーの置き土産。誰もが口にすることを憚る場所。あんたのすぐ横に見える、それがホールさ」

「この谷が?」


 あたしは再度、さっき谷だと認識したところを見た。


「谷じゃなくてホールだ」

「んなのはどっちでも良い……なんでそこにあたしが倒れてて、死人だと思ったんだよ。問題はそこ」

死人デッドじゃなくて死者ゴーストだ」

「それもどっちだっていいだろ。あたしが幽霊ゴーストに見えるか?」

「それが良くないんだ。この場所ではな。少し長くなるが、良いか?」


 男は水筒の口を締めると近くにあった岩に腰掛け、あたしにも反対側にある岩に腰掛けるように言った。

 実際、自分では何もしようがないので、男の言われるがままに岩に尻を置く。


「まずはまあ、自己紹介かな。僕はデッドスロープ。Webライターだ」


 男が名乗る名前を、あたしは聞いたことがあった。


「デッドスロープって、あの陰謀論ブログの、あの?」

「知ってくれてるのか!? 嬉しいねえ。もしかしてファン?」

「ファン、って程じゃねえけど読んでるよ、あんたのブログ」


 デッドスロープは「それでも嬉しいよ」と上機嫌だ。


「そう。そのデッドスロープさ」

「じゃあ、あんたは取材かなんかのためにこに?」

「それもあるが、どちらかというと個人的な理由かな。君は?」

「あたしは……」


 そこであたしは自分の名乗る名に悩んだ。しばらく、本名で名前を呼ばれていないし、自分で名乗ったこともない。

 仕方なく、あたしはいつものように、いつもの名を名乗った。


「ワイドバグだ」

「ワイドバグ……?」


 デッドスロープは、くたびれた瞼を少しだけ大きく見開いて、あたしの顔をまじまじと見つめた。そして得心がいったように「あ!」と大きく口を開く。


「そうか! いやはや気付かなかった。君、ワイドバグJrか」

「そりゃ知ってるよな……」


 何度か地下闘技場ドゥオモの試合にも出ているような剣闘士ファイターの名前を、Webライターが知らないわけはなかったか。

 何だったら、ちょっと考えて偽名でも名乗ればよかったことに気付かなかった自分の浅はかさに、あたしは少しだけ落ち込んだ。


「そうだなあ。確かにな。僕もすぐ気付かないとは、地下世界アンダーグラウンドのライター失格だな」

「あたしは素顔を最初の試合でしか晒してない。気付かなくても無理はないだろ」


 普段のあたしは自分の身体ではなく、剣闘士ファイターとしての分身アバターである、巨大なセベクの身体を使って試合をしているのだから、生身の自分のことがそうそう知られていても困る。

 ただ、あたしは対戦相手の虚を突くために、一度だけこの生身の身体を、闘技場で晒したことがある。だから、その時の写真はネットには出回っているし、知っている人は知っているのも確かだ。


「改めましてよろしく、ワイドバグJr」

「よろしく……は良いんだってば。話の続き」

「そうか。そうだな」


 デッドスロープはコホンとわざとらしく咳払いをした。さっきまでの弱腰はどこへ行ったのか、肩を揺らして上機嫌だ。


「君は聞いたことはないだろうが、ホールにはある秘密がある。それはこのホールが、死者の国と繋がっているという秘密だ」

「……はあ」


 デッドスロープの口から、どうリアクションすれば良いのかわからない単語が飛び出し、あたしは反応に困った。


 死者の国?


 何だそりゃ。デットスロープのブログは確かに都市伝説や陰謀論を扱う面白い記事を発信している。それは認めるけど、そういう与太話やオカルト方面の話は、決してやらないというわけでもないけれど、明るくはなかったはずだ。

 それとも、そういう方面の話にもより力を入れることにしたのだろうか。


 あまりの現実感のない言葉ワードに、あたしは小さく溜息をつき、デッドスロープの言葉を、話半分に聞くモードに入ってしまった。


 プラスの言い方をするなら、緊張をほぐしてもらった、とも言える。

 デッドスロープの話では、近くに川もあるそうだし、その川に沿っていけば、街にも着くだろう。そう考えると、ここは決して封鎖された場所だというわけでもない。確かに、街の外から見えるホールの周りには、簡易的な立ち入り禁止の看板や金網の柵こそあれど、そう厳重な封鎖がされているわけでもないように記憶している


 あたしがどうやって、なぜここに倒れていたのかはわからないが、それでもいつでもここから街に戻ることができるというのなら、考えに耽りながら、この男の与太話に付き合ってやるのも悪くはない。


「あ、ワイドバグJr、その顔は信じてないな」

「そりゃあまあ、死者の国と繋がってるんです、と来て、なるほどそうですか、とはならんでしょ」

「そりゃそうだ。僕も最初は信じられなかったが、いくつもの公からは隠された資料がそれが真実であることを述べている。ホールとはずばり、この生者の世界と死者の世界アストラルワールドを繋ぐなのであり、そして政府はそれを隠している、とね!」


「そっか、続けて」

「全くつれないお嬢ちゃんだ。だが、そういうところも君の人気の秘訣か」

「なんだよそりゃ」


「孤高の女戦士ワイドバグJrと言えば、父の仇撃ちのためにその刀を手に取り、遂にはそれを討ち果たした剣闘士ファイターとして、ファンも多いだろ」

「あー、そうね」


 あたしも昔、剣闘士ファイターのファンだったから、あたし自身が剣闘士ファイターになってからも、何度かファンサイトは見に行った。そこでは確かにあたしのファンがたてた記事スレッドもあったし、あたしの生身の写真がネットに出回ってるのを知ったのも、確かそこでだ。


「あんた、そういう脱線好きだよな? よく言われねえか? 話が長い、って」

「ううむ、確かにインタビュー対象からも、早く本題に入りませんかって溜息をつかれることはしょっちゅうだな」

「案の定かよ」

「だが、そういう話の脱線こそ、インタビュアーの腕の見せ所と思わんかね? あまりに堅苦しいばかりでは、対象を緊張したままにしてしまうし、読者の望む反応は引き出せない」

「あんたは今インタビュアーじゃねえ。どっちかって言うと、あたしが話を聞いてる側だ。さっさと本題に戻ってくれ」


 とは言え、デッドスロープのおかげで緊張もほぐれているのも事実だし、あたしも本題の話に興味があるわけでもないのも事実なので、あまり強くは要求しなかった。


 だが、デッドスロープはあたしの言葉にもっともだと頷くと、すぐに話を続けた。


真夜中ミッドナイトとは幽霊の時間ガイスターストゥンデ、または丑三つ時、逢魔時。ホールの周辺も別に、いつだって死者の国アストラルワールドと強く交信し続けているわけじゃない。それに相応しい時間、そして相応しい時期というものがある」

「あんたは、それを待ってる?」


 あたしの合いの手に、デッドスロープは嬉しそうに手を叩いた。


「そう! その通り。死者の国アストラルワールドとの交信が最も活発になるのは、真夜中の時間、そして空に満月が登る時! その時間であれば、何の霊感のない人間でも、ホールから現れる死者ゴーストと交信することができる!」


 なるほどな。デッドスロープが何の目的で死者との交信なんてことをしたいのかはわからないが、話の筋は見えた。


「それであんたはあたしを死者の国アストラルワールドから現れた亡霊ゴーストかもしれないと、そう思ったわけだ」

「話の飲み込みが早いな。流石はワイドバグJr」

「今それは関係ねえな」

「とにかく、僕は死者との交信を求めてここに来たんだ。そしてその交信の時刻は真夜中ちょうどと思っていたから、君が倒れていたのわ見た時は焦ったよ。僕の情報が間違っているのか? もしかすると、僕は思っていたよりも早く死者と交信することができるのか? それは困る。まだ心の準備ができてないぞ! ってね」

「それで今何時なのよ」

「む、ちょっと待ちたまえ」


 デッドスロープは左腕の袖を捲った。今時珍しい、アナログの腕時計を巻いている。


「10時35分だ。まだまだ時間があるな」

「ふーん、ところでデジタルじゃなくてアナログの腕時計なのは、なんか理由でもあんの? それともあんたの趣味?」

「もちろん、意味があるとも。ホールの近くでは、磁気が乱れてしまうから、専用の防護プロテクトの掛かっていない電子機器は、たちまちオジャンになってしまうんだ。だからこうして、磁気によって左右されない、ゼンマイ式の腕時計を持ってきているわけだ」

「逆によくあったなそんなの」

「我々が住むのはあのアウトホールシティだぞ。見つけようとして、揃えられないものなどないさ」

「そう言われればそうか」


 あたしは一度立ち上がり、グッと両腕を上方に伸ばした。


「なあ、あたしも待って構わねえか」

「待つ、と?」

「その、ガイストなんちゃら? 真夜中になって、あんたと死者ゴーストが交信する様を待っても構わねえかって言ってんの」

「そりゃ当然、君さえ良ければ全然構わないともさ」

「あんたは何で、死者ゴーストとの交信なんてしたいの? 記者としての好奇心ってやつか?」

「そうだ! ……と迷わずに言えたなら格好がつくんだがね。実はそうじゃない。さっきも言ったが、ここに僕が訪れた理由はブログとかとは関係がない」

「そういやそう言ってたな」

「まあ、よくあるつまらん理由さ」


 デッドスロープは遠くを見つめるようにして、側にあるホールを見つめた。


「僕は妻と子供をなくしていてね。事故だった。あの頃の僕は、Webライターではなく、新聞社に勤めていた。僕が取材をしている最中に、二人はアウトホールシティで車に轢かれてしまったんだ。僕は二人の死に目に会えなかった。僕が記者として活動せずに、もっと二人のことをかえりみてやればもしかしたら……そう思って一度記者の道を諦めようとしたこともあったが、ある先輩記者に背中を押されてね。君の記事は拙いところもあるが、君にしか書けないものがたくさんあるんだから、やめちゃ駄目だよって、そう言われたよ。それで僕は新聞社をやめて、Webライターの道を志したんだが、それでも妻と子供のことを忘れられなくてね。そして街の裏側のことを調べていたら、このホールの話に辿り着いた。すぐに僕はその話の虜になったよ。当局からの粛正に怯えながら、ホールのことを調べ上げて、遂にはここに辿り着いたんだ」


 身の上話を語るデッドスロープの目には、涙が浮かんでいた。


「あんた、すげぇな」


 あたしはそんなデッドスロープを見て、素直な感想を漏らした。


「ぐすっ。今なんと?」

「あんたすげぇよ。いや、ホールの正体だとか、死者の国アストラルワールドだとか、まだあたしは信じちゃいないけどさ。あんたは、自分のために、自分の信じる道を最後まで突き進んでここに来たんだろ。もしかしたら、自分が死ぬかもしれねえと思いながら、だよな」


「それを言うなら、君だって。ワイドバグの後継者としてあの地下闘技場ドゥオモの舞台に立ち、父親の復讐リベンジを果たしたんだろ?」

「あたしは……あたしのはそんな綺麗なモンじゃねえんだ」


 肩を落とすあたしを見て、デッドスロープが首を傾げた。


「何故だ。もしかして、君がここにいたことと何か関係が? いや、君も何故ここにいたのかはわからないんだったか。だが、あの地下闘技場ドゥオモで、何かがあったんだろう?」

「まあ、そうだ」

「話してもらっても構わないかね? 無理にとは言わないが、真夜中まで時間がある。僕だって、君の話を記事にするなんて野暮なことはしないさ。信じられないなら、僕が約束を破ったその時には、君の手で僕を縊り殺してくれても構わない」

「そうだな」


 あたしは一息つくと、近くの岩に座り直した。それから頭の中を整理して、自分の心の中にあるつかえを、言葉にしていくことにした。

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