薔薇の約束(中編)

 薔薇ローズの店の作りはごく普通のビジネスホテル、といった風だった。

 各階に個室への扉が並び、たまに客が廊下にいるかと思うと、部屋の中に入っていく。


「一つ一つの部屋にキャストが待機してる。キャストの部屋は固定じゃなく、毎日ランダムに振り分け直すし、キャストのいる部屋の場所を知れるのは指名した客だけだから、妙な客に当たっちまったとしても、そういう客が次来た時には店を通さない限りキャストの居場所はわからない。当然チェンジも受け付けるが、まあ滅多にねえよ。その場合も、客の方で移動してもらう」

「よくできたシステムだ。お前らしい」


 中には狂乱に耽ることを望む客もいるのだろうし、そうした部屋もあるのだろうが、少なくとも廊下だけは地下世界アンダーグラウンドの外で見たサイケデリックな雰囲気もなく、落ち着いている。

 薔薇ローズはこの地下世界アンダーグラウンドでも超人気店で、客もここで働きたいという志望者も後をたたない。

 それは、店長ローズがキャストにも客にも安全を保証する、こうした環境を徹底しているからだろう。


「ありがとうな。おれもあの事件の後、色々あったが、やることは変わってねえよ。おれはおれの出来る範囲で、ここにいる人間の居場所を作ってる。……サラがあの施設でそう望んだようにな」


 何度か階段を登り、ローズはピタリと足を止めた。


「ここだ」


 ローズは衣装ドレスの中から、カードキーを取り出すと、扉に設置してあったリーダーにかざす。

 すると暗証番号を打ち込む為の物理鍵盤キーボードが出現し、ローズは迷うことなく、そこに番号を打ち込んだ。


「古風だな」

「安全の為には結局のところ、ネットワークに頼らずにどれだけ未接続オフライン独立機関スタンドアローン機構システムを設置するかにかかってるからな」


 ガチャリ、と部屋のロックが開く音がした。

 ローズは扉を開けると、俺に中に入るように促した。

 俺は促されるままに部屋の中に入る。部屋の中の作りも、普通のビジネスホテルと同じで、デスクやベッドが綺麗に置かれていた。きっとここがこの店の中でもスタンダードな部屋なのだろう。

 窓からは地下だというのに、まるでアウトホールシティの高層ビルから見下ろすような夜景が見える。精巧に映し出された立体映像ホログラムだ。抜かりがない。


 ぱさり、と。背後から軽い何かが床に落ちる音がして、俺は後ろを振り向いた。


「お前」


 ローズが、何も身につけていない、裸の状態で立っていた。

 大きな乳房に浮かぶピンク色の乳首が嫌でも目に入る。顔からつま先まで手入れの行き届いた褐色の肌には、こうして全てを曝け出しても頭に残る手術痕とは違って傷一つない。


「おれを抱け、ヴァイパー」

「は?」

「あんたに情報を渡すための条件だ。アウトホールシティ中の男が喉から手が出るほど抱きたい女を抱けるんだ。悪くないどころか、あんたには良いことしかない申し出だろう?」

「それはそうだが」

「怖気付いてんのか? さっきもあんた、別に操を立ててるわけじゃねえって言ったばかりじゃねえか」

「さっきも遠慮するって言ったと思うが」

「それとは状況が違う。今度はおれが一方的にあんたに抱いてくれと頼んでるだけだぜ? しかも繰り返すが、あんたの欲しがっていた情報もくれてやる」


 ローズの言葉に、俺は彼女の肩を手を置いた。


「そう来なくっちゃ──」


 そしてローズを優しく脇にどけると、扉のドアノブに手をかけた。


「開けてくれ、ローズ。……そうだな。さっきはああ言ったが、そういうことならやっぱり情報はいらねえ。爺さんやロビン達には悪いが、まあ何とか言い訳するさ」

「あんた、裏組織クヴァト興行師ショーマンだけじゃなくて、地下世界アンダーグラウンドまでもを敵に回すつもりか?」

「何でそうなる」

「おれはこの地下世界アンダーグラウンドの顔役の一人だ。そのおれの誘いを断るってことは、その顔に泥を塗るってことで良いんだよな?」

「は? ……ん、いや」


 正直そこまでは考えていなかった。マジか。そうなってくると流石にロビン達にも言い訳が立たねえか──。


「──ぷ、はははは! 馬鹿かよ、ヴァイパー! 相変わらず後先考えずに動きやがって。よくもまあこの街で生きてこれたな!」


 ロビンは笑いを堪えて腹を抱えながら、ベッドの上に座った。


「嘘だよ。言ったろ? あんたには感謝してるんだ。情報提供の条件なんてもん、ハナからいらねえよ。ま、初回料金だけだがな」


 ロビンはベッドの上からデスクに手を伸ばすと、引き出しの中から小さな箱を取り出した。そして箱を開き中身を俺に示す。


「これって」


 それは指輪だった。二つの指輪が箱の中に、綺麗に収められている。


「勘違いするなよ、プロポーズじゃないぜ?」

「わかってるよ」


 俺はローズから箱ごと指輪を受け取った。

 その中にあるうちの指輪の一つを取り出し、内側を見る。


 Sarahサラ


 間違いなく、その指輪は俺とサラが結婚する時にお互いの指に嵌めた結婚指輪だった。


「あんたとは、もっと早く会うつもりだったんだ」 


 ローズはゆっくりとデスクの棚を元に戻し、そう言った。


「だが、薔薇ローズの店長が男に会いに行った、あげくに指輪を渡した、なんてことが知れたらそれこそコトだろ? そんなことだから、店の子達に頼むわけにもいかない。だから、おれの方があんたに会う機会を待ってたんだ。あんたの破天荒な仕事ぶりはよく知ってるからな。いつかはおれの厄介になることもあるだろうと踏んでた」

「破天荒な仕事ぶりって何だよ」

「おれだけじゃなく、興行師ショーマンの誘いも断ったろ。行きつけの店の店長助けるためにゴロツキどもをのしたって? 裏組織クヴァトに殺し屋として雇われてた亜人の姉妹を助けたのもあんただろ。それも新しい相手もいねえってのに子持ちコブツキになりやがって」


「待て待て待て、なんで知ってる。爺さんに聞いたのか?」

「この街には、おれの目がいくつもある」


 ローズは腰に手を当てて胸を張った。

 その格好ポーズだと、裸であることもあって、より一層ローズの均整美プロポーションが際立つ。

 ──変に格好つけた手前、いらんことを考えたことにバツが悪くなり、俺は改めて手元の箱を見た。


「ローズ、お前これ、一体どこで?」


 俺とサラの結婚指輪。

 俺は市民権を失ったのと同時に、財産の全てを失った。サラも排斥主義者テロリストに殺されてしまい、俺のものもサラのものも、指輪は行方知れず、いや、とっくになくなっているものと思っていたが。


「片方はサラに頼まれてた。あの日、施設が占拠された日にな。自分になんかあったら、あんたにその指輪をとよ。もう片方は、まあ偶然な。何十人もの人間をぶち殺した凶悪犯の持ち物ってのをオークションで手に入れる機会があったから、あくまでおれの収集品コレクションの一つとして買い取った」

「……そうか。悪いな。いや、改めてありがとうな、ローズ」


 俺は指輪を箱にしまい直すと、そのまま自分のコートの中に入れた。

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