Chapter8:The Tears of The Ruthless Hitman

殺し屋の矜持と英雄の条件(前編)

 資料の中のルベンは、美しく成長していた。


 彼の持ち味である艶やかな黒髪には、後ろで束ねた美麗な顔がよく映えている。

 これで義体置換サイボーグ化もしていない生身プレーンの肉体だと言うんだから驚きだ。


 成長した彼の写真を見て、私はまだ十代ティーンだった彼の姿を思い出していた。あの頃、私の後ろを着いて回っていた頃のルベンは、どんな仕草であれ、私の真似をしようと躍起になっていた。


「なあミルコ、僕もあんたみたいな格好いい男になりたいな」

「俺の教えを忘れなければ俺みたいにはなれるとも」

「あんたみたいな殺し屋ヒットマンになれる?」

「なれる。俺は特別なことをしているわけじゃない。殺し屋として必要なことを一つ一つ忘れずに実行しているに過ぎない」

「じゃあ教えてくれよ。一つ残らず」


 まだ幼さの残っていたルベンとのそんなやり取り。

 私はそれが嫌いじゃなかったし、その生活がいつまでも続くものと、どこかで思っていた。


 私は資料を元に、ルベンを護送する車が通ると情報のあった場所で彼を待ち伏せている。


 ルベンが車から降りた一瞬を見計らい、その眉間に銃弾を撃ち込む手筈だ。


「こういう奴をこそ、地下に堕として蹂躙するのがあんたの趣味だと思ったが」


 この仕事を受ける前に私がそう問うた時、その五指に宝石をギラつかせて、オーナーはニヤリと笑った。私の雇い主でもある彼は、この街の地下にある闘技場の経営者だ。

 彼の勢力、偉大なる興行主ザ・グレイテストショーマンズと言えば今や街の裏社会での一大勢力である。


「抜かりはない。貴様の仕事ぶりは全て生配信ライブストリーミングする」


 成程ね。

 敵対組織との抗争すらその商売の道具とするとは、興行師ショーマンの名は伊達でない。

 興行ショーの匂いは見逃さないか。どこまでも趣味が悪い。


 現在、興行師ショーマンの勢力は、他の裏組織クヴァトとの抗争中だった。かつては街の闇の全てだった裏組織クヴァトは今、俺の目の前にいる他の闇によって食い尽くされんとしている。

 裏組織クヴァトは元々オーナーに取っても目の上の痣瘤たんこぶであったのが、その下っ端に闘技場の剣闘士ファイターを殺されたとして、その対立は激化した。


 私が暗殺を依頼されたルベンは、裏組織クヴァトのナンバー2だ。


「私は君と彼との因縁も知っている」


 私へ殺しを依頼する時に開口一番に興行師ショーマンはそう言った。私が仕事を請けるのを決めるにはその言葉で充分だった。

 以前は私も裏組織クヴァトの一員だった。当時の首領ボスのお気に入りだった彼の教育係を任じられた私にとって、ルベンは自分の息子同然だった。


「妻子を毒牙に掛けた仇を討つ機会を用意してやったんだ。感謝してほしいものだね」

「相変わらず悪趣味だ」


 私にとって愛する子だったルベン。

 私の後ろをついてまわっていた愛らしい子ども。


 かつて彼は、私の妻エレノアを殺した。

 彼女のお腹にいた、私の子供諸共に。


 私はひたすらに路地裏で待った。彼を殺す瞬間が訪れるのを。

 仇か。オーナーはそう言ったが、本音を言えば、まだ彼のことを憎み切れない。彼が何故あんな凶行に走ったのか、未だに答えを知らないが、こんな生き方しかできない時点で他人をとやかく言う筋合いもない。


 黒塗りの車が、私の潜む路地の前に停まった。緊張の糸が張り詰める。


 裏組織クヴァトの命通り、敵対する人間の暗殺から帰ったある日のこと。

 あの日は、いつものように私を出迎えるルベンの姿が玄関にはなかった。


 その代わり、家の奥から、シャワーの音が聞こえてきた。誰か風呂に入っているのか、と浴室を見た私は息をするのを忘れた。


 ――妻が。エレノアが浴槽に裸で倒れていた。

 浴槽の彼女は虚空を見ていて、その首筋からどくどくと血を流している。

 その前にいるのは、裸のルベンで。


「おかえり。ミルコ」


 ルベンは私に気付くと、首だけを回して私を見た。


「上手くやれてるかな」


 ルベンのその声を聞いて、私は、彼に殴り掛かった。


 殺し屋として己を殺し、ただ任務に従順であり続けた私が己を表に出したのは、後にも先にもあの時だけだったかもわからない。私は何も考えずに彼を殴り続けた。頭の中に、エレノアの笑顔が浮かぶ。その度に、私は拳を強く握りしめた。拳に付着する血が、殴られたルベンのものなのか、強く握り過ぎたせいで出血した私のものなのかわからない。


 私はただ、あの綺麗な顔を、本気でぐしゃぐしゃにしてやりたいと思った。


 組織の人間が急いで現れて、私をルベンから引き剥がしたが、それでも私は彼を殴るのを止めようとはしなかった。

 首領ボスのお気に入りだった彼に怪我を負わせた私が組織を追われ、興行主ショーマンに拾われて剣闘士ファイターとなってからは、殺しの技術を披露したことはないが、雇い主ショーマンにやれと言われたならやらねばなるまい。


「だが願うことなら、理由ぐらいは──」


 車から降りる人影。その顔を確認する。

 ルベンの顔だ。私はスコープ越しに彼の頭を狙う。護衛ボディガードに守られているその眉間が、射線上に来たその瞬間。


 引き金を引く。


 人影が倒れた。慌てる護衛ボディガード達。

 私は万が一仕損じている時に備え、もう一度スコープを覗く。


「残念だね、ミルコ」


 背後から、声がした。私の名前を呼ぶ、透き通った声。間違える筈がない。


「ルベンか」


 スコープに映る、獲物の顔を確認した。そちらも資料通りのルベンの顔に間違いはない。眉間ど真ん中に銃弾が命中し、どくどくと血を流して倒れている。

 だが、実際に私の背後にもルベンは立っている。


 ガチャリと音がした。私の後頭部に、銃口が向けられていた。

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